2-2 野営地でのひととき

文字数 5,627文字

 街道を歩くにつれ、緑が濃くなってきた。山に入り、つづら折りの坂道を一つ越えた先で、俺たちは野営地に到着した。洞穴の入口付近は開けた土地で、そこに案内板もある。
 ふと思い当たって、俺はその看板の方へ駆け寄った。そして字を眺める。
 ――やっぱり、読める。少し崩れて読めない字や、現代日本の楷書体とは異なる字形もあるが、概ね意味は掴める。「ここは旅人の休息地 適切な利用を許可する。 崇暁教直属セントラル保護連盟管轄」。厳しさのある明朝体風の文字でそう書かれていた。
「やっぱり、文字が気になるかい?」
 後ろからオルドさんがやってきて、笑いながら俺に問いかけた。
「もしかしたら君は、案外この世界に馴染むかもしれないね」
 オルドさんは冗談めかして言葉を続けた。『馴染む』という言葉に違和感を覚えながらも、少し嬉しかった。だけど、所詮俺は旅人だ――今のところは。

「おーい、早く入ろうぜ」
 ヒグルマさんが手を振って、俺たち二人に呼びかける。片手には、入り口の脇に並べられている資材を粗方抱えていた。彼に付いて洞穴を潜ると、奥では既にハヤンさんが料理鍋と食材を並べていた。
 洞穴は四人が寝そべっても多少空きがあるくらいには広く、入り口から見て左側の岩壁には小さな窓穴が空いていた。夕焼け空からそよ風が吹くと、口笛のように甲高い音が鳴いた。
「器用に掘られた穴だな。入り口と広間は竜人が掘り進めて、窓に関しては<オムノ>の手作業だろう」
 ヒグルマさんが聞きなれない言葉と共に、この洞窟の分析を始めた。俺はその聞き慣れない単語の意味について尋ねた。
「<オムノ>っていうのは、簡単に言えばオルドみたいな奴らの人種だ。オムノとオルド、似てるけど勘違いするなよ。オムノは別名<狡人>とも呼ばれてるが、まあ、あんまり使いたくない言葉だな」
「『狡い人』と書いて<狡人>ですからね。エルフを『妖しい人』と言うようなものです」
 ハヤンさんが皮肉っぽい口調でヒグルマさんの話に乗りながら、料理の下拵えを進めていた。赤や黄色の小さな実がなった薬草や、香辛料と思しき顆粒を摺鉢に入れ、すりこぎで擦り潰していく。
 ハヤンさんの風貌は、オルドさんやヒグルマさんのような人らの風体とは趣が異なっていた。それどころか、俺が何となく抱いていた『エルフ』のイメージとも異なる。彼女の身なりは、どことなく東洋風の雰囲気を感じさせるものだった。ふわりと身を包んだ外套で服装は分からないが、衣服の襟が着物の襟のように重ねられているのが分かる。それに扱う摺鉢も、どこか見覚えのある形だった。焦茶色は深く暗く、形も手に馴染むような凹凸があるものだった。
「あら、私がどうかしましたか?」
 ハヤンさんは俺の視線に気づいて、遅れ髪をずらしながら口を開いた。
「いや、何も」
「何もなければそんなにじっと見続けないでしょう。私の姿が珍しいとか、そういうのあるんじゃないですか」
「珍しいというかその、何というか……」
 その手の振る舞いに慣れてないわけではない。ただ、『珍しい』というよりは、『懐かしい』雰囲気の方が強いんだ。
「まあ、私を純粋な目で見られるのも若いうちですよ。旅路は短いのか長いのか分かりませんが、子供でいられる時間は長くはありませんからね」
「ハハハ、ハヤンもウブな少年を試すじゃないか」
「なっ、そういうわけじゃ」
 俺は咄嗟にヒグルマさんの方を振り向いて反論した。そういう誤解を言われては困る。ヒグルマさんも俺の表情を理解したようで、「悪い」と正直に謝った。

