1-4 八紘の御門

文字数 1,738文字

 路地裏の酒場で何も飲み食いせずに席を立つ際、俺はふとオルドさんの胸元に目が止まった。
「……」
 彼の肩掛け布を固定している留め具、その装飾に俺は既視感と違和感を覚えた。
「オルドさん、そのバッジ……」
「ん? ああ、これかい?」
 オルドさんは呼び止められると、そのバッジに手をかざした。
「お目が高いね。これが崇暁教の意匠だよ。『八紘の御門』」
 上機嫌で見せてくれたものの、俺の反応が微妙なことを彼は疑問に思った。
「この意匠がどうかしたのかい? 不思議そうに眺めてるけど」
「ああ……この形、俺にとってはかなり馴染み深いんですよ」
 快晴の天頂を思わせる鮮やかな紺色の丸いバッジは、八方から金色の線が伸びている。線の集まる真ん中には、漢字の「円」に似た形の金線が描かれていた――いや、やっぱりより簡潔に言おう。そのバッジのシンボルは鳥居の形そっくりだったんだ。彼が嬉々として俺に見せた信者の証は、間違いなく俺たちの故郷との『繋がり』を確信させた。
「そうか。君にそう言われると、異界に思いを馳せてしまうな」
 そう言ってオルドさんは再び笑顔になり、ヒグルマさんと俺を連れて階段を降りた。

 店主に挨拶を済ませて酒場を出ると、日が暮れて夕方になっていた。
「ああ、こんな時間か。どこか泊まる場所は……」
「壁外に竜人の婆さんが切り盛りしてる宿屋があるから、そこに泊まればいいんじゃねえか」
 ここはヒグルマさんの言う通りにして、夕暮れの街を歩いた。最初に外に出た時から、より人が減っている。茜色に染まった街並みを眺めながら歩いていると、ふと小高い丘の向こうに人影が見えた。その影は、俺たちを監視しているようにじっと立ち尽くしている。
「どうしたんだい? 怯えているようだけれど」
 オルドさんが俺の顔色を見て心配したので、その人影について尋ねた。すると隣のヒグルマさんが笑いながら答えてくれた。
「ハハ、あの人影が怖いのか? 無理もないさ、あれは街を監視する兵士だよ。この街は元々監獄の街だった、その名残で、今もこうして高台から見張る連中がいるのさ」
 監獄の街と聞いて、俺はさっき出てきた地下牢のことを思い出した。そして、あそこにヒグルマさんとよく似た骨格の頭骨が転がっていたことも。
「あの地下牢、怖かったんすよね。なんか、でかい頭蓋骨があって」
 歩きながら、俺はさりげなく地下牢のことを伝えた。なるほど、とヒグルマさんが呟いた。
「あの地下牢は……簡単に言えば、奴隷を繋ぎ止めておく場所さ。お前がいた場所のもっと地下には、確か――」

「ヒグルマ、それ以上話すのは」
 話の続きを遮るように、オルドさんが制止した。ここから先が気になるところだったんだけど……
「なんだ、別にいいだろ。あいつなら<ブレス>の導管のことも知ってるはずだ」
「だから、これ以上はダメなんだって。彼にそんな歴史を知られちゃいけない。それにここは巌の街だ。どこかで聞かれてる」
 二人は思想の違いで言い合いを始めたようだ。二人の考え方がそれぞれ違うことは、その体格や風貌だけでも分かる。少し驚いたのは、二人は歴史の捉え方に関わるような真面目な話を、街角の移動中でも語り合えていることだった。
 あの頭骨がヒグルマさんと同じ竜人のものであるなら、彼の正直な態度は同情できる。けれど、オルドさんの慎重な姿勢も理解できる。現に遠くにいる兵士は弓を背負っていて、この世界に対して臆病な俺にとっては、今は彼の冷静さにあやかりたい。ここで話を聞けなくても、いずれフラクシアに関することは聞けるだろう。
 とはいえ、俺はオルドさんの気まずそうな口調が少し気掛かりではあった。もしかして竜人と奴隷の話って、彼が属する崇暁教にとっては罰が悪い話なんじゃないのだろうか。
「はいはい、分かったよ。ま、宿についてから話そうや」
「いや、ダメだよ。<我が君>の寛大さが許しても、僕が許さないさ」
 それにしても、<ブレス>といい<我が君>といい、気になる固有名詞が多いな。そろそろ城門を抜けるが、門と橋の向こうに小規模な集落が形成されているようだ。あそこに目的地の宿があるのだとしたら、ようやくゆっくり休めそうだ。ガス抜きのようなため息をついて、俺は引き続き二人の背中を追った。
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