第109話 訣別
文字数 4,481文字
空海は文学、美術、医学、天文など百六十巻近くの文物を書写する自分に鞭打つ勉学の合間に予てよりお会いしたかった越州龍興寺の
「まさか恵果阿闍梨の正統後継者にお目にかかれるとはこの順暁、夢にも思いませんでした!」
と人の良さそうな初老の僧に涙ながらに合掌され拝跪されるという熱烈すぎる歓迎を受けた。
は、はあ…と内心尻込みしていた空海を前に順暁は、
「拙僧は確かに密教の阿闍梨ではありますが、その流れは
と二十近くも年下の客にさらに帽子を被った頭を垂れて恐縮した。
そんな順暁に空海は、
「阿闍梨は恵果さまの師不空三蔵さまにも師事なさった事があるとお聞きしましたよ。ならばあなた様は密教における大先輩ではありませんか」
と心からの敬意を込めて答えた。
「それを言ってくださると本当に嬉しい」
と順暁は破顔すると、一年前にこの寺で最澄という名の留学僧に濯上を授けた事を語った。
「ちょうどこの寺を留守にしていた拙僧を天台山に追いかけて来てまで教えを請いたい、という熱心さに打たれてかなり短い期間でしたが密教を講義し、濯上まで授けました」
しかし…と順暁はそこで言葉を切り何か言いにくそうにしていたがやがてええい!と思い切って、
「お願いがあります、空海阿闍梨」と胸の中にある危惧を打ち明けたのだった。
それから十年後の弘仁七年五月(816年)、高雄山寺。
「もう限界です…助けてください!」
引き取って二年になる弟子の泰範に最澄からの帰山の催促の文を見せられ、
泣きつかれた空海は泰範が怒りの余りもう返事の文の一文字も頭に浮かばなくなってしまったという最澄の一文、
なんぞ図らん闍梨(泰範のことを指す)
永く本願に背いて久しく別所に住せんとは。
蓋し劣をすてて勝を取るは世上の理なり。しかれども法華一乗(天台宗)と真言一乗(真言宗)と何ぞ優劣あらんや…
泰範阿闍梨よ、図らずもあなたは私の教えに背いて今は別々に暮らす身になってしまったね。
確かに劣っているものを棄てて優れたものに乗り換えるのは世の理。それは仕方無いでしょう。
しかしながら、私の唱える天台論と空海阿闍梨の唱える真言論に差は無いと思うのですが。
ああ、やはりというべきか。
空海は怒りの余り目がちかちかして文から目を背けた。感情に任せて文を破り捨てなかっただけでも上出来だった。
最澄和尚はわしが説いてきた密教というものを何も解ってらっしゃらないのだ。
帰国してから八年、唐からの帰国僧としてお互い友誼を保って来たつもりだった。
あの方が他宗派の僧侶たちから嫌われようともご本人は温和な方だから密教の研究という一点で気持ちよく付き合えて来たつもりだった。
最澄の言動にどこかに違和感を覚えながらも、
真言密教生き残りのため他宗派の僧侶を敵にしないように。
と立ち回って来た空海の感情を抑えていた蓋が外れ、まるで火口から噴き出す溶岩のような怒り、失望、無念などの様々な思いが沸いた。
こめかみに血管を浮かべ息を乱しておられる師を前に泰範は兄弟子をお呼びしよう、と立ち上がりかけたがその肩を空海が押さえ、
「よい、お前が返事を書けぬのならわしが代筆しようではないか」
と言いながら浮かべた薄い笑いが泰範にはとても恐ろしいものに見えた。
思えば二年半前の泰範が空海阿闍梨の弟子になる直前、最澄和尚から密教の真髄である理趣経の貸借を求める文が届いた。
その文を読んだ空海阿闍梨はかなり分かり易く眉を顰めてから「あの経典だけは秘中の秘であり修行を深めた者しか知る事は出来ないのに」と、
早速長い返事の文をしたためた。
先ずは
可聞(聞くことができる道理)、可見(見ることができる道理)、可念(思うことができる道理)、心の理趣、仏の理趣、衆生の理趣、文字の理趣、観察の理趣、実相の理趣、の基本の九つの理趣について説明し、
加えて最澄の理趣、空海の理趣、
もし、あなたが自らの理趣を求められるのであればそれは御身の中にあるはずで、私に求めるべきものではありません。
また、密教はその奥義を文章にする事を重んじておりません。ただ、心を以て心に伝える以心伝心を大事にしております。
恵果和尚より正統密教を師資相承された私空海もこの戒めを絶対に守らなけらばならない立場にあります。どうかご理解ください。
という懇切丁寧な内容の長い断りの文の中に、
文字や文章はその目的を果たしてしまえば瓦礫と化してしまいそれのみに執着するのは物事の実質は無いのです。
さて、あなた様はすでに悟りを迎えた仏として生きとし生きるものを救済しようとなさるのかそれとも凡夫(仏の教えを理解していない愚か者)として自分を高めようとなさっているだけのお方なのでしょうか?
