3-6 因果

文字数 3,975文字

「今から百年以上も前の話だ。我々は<天照らす神の末裔>からの勅命という形で、このフラクシアを『鎮護』する<特殊遣夷隊>としてここに来た。
 <特殊遣夷隊>は元々、<流界使節団>という体でこのフラクシアに降りていた。君歴二五世紀初頭――流界歴、そして西暦における一八世紀の半ば――その頃は崇暁教徒たちが、停滞した文明からの前進を謳い、『転移』が各地で再開されたころだ。
 だが、極東の国からフラクシアに渡った<ワタリビト>は、転移の再開から数十年で文明を大きく変容させた。使節団はいつしか鉄の杖を持ち、見たこともないほどの無数の大砲で国々を威圧した。ついには『黒鉄の鯱』を海に浮かべ、砲撃で都市を焼き尽くした。<流界使節団>は<特殊遣夷隊>となり、その武力で崇暁教徒を併呑し――」

「ちょっと待ってくれ!」
 差し迫ったような声色をして、突如オルドさんが話を切った。
「まったく意味が分からない。崇暁教はワタリビトとの融和で成り立っていたはずだ」
 冷や汗をかきながら、オルドさんは先生に反論した。そんな彼に先生は眉一つ動かさず、
「ほう。それでは、今のワタリビトが崇暁教徒以外から疎まれている理由がつかんな」
 と、抑揚のない声で首を傾げた。
「彼が身につけていた外套が、ワタリビトが蛇蝎の如く嫌われていることの証左にならんかね。ワタリビトは暴力によって崇暁教を支配し、狡智によってその歴史を塗り替えた。それゆえ、彼らは紛うことなき『侵略者』なのだよ」
「違う! ワタリビトはこのフラクシアに新たな叡智を授けてくれた。その鉄の杖も、街で響く教団劇の喝采も、転移を通して得られた新たな文化や品々も、全て天から降ってきた『新しい文明』じゃないか」
「確かに文明の利器がもたらした恩恵は大きいのだろう。尤も、それを我らも享受できればの話だ。奴らには『野心』があった。その文明の利器で、我らの世界を染めようとするほどのな」
「なら、ここにいるナミノも、野心によって世界を染めようとする人間だというのか?」
 互いの議論が白熱する中、オルドさんが話の焦点を俺に当てる。そこで沈黙が起きた。先生は俺を改めて窺い、小さく溜息をついた。
「……そうか。君が己の信念に忠実なのは分かった。お互い様だな」
 己を茶化すように先生はそう吐き捨てたが、俺はオルドさんに対してどうすることもできなかった。彼が知っていた『物語』とは正反対の真実を告げられて、動揺しているのは一目で分かった。

 もとより俺も、崇暁教がワタリビトによって塗り替えられた宗教だとは思っていなかった。「新・崇暁教」とはフラクシアの民のためではなく、それを利用するワタリビトのための宗教だったんだ。
 そう思うと、俺も正直複雑な気分になってしまう。俺は今まで、こんなに危うい人たちと一緒に過ごしてきたのか。でも、この旅路でオルドさんたちに二心を感じた瞬間なんて、片時もなかったはずだ。
「……誰もがそう思っているだろうが、崇暁教は危ない。今や<此岸>だけでなく、<彼岸>の侵略すら行っている組織だ。ナミノ、お前も奴らに目をつけられたくないなら、身の振り方は考えておいた方が良い」
「身の振り方……?」
 そんなことを言われても、俺にできる手段は何かあるのだろうか。
「どうすればいいんです? 旅をやめて、隠れろってことですか?」
「そうだな。先生のように、一生隠れて過ごすって言うのもアリだが」
 そんな! 故郷へ帰ることを諦めて死ぬまで幽閉だなんて、まっぴらゴメンだ。

