第6話 H《アッシュ》
文字数 2,952文字
二階は図書室、シアタールーム、交流ギャラリーと公共施設としても差し障りがないもの。そして、一階にはまさかのカフェがあった。
「時間あるなら、奢るけど?」
凛の申し出に翼は二つ返事。裏庭のテラス席に心惹かれるも、さすがに暗くて寒そうなので我慢した。
店員に気安く声をかけて、凛は上等なソファまで先導。翼は腰を下ろして、深く沈む感触を満喫する。
「男の子だねー」
茶化すように凛は鳴らして、店員を呼んだ。
提示されたメニューには洒落た品々ばかり。翼は諦めてコーヒーを頼もうとするも、凛にもったいないとクリームティーなるものを薦められる。
「じゃぁ、それで」
待っている間、翼は母親に一方的なメッセージを送る。
――閉館まで図書館で勉強している、と。
これで、夜の九時くらいまでは帰らなくても問題ない。
「で、どうだった?」
「どうって、言われてもな」
寺や神社、教会以外の宗教施設を知らない手前、なんとも言えないのが翼の本音であった。
「なんつーか、思ってたのとは違った」
宗教らしさを感じたのは、聖堂とホールのみ。
「ここはなんか、変な商品とか売ってないの?」
「来た時に言ったと思うけど、ウチは金儲けが目的じゃないから商売はしてない」
きっぱり言い切ったと思いきや、凛は嫌らしく続ける。
「まっ、作ったり仕入れたりはしてるけど」
なにを? と、訊く前に店員が割って入った。
手際よく、テーブルにティーセットが置かれる。ポット、カップ&ソーサー、ミルクピッチャー、シュガーポット、ストレーナー。
「なんか、凄いな……」
「クリームティーってのは、スコーンと紅茶のセットのことだから」
目の前に置かれたスコーンセットを不思議そうに眺めていると、凛が説明してくれた。
「なるほど」
たどたどしくポットを掴んで、翼はカップに紅茶を注ぐ。
悔しいことに、目の前の凛はお嬢様ばりに手慣れたご様子。彼女がソーサーごと持っていたので、翼も真似るようにして、
「うまいっ!」
口に含んだ紅茶が今までにないほど美味しくて、自然と頬が緩まる。
「でしょ? ここで飲む時はコーヒーよりも、紅茶がおすすめ」
注文を変えられただけのことはあると、翼はスコーンを頬張る。クロテッドクリームなるものを塗りたぐった上から、更にジャムをたっぷり。
これがまた美味しくて、翼は満足げに紅茶を飲み干す。
「――で、入信する気になった?」
翼が食べ終わったのを見計らって、凛が勧誘を再開した。
「こんだけで決められるか」
「えー、そう? 私なんて、一瞬で決めたよ」
「一瞬て、なんでまた?」
「――超能力とは異なった超能力」
またそれか、と翼はうんざりする。
「その一言だけで、私には充分だった」
「もしかして、洗脳されてるとか?」
自分でも酷い台詞だと思うも、
「そんなに逃げたい?」
凛は怒るどころか、憐憫の眼差しを見せた。
「は? 逃げるって……なんで?」
「あんたは、私が助けるまでもなかった。自分でなんとでもできた。違う?」
つまらない意地から、翼は頷く。助けなんて必要なかったと。
「戦うことも逃げることもできたのに、どうして?」
「どうしてって……」
「知られたくなかった、てのは無しね。勝手な推察だけど、あんたのHは人目に付くものじゃない」
先回りで反論を封じられ、翼は言葉に詰まる。
「だというのに、羽田翼には『不正』をしていた痕跡が見当たらなかった」
「……調べたのか?」
睨み付けるも、凛は平然と紅茶で喉を潤す。
「軽く、ね」
ポットの中身を覗いてから、凛は空になったカップに紅茶を注ぐ。
「
中卒、暴走族、新興宗教の職員と凛は笑えない自分史を語った。
「だけど、この先はどう? なにか将来の展望とかあるの?」
「そんなの……っ、おまえには関係ねぇだろ!」
堪らず、翼は吐き捨てる。
突然の怒声に何名かが反応を示すも、凛が手で制していた。
「あんたは、普通の人よりも選択肢が多いはず。私の推測が正しければ、オリンピック選手にだってなれるんじゃない?」
「それは……」
「なのに、あんたはスポーツすらやっていない。インチキだって指をさす人間がいたわけでもないのに、どうして?」
「買い被りだよ、そりゃぁ……」
どうしてだか、言葉が出てこなかった。
今まで、適当に誤魔化してこれたのに。
「もしかして、羽田翼の倫理観が『インチキ』だと詰るの?」
タフ、凄い、あり得ない、馬鹿――驚嘆と共に褒められても、相手に不信を抱かせない程度に言葉巧みにやってきた。
「ううん、それも違うはず。そんな倫理観があるなら、黙って殴られる選択はあり得ない」
それがどうしてか、たった一人の少女に言い破られかけている。
「もしかして、嫌いなの? 自分のHが――」
「うるせぇっ!」
感情的に凛の台詞を断ち切ると、
「もう、やめてくれ……頼むから」
翼はあっさり、自分の負けを認めた。
「……俺にも、あんたらがいうところのHってのがあるかもしれない。けど、だからといって強いわけじゃないんだ。俺の力なんて、誰かに錯覚とか勘違いと言われれば、それで納得できちまう程度のモノでしかない」
勢いに任せて捲し立てるも、
「そう? 私なんかよりも、よっぽど使い勝手が良さそうに思えるんだけど」
凛はまったとくいっていいほど、動じていなかった。
「でも、あんたは誰かを救えるだろ?」
俺は無理だ、と翼は自虐する。
「俺のHじゃ、自分しか救えない」
自分で言って、自分で落ち込む。
思い出したくもないが、どうしたって忘れられない。
――背中が徐々に冷たくなっていく、あの感触。
「いくつか、あんたは勘違いしている」
流暢に紅茶を流し込んでから、凛は訂正を求めた。
「一つ、Hは存在するだけで誰かの救いになる。二つ、私のHも誰かを救える類じゃない。そして三つ――」
凛は見惚れるほど綺麗な顔をして、見据えてきた。
「あんたのHは自分しか救えないのかもしれないけど、あんたの力は違うでしょ?」
気恥ずかしいものの、目を逸らすのももったいなくて、翼は呆然と佇む。
「私だってそう。Hの力だけで誰かを助けているんじゃない。私は私の力で誰かを助けている」
「自分の力……?」
なまじ人とは違った力があるものだから、翼は忘れていた。
自分の本来の力というものを――
「もし、Hの力だけで誰かを救える人間がいるとしたら――」
言葉の途中で凛はこれ見よがしに拳を丸めて、
「いっけね」
自分の頭を叩いた。
「ここから先は、ただの高校生に教えたら駄目なことだった」
わざとらしかったが、翼はなにも言わなかった。
黙って彼女の優しさを受け止め、誤魔化されてやった。