「じゃあ大人の端くれとして、お前に手伝いでも頼もうか。オルドは今寝床を敷いてるみたいだから、オレたちはハヤンを手伝おう。オレは肉なり葉物なりを適当に捌いておくが、その前に火起こしをしなきゃな。そうだ、お前も手伝ってくれるか?」
「いきなり火起こしですか? 荷が重すぎますよ」
「なに、木の棒擦ってやるような原始的手段じゃないさ。ちゃんと道具も用意してあるから、それを打ち鳴らしてくれ。大丈夫、初めてでもできるさ」
 いきなり火起こしという大役を背負わされた俺は戸惑ったが、断る間も無くヒグルマさんから道具を手渡された。鈍く光る鋭利な黒石と木製の火打鎌に、竹の器と炭布。それらを手渡された後、改めて説明を聞いた俺は、ものは試しだ、と鍋の方に向かうことにした。
 洞穴の入り口で拝借した木の枝を鍋の下に敷いた後、いよいよ火起こしを始める。左手に火打鎌、右手に石と炭布を持った。
「まずはその火打鎌に石を打ちつけて、火花を起こしてくれ」
 言われた通りに、鎌の側面に強く石をぶつける。はじめの数回は何も起こらなかったが、間もなく激しい火花が弾け、俺は慌てた。
「ハハ、よしよし上出来だ。その炭布に火がついてないか?」
 ヒグルマさんの言葉で我に返った。炭布を見てみると、真っ黒な炭の真ん中に、ほんのり赤く熾火が宿っているのが分かった。
「ほんとだ。火、ついてます!」
「よし、ならその器に入れろ。ああそうだ、これで火をつけてくれ」
 ヒグルマさんが手渡したのは麻の糸だった。俺はそれと熾火を竹の器に入れる。なるほど、要領は分かった。
「これを吹けばいいんですか?」
「ああ。ゆっくりな」
 彼の助言をそのまま受け入れ、恐る恐る息を吹きかけた。小さな熾火の熱が麻糸に触れ、揺らめく火の帯が手のひらの上に現れた。
「できた! うわ、熱っつ……」
「でかした、そいつを薪にぶち込め!」
 こちらに燃え移らないよう慎重に、しかし急いで鍋の下に燃える糸を落とす。揺らめく炎は徐々に勢いを増し、鍋の底をやわやわと撫でる。
「よし、着火完了だな!」
 ヒグルマさんはパン、と一つ拍手をし、俺を労った。満面の笑みが溢れると、鰐のように大きな口に不思議と愛嬌を覚える。
「初めてにしては上出来じゃないか。オルドの四分の一くらいの時間で覚えるなんて、大したもんだ」
「誰のことを言ってるんだい?――ああ君、火起こしを教えられてたんだね。凄いじゃないか」
「ああ、これで独り立ちの準備がまた整ったな」
「……俺に一人旅させる気っすか?」
 そうツッコミを返すと、二人はどっと笑った。その笑い声を耳にしたハヤンさんが、尖った耳をピンと立てた。

「あら、森人式の切り火とは。なかなか良い趣味のようで」
 火起こしの様子を把握したハヤンさん曰く、この『切り火』はドワーフ発祥の森人文化だという。俺たちの故郷にも『切り火』があると伝えると、ハヤンさんは頷きながら、
「確かに崇暁教にもその文化はありますね。彼方の世界では数百年前より、切り火で穢れを祓うというおまじないがあるそうで」
「へえ、それは知らなかった。まだ若いから、元いた世界のことは疎いんすよ」
「良いではありませんか、それだけ様々な見聞を学べるということです。あなたの心に絶えず好奇心が燃え続けることを願っていますよ」
 さすがにエルフだけあって、ハヤンさんの言い回しには深い包容力と含蓄がある。長いこと旅をしてきた人だからだろうか。俺も彼女のように、ずっとまだ見ぬ何かにワクワクしておきたいなと思った。
 俺の様子を見てにこやかにしていたハヤンさんだが、ふとため息をついて言葉を続けた。
「ただ……崇暁教と森人文化には共通点もある以上、やはり面倒事は尽きないものですね。例えば、先に挙げた切り火はエルフとドワーフ、どちらが発祥であるかなどの諍いは最近よくあります。ドワーフたちの中には、そういった森人文化の発祥を崇暁教に譲歩するものもいるのです。私としては、たまたま似通ったことに発祥も何もないと思うのですが」
「それは……」
 俺の内心に霧が立ち込めるような難儀が湧いた。文化が誰が始めたのか――あるいはそれを頑なに主張し合うのは必要なのかについては、俺も同意見だと思ったからだ。
 複雑なのは承知している。この場で同調する勇気は、いくら異世界といえど難しい。それに何でだろうな、こういうのを考えてもいいのかな、って感情もほんの少し湧いてるんだ。誰が責めるものでもないだろうけど。
「すみませんね、難しい話でした。その答えはいつかあなたにも分かるでしょう。さて、ご飯を作りましょうか」
 そう言ってハヤンさんは笑顔を作り直し、挽いた薬草を小袋に入れる。おもむろに立ち上がり、鍋の方へと移動すると、大きな水筒から水を鍋に入れた。

「孤島のセントラルは水が高いですからね。森から消毒処理した水を持ってくる方が安上がりです」
「森の水って、腐らないんですか?」
「当然腐りますよ。ですから薬草の濾紙で水を漉すんです。消毒効果もありますから、殆どの不純物は綺麗さっぱり無くなりますね」
「セントラルは立地上様々な人や船が往来するけど、島由来の資源は少ないからね。旅をするにも準備が必要になる」
「そうそう。こいつの場合、手間かかる準備を資金でごまかしたんだ。ま、『時間』がないとそれも使えないがな」
「ちょっと、遅刻の話はもうよしてくれよ」
 水の話から島の事情まで話が飛んだが、その間にハヤンさんは熱した水に薬草の袋を入れていた。なるほど、これで水を純化していくのか。
 沸騰する水に浮かぶ灰汁を、ハヤンさんが丁寧に取っていく。それをただ見ているだけなのも時間を無駄にするので、俺はヒグルマさんに何かできることはないか聞いた。