「待て」
 カノヱの発言を静止するように、先生が一言呟いた。三人の視線が彼に集まる。
「ナミノの帰郷なら手は講じられる。諸刃の剣ではあるが」
 三人は一斉に驚いた。現実世界に帰れる! 一縷の希望だ。
「ここは崇暁教の聖地。帰郷ならば、『転移』を使えばいい話だ」
「ですが先生、聖地で転移を行うとなると――」
「カノヱ、意見を申すなら他人の話は最後まで聞け」
「……わかりましたよ」
「うむ。まずは転移を行う場所だが、この集落より南に、セントラル島最大の都市がある。そこは島と同名の都市で、同時に崇暁教の聖地だ。その市街の奥、聖域にある<櫻樹>へ赴け。櫻樹へ向かう十七段の階を踏み、祭壇の奥で祈りを捧げれば、現実世界とフラクシアは繋がる」
 『繋がる』。その言葉を聞いて、思わず嘆息した。それに櫻樹は元々オルドさんの目的地でもある。聖域が禁足地でなければ、可能性はあるはずだ。
「だが、それには一つの問題点がある」
 俺の高揚を鎮めるように、先生はぴんと指を立ててこれからの話に耳を傾けさせた。
「聖地である櫻樹の根差す地底には、かの<竜神ウル>が眠っている」
「<シュージャン・ウー>様、ですよね」
 竜神には<ウル>という名前があるのか。先生が発したその名前を訂正するように、強い声で返答したのはオルドさんだった。
「<ウル>は元々の竜神の名だ。其方にとってはこそばゆい名だろうがな――話を戻すが、転移を行う際、竜神にとっての『繭』とも言える櫻樹は、転移の際にわずかに光輝き活性化する。これは遠い此岸、及び彼岸大陸で行われる転移に際して発生する現象だ。この『発光』は、転移場所に距離があるにも関わらず、事あるごとにその輝きが強くなっている。ましてや、竜神のお膝元で異界同士の転移が行われる場合、その影響は計り知れない。最悪、竜神が目覚める」
「そんな馬鹿な……」
 オルドさんが声を上擦らせて驚愕した。
「……僕はナミノの転移には賛成だけど、そのためにそんな禁忌、犯せるわけない。話が違うんだよ。元より竜神様は上古の時代より『入定』という、永い瞑想に入られてる。その神聖な活動をどうして妨げなければならないんだ」
「……それが私たちのやるべきことだからだ。其方と私とでは『信念』が違う」
 先生はオルドさんに返答をしようとして、少しだけ言葉を選ぶ素振りを見せたが、やがて双方の根本的な違いを説いて言葉を切った。これ以上何を言っても聞く耳を持たないということを、早々に判断したかのようだった。
「崇暁教も未だ、転移の力を利用してこの世界に未知なるものをもたらしている。それは結果として戦火を招き、今なおフラクシアに混乱をもたらしている。これ以上の『侵掠』は、私たちが止めていかなければならない、ナミノ。フラクシアと現実世界を分離させるためには、私と同じワタリビトである君の力が必要なんだ」
「ワタリビトがフラクシアを拒絶するだって? そんなの辻褄が合わない。ワタリビトは崇暁教の根源じゃないか。あなたはこの世界に奇跡の産物を運び、僕たちを『前進』させた当事者だ。それなのに、どうして認めない?」
 オルドさんは感情を昂らせて彼を指差し、詰問した。崇暁教の敬虔な信者であるオルドさんにとって、その大元に属していた先生が教団を疎んじている事実は、自らの想像とは違っていたのだろう。

 オルドさんの差した指の方を辿って、先生の表情を見た。硬く瞑っていた先生の瞼が開くと、その眼差しは一転して怒りに満ちていた。
「認めるはずがないだろう。あの罪深い国のことなど」
 厳かに、ひかし憎悪の熱が口から滲み出るような声で、先生はオルドさんを威圧した。逆鱗に触れてしまった臆病者のように、オルドさんは身じろぐ。
「我が国の勅命に従い、『私達』が乗っ取った崇暁教により、多くの命が危ぶまれた。崇暁教の動乱で罪のないフラクシアの人々が死に、武力と恐怖による占領で指導者と国々を腐敗させた。多くの人々、そのそれぞれの故郷が失われたのだ。
 それは後に訪れたワタリビトから知った、私の故郷と何も変わらぬ。人々を支配する権力に飢え、狂った教義の妄執で自国を歪ませ、あまつさえ他国を侵して多くの命を殺めた。それを省みることなく、虚妄の栄華を未だ夢見てかつての過ちを繰り返そうとしている。ついには罪深き侵掠者たる私たちを、『英霊』と呼んで崇めるだと。ふざけるな」
 先生の怒気に、俺たちはただ圧倒されるほかなかった。同時に俺は、生まれ育った故郷とフラクシアののっぴきならない因果を目の当たりにし、言いようのない罪悪感が胸の内に現れた。
「――ゆえに私たちは、抗わねばならない」
 先程の焦熱のような怒声が、わずかに落ち着きを取り戻す。そして先生は言葉を続けた。
「これ以上、私たちワタリビトが歪曲されるわけにはいかない。業罪に塗れた偽りの大義で、己という存在を穢されるわけにはいかんのだ」
 オルドさんを圧倒させる先生の言葉は、切実さに満ち溢れていた。彼の言っていることが、全部理解できるとは思っていない。でも、どうしても心の中にモヤモヤしたものが渦巻いてしまう。

 ――俺たちが暮らしている『故郷』の、罪とも言うべき過去に、未だ囚われている人がいる。現実世界で何気なく暮らしている俺たちが、気づいても知らず知らずのうちに忘れてしまう事実。
俺たちの住んでいる『国』が、誰かの犠牲で成り立っていることは知っている。だがその犠牲者が――あるいは、命を捨てるよう命じられた者たちが――いつしか栄光に満ちた美談として語られることに、救いはあるんだろうか?
それに、その美談を焚べて一層燃え滾る崇暁教の野望が現実にも及んでいるのならば、俺のやることも定まってくる。『帰りたい』から始まった旅が、こんな『陰謀』に繋がってくるなんて、とんでもない話だ。だけど――

「……? どうかしましたか、先生?」
 その時、ふとカノヱさんが先生に声をかけた。先生の視線は真正面、屋敷の外の方を見ているようだった。俺とオルドさんが、先生の見据える方に振り向いた時――襖が大きく震え、同時に凄まじい衝撃音がした。襖の和紙が黒く焦げ付いて破れ、その穴から火の粉がチラチラと舞い散っている。
「奇襲だ! 外に出ないと!」
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