第36話

文字数 1,345文字

おかみさんが言うに
ある日、とある華族のご子息が三宮に来た時に紗和さんの姿を見て、恋心を抱いたそうです。
どうにかして紗和さんを手に入れたいと
おかみさんに話をしたのですが、
おかみさんは何度も
『娘には既に想い人がいる』
と断ったのですが、ご子息は諦めませんでした。

「そのご子息のお付きの方なんかな。
その方が結構な量のお米と砂糖を持って来てな…。欲に負けてしもうてん…。
紗和も…ほんまにごめんなさい。」
「………」

とにかく食料が不足しているこのご時世。
おかみさんの気持ちも分からなくはないです。
…でも…。

「そうだったの!?お母さん…」

紗和さんも複雑な表情をしています。

「お米と砂糖で私が売られたみたいで、
何か嫌やわ…。」
「そうやんね…。ごめんなさい…。」
「昴、さっきおばちゃんに色々言っといて
何やけど…俺も悪かった。
縁談の事を知ってはいたんやけど、
まさか昨日にあの兄ちゃんが来るとは思わなかってん…!!」

「…凄く悔しかったし悲しかったけど、
僕はもう気にしてへんよ。」

私は紗和さんの方を見ました。

「この件で、紗和さんとの仲が深まった気がするし。」
「昴さん…!」
「ただ、今後ご子息に付き纏われたりしないかがちょっと気になるな…。」
「あぁ…確かにそれは気になるなぁ…。」
「それは私が何とかするわ。」

おかみさんは空いた食器をまとめ、
立ち上がりました。

「私の責任やし。」
「おかみさん、よろしくお願いします。
…あ、紙とペンありますか?」
「あぁ、あるで。ちょっと待ってな。」

おかみさんは食器を片付けてから、
紙とペンを持って来てくれました。
私はそこに実家の住所を書きました。

「紗和さん。これ、僕の実家なんやけど…
ほんまにどうしようも無くなった時はここに行って。家族には言っておくから…。」
「ありがとう…!」



もうそろそろここを出る時間になりました。
残り少ない時間ですが、2人きりになる事が出来ました。

「紗和さん、さっき渡した住所なんやけどね。」
「うん。」
「もし今後空襲が激しくなる事があった時も行って良いからね。
田舎だから、ここより被害は少ないと思う。多分…」
「ありがとう。でも、迷惑な気がする。」
「これは僕の我儘だから、君は気にしないで。少しでも安全な場所にいてくれた方が、
僕としても安心なんや。」

私は紗和さんを抱き締めました。

「生きて欲しい。何をしてでも。
夢を叶える為に。」
「…それは、昴さんも同じだよ。」
「そう、だね。」

正直、絶対と約束が出来ないのが本音です。

「生きて。何をしてでも。
私達の夢を叶える為に。」

ですが、私は何があっても生き延びようと思います。

「………うん。」
「昴ー!!そろそろ出発するで!!」

玄関から、米田くんの声が聞こえました。

「…紗和さん…っ!!」
「昴さん!!」

私達はほぼ同時に互いの名前を呼び、
どちらともなく互いを強く抱き締め口付けをしました。

「昴さん、どうか元気で、ご無事で…!!」
「うん、…うん!!紗和さんも…っ!!」



「おばちゃん、紗和ちゃん、行ってきます!!」
「どうかお2人ともお元気で!!」

私と米田くんは、紗和さんとおかみさんに敬礼をしました。

「昴さん、浩二くん、気を付けて…!!」
「行ってらっしゃい。
無事を祈っているからね…!!」

私と米田くんは、駅に向かって歩き始めました。
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