「それなら食材切るのを手伝ってくれないか? オレの分は俺自身で切るんだが、他の人間は小ぶりに切らなくちゃいけないからな」
「それは任せてください――とはいえ、異界の食材はからっきしっすね」
「大丈夫、加工済みの食材がほとんどだから、切るだけでいいさ。それに、ここでも難しいものはそう売ってねえよ」
 ヒグルマさんは俺を気遣いながら、並の人間――オムノが二人ほど入りそうな荷袋の封を開ける。さらに密封された食材の包みを開けると、かなり大ぶりの肉が現れた。分厚い肉塊には、何層もの肉と脂の層が積み上がっていた。保存用ゆえか色合いはやや褪せているが、これだけ大きいと些細なことだと思えてくる。肉だけではなく、葉物野菜の塊や大きな瓜のような食材まで、何もかもスケールが違った。
「でかいだろ? オレみたいな大きさの人間もいるからな、当然家畜や獣どもも馬鹿でかいのよ。そうでなきゃ、この世の命を賄えねえ」
 一層にっこりと笑いながら、ヒグルマさんはさらに荷袋を漁った。
「とはいえ、人間は竜人だけじゃないからな。ほれ、『一般規格』のものもあるぞ」
 すると次に出てきたのは、その大ぶりな食材たちとは数回り小さなものだった。俺の世界の店で見る食べ物に比べたらまだ少し大きいが――あるいは俺の世界の食べ物が小さくなりつつあるのかもしれないが――これくらいなら何とか捌けそうだ。

 ヒグルマさんから包丁を受け取り、片手で支えるには少し重たい大きさの赤蕪の皮を剥く。微かに土の色でくすんだ皮の外から、意外にも透明感のある純白の果肉が現れる。一通り剥けたらまな板の上に乗せて、力を込めて切る。隣では、ヒグルマさんがその蕪より何倍も大きな獣肉を軽やかに捌いている。包丁が踊るように、するりするりと肉の繊維を断ち切っていく。仕事を忘れて身惚れてしまいそうだった。
 下ごしらえを終え、それぞれの食材を鍋に入れる。比較的小柄な三人はハヤンさんの鍋に具材を入れたが、ヒグルマさん用の大ぶりな食材は、彼自身が用意した特製の大鍋に入れるらしい。あれだけ見事な食材を入れるには、やはり相応の器具を前もって準備しておく必要があるようだ。
「飯時が遅れないように、急いで容易しないとな」
 そう言って、ヒグルマさんは自分の鍋の火起こしやら何やらを急ピッチで進めた。そして、五分もかからないうちに大きな鍋底に焚き火が当たった。

 お互いの料理が出来上がるまでの間は、焚き火に当たってみんなで談笑したり、旅路を乗り切るための軽い運動をしたりした。温暖な海に浮かぶ島といえど、深山の夜は流石に肌寒い。だからこの暖かさが尚のこと沁み入った。
 それだけに、俺の本心も迷っていた。「この暖かさも悪くない」と思えてしまう自分は、とうに自らの世界に対して冷めた感情を持っているのだろうか。

「おーい、夕食が出来上がったよ。みんなで食べよう」
 オルドさんの声に合わせてみんなが集まる。初めての異界のご馳走。ハヤンさんの鍋は薬草などが入った透明のスープの鍋で、胃腸の紹介に良さそうな野菜が詰められている。その殆どが俺にも馴染みのある形のものだ。それらに挟まって、柔らかそうな四角い形状の食べ物がある。これはもしや、と声をかけてみた。
「ハヤンさん、この白い四角いのって……」
「ああ、それは『豆腐』ですよ。あなたの世界にもありますよね?」
 思った通りだった。思うに、フラクシアのエルフやドワーフら森人たちは、俺たちの世界でいう東洋の文化を吸収していったように見られる。ハヤンさんの鍋は薬膳や精進料理の趣が強く、落ち着いた気品と独自の素朴さを感じさせてくれる。
 一方ヒグルマさんの鍋は、彼女のそれとは対照的にとにかく豪快なものだ。これが此岸大陸風……なのかは分からないが、大きな食材を大きく切り、さらに大きな鍋に詰め込んでいる。具材から採れる出汁のおかげか、やや飴色になったスープも特徴的だ。それに、少し香辛料の匂いが鼻腔をくすぐる。あちらが欲を慎む鍋なら、こちらは欲のままに食らう鍋といったところか。

 二つの料理を見比べるだけでも面白いが、しげしげと眺めているとオルドさんが俺の顔を覗き、
「悪いけど、そろそろいいかな? ご飯が冷めてしまいそうだし」
 と言って、俺は自分の世界から戻った。
「見比べるのは面白いだろう? 食べながらでも話そうじゃないか。さあ、食べよう食べよう!」
 落ち着いているようで、その実一番待ちきれなさそうな声色のオルドさんの合図と共に、俺たちはこの一時を楽しんだ。
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