と、誰よりも経典の書写をしてきた最澄の生き方を否定し、
それともあなたは凡夫なのですか?
という揶揄まで匂わせて激烈な皮肉を書いた。
わしの言いたいことは全て書いたつもりや。これで最澄和尚が激怒してわしと断絶しても構わぬ。いいやむしろそうなって密教の事も諦めて欲しい。と目論んだものの…
泰範が阿闍梨号を授かれば密教をそのまま比叡山に持ち帰ってくれるという望みをまだ捨てていなかっただなんて!
怒りすぎて血が上った頭を鎮めるためにひとまず息を整えて瞑想をしてから文机に向かった。
順暁阿闍梨よ。あなたが最澄和尚に抱いた危惧、
「最澄が法具を作らせた時に気づくべきでした。彼は濯上を受けたことで密教を体得したと勘違いしたかもしれない。
秘法も授かっていない者がそれを行うのは極めて危険な事です…もし最澄が己が野心のために密教を歪めようとする動きあれば是非止めて下さりませ!」
という願い、今実行する時が来ました。どうやら最澄和尚の目的は秘伝さえも全て文書にする密教の顕教化。
そんなことになっては密教は滅びてしまいます。
大日如来より八代続く密教を守るために、弟子泰範を師の執着から守るためにわしは敢えて、
修羅となります。
書き上げた手紙を読んだ泰範は最初は面食らった。これは空海阿闍梨にしては直情的過ぎやしはないか?と。
しかし、我、泰範の今の心情を表すのにこれ以上の文はない。と思い、
「このままでようございます」と顔を上げた。
「さよか」
文を挟んで師と弟子は沈黙していたがしばらくすると空海が「しかしこれでわしは後の世の者からなんて大人げない奴だ。と笑われような」と床にごろりと寝そべり、
「四十過ぎてやっと解った。人間、保身のために怒るべき時に怒らないのは生きながら死んでるのと同じや」
と言い放つと僧衣の袖で目を覆ってはは…と乾いた笑い声を立てた。
もう、これでいい。わしはあの方に伝えるべき言葉を現世で使い果たしただけなのだから。
さて
比叡山寺で返事の文を受け取った最澄は…
真言の
顕教と密教に浅い深いの差は無いとどうして言えましょうか?
私は今、真言の教えに心酔しています。天台の教えに見向きする暇もありません。
という明らかに空海の筆跡による一文を目にして、
ああ、私はとうとう最愛の弟子泰範に拒絶されて空海阿闍梨を激怒させてしまったのだな…
この世で最も解り合えていると思っていた二人に私は見限られてしまったのだ。
という臓腑さえももぎ取られたしまったような喪失感でへなへなと講堂の床に手を付いた。
密教さえ、密教の経典さえ手に入れて天台教学に組み込んでしまえば今まで私を否定し疎んじてきた奈良の僧侶たちに認めてもらえると思っていたのに。
どうして密教しかしてきていない空海阿闍梨は皆に好かれ、誰よりも佛の言葉を取り込もうと努力した私が皆に嫌われるのだ!?
ふと目を上げた先に掛けられた曼陀羅さえも破り捨てたい衝動に駆られて手を掛けたが、
やめろ最澄!
と画の中の仏たちに睨まれたた気がしてすんでのところで止めた。
次に書庫に入り、今まで書き貯めてきた経典が棚の中にずらりと並んでいるのを見て、私がやって来た事は瓦礫の蒐集だったのか…と全て焼き尽くしたい虚しさに襲われてもそれも出来ない。
空海阿闍梨の仰有る通りだ。
私の正体は得て来たものを全て棄てられない欲に満ちた凡夫だったのだ。
文を片手に最澄はふらふらと外に出て、琵琶湖を一望出来る場所に立っていた。
初夏の湖の水面は日の光を受けて輝き、死にたいくらいの絶望をしばし忘れさせてくれた。
その時、
「水清ければ魚棲まず。自分が説く教えを自分で信ぜずしてどうして人を惹き付けられましょうか?」
と昔、自分に忠告してくれた老僧の言葉を思い出した。
「あなたの理想は高すぎて心は潔癖過ぎてなかなか人は寄って来ないよ」
「お待ちください!僧侶どの、お名前は?」
「華厳宗、
思えばあのお方だけが、苦に満ちた現世で佛の教えを信じていないくせに佛の言葉にすがり付いている私の自己欺瞞を見抜いておられたのだな。
後継者にも理解者にも去られた私はどうすればいいのか。
再び最澄が琵琶湖に目をやった時に背後から前方から幾人もの手が袖を取り、肩や腰に絡んで、
「お願いですからおやめになってください!」
と自分に縋りついた。顔を見ると円澄、義真、光定らを始めとする十人近くの弟子たち。
皆、泣きながら口々に、
「確かに弟子を奪い、文で凡夫だの教えの盗人だの罵った空海阿闍梨の仕打ちは余りにもひどい…」
「だからと言って早まった真似はお止し下さい!」と師が自死しやしないかという心配を吐露した。
私は何もかも失い何も得ていないだなんて、それは大きな勘違いだった。
奈良仏教を棄てて三十余年、どんな苦境にあっても他宗派勧誘の靡きにもめげず私に付いてきてくれた弟子たち。
最初から素晴らしい宝物を既に私は持っていたではないか!最澄は弟子たち一人ひとりの肩を抱いて、
「あなたたちは早とちりだね、私はそんなことは決してしないから」と目にうっすらと涙を浮かべて微笑んだ。
「私亡き後の天台宗の後継者は円澄とする」
その言葉に円澄は深く頭を垂れて合掌し、周りの弟子たちはわっ!と沸き立った。
空海阿闍梨。
確かに貴方のご指摘通り私は今まで独善に凝り固まった凡夫でした。
なれど、凡夫からまた仏弟子となり弟子たちと一からやり直すつもりでいます。
泰範、長年お前に甘えきって済まなかった。元気でな。
「さあ寺に帰ろう、今後の事を色々伝えなければならないし忙しくなるぞ」
こうして最澄の心の中の湖にようやく小さな生き物が棲み始め、長い時をかけて万物を育む湖となる。
弘仁七年(816年)六月十九日、修禅の道場として高野山の下賜を請い、七月八日には、高野山を下賜する旨勅許を賜る。
そして高野山の開創に着手するために空海は…
「実慧、泰範。高野山の現地調査を頼む」
と二人の弟子に最初の聖域派遣を命じ、
「畏まりました」
若き阿闍梨たちはその名誉を誇りに思い師に向かって合掌した。