第37話 堕ちた少年
文字数 2,909文字
「〝お客さん〟と〝娘さん〟、〝対象〟が合流しました」
「〝掃除屋さん〟ステージに到着です。〝ゴミ〟は全部、壊されています。〝役者さん〟は無事ですけど……ちょっと壊れています」
ちらり、と手塚は目隠しと手錠をされて転がされている近江悠に目をやる。
――なにもかも、この少年の所為だ。
近江悠が異能力に目覚めたことで、全ての計画がズレた。
――やはり、異能力者は全て管理しなければならない。
もしこれが大規模なテロだとしたら、計画の失敗など許されはしないのだ。
だからこそ、異能力者の存在は全て把握しておかなければならなかった。
その存在は神算鬼謀を狂わせ、いつか必ず、日本を転覆させる役目を担う。
「しかし、全部〝壊して〟くれて良かったですね」
その意見には、手塚も同意だった。
人を殺させることはあっても、殺してはならないというのは暗黙の了解。生き残りがいたら、非常に面倒なことになっていた。
せっかく、厳選を重ねて用意したのだ。
素行に問題が多くて、一カ月以上の家出経験のある若者たち。保護者が警察に届けたとしても、具体的な事件性が見当たらない限りまともに取り扱っては貰えない。
どうせまた家出でしょう、と言われるのがオチだ。
「問題はこれだ」
近江悠の肩は拳銃で撃ち抜かれていた。
撃つ気はなかったが、相対した瞬間、反射的に抜いてしまったのだ。それほどまでの気迫が、この少年にはあった。
「もう、使える麻酔はないんだな?」
「えぇ、これ以上は……というか、既に障害が残りかねません」
脳内物質が異常なほど出ているのか、近江悠は薬の効きが悪かった。反面、出血は恐ろしい速さで止まってくれたが……。
「とにかく、〝娘さん〟の目が届かない位置で安静にさせるしかないな」
とてもじゃないが、東京までは持たない。
「私が出るから、その間に頼んだぞ」
謎の三人組は、人けのない公園の東屋でコンビニ飯をかき込んでいた。
奇しくも、全員がASHの教義によればアッシャー、公安の定義によると異能力者と呼ばれるモノ。
四角いテーブルの上には、大量の食料品。誰もが酷使していたからか、異常な食欲を発揮していた。
「つまり、私は嵌められた訳だ」
ゼリー飲料を握り潰して、彼方がぼやく。
傍では初葉が眠っていた。
「あくまで、俺の推測が正しければな」
手に付いたおにぎりの海苔をなめながら、翼がフォローする。
「いや、私の持っている情報と組み合わせて考えれば、きみの仮説は正しいと思う」
ASHの知らなかったもう一人の異能力者――秋月彼方。
秋月朧の娘で弱みを握る存在。
だからこそ、『朧』は面倒くさい手順を踏んでいた。
「このコがねぇ……」
凛はフランクフルトを頬張りながら、未だ眠っている初葉を覗き込む。位置的に彼方が東、翼が西、凛が北側に座っていた。
そして、近江悠は『朧』手に落ちた。
わざわざ、手塚が電話で告げてきたのだ。
「ツンの怪我も、このコにやられたんだっけ?」
器用にも、初葉と由宇を抱えて来た翼の顔面はボコボコだった。痛みを失くし、出血を止められても、腫れだけは引かなかったのだ。
「ウチのコが迷惑かけたな」
「いいってことよ。状況が状況だったしな」
お互いに、持っている情報が偏り過ぎていた。
さすが公安と言うべきか、手塚が与えた情報は偏向的であった。
「そんで、これからどうすんの?」
凛には考えがなく、他人事の様子。
翼は近江悠をこのまま見捨て、朱音初葉を守ることに専念する提案をしていた。
「彼方さんの気持ちはわからんでもないが、正直、厳しいと思うぜ。近江悠は間違いなく、人を殺しているからな」
どうせ死体は見つからないので立件されることはないが、悠の罪の意識は絶対に消えない。
彼方がどれだけ弁を尽くしても、聞き入れないだろう。
罪を犯した時、親しい人の言葉はただの優しさとしか思えないからだ。
「このまま『朧』に任せたら、どうなるかはわからないけどな」
確実に洗脳される。
きみがしたことは正当防衛だの正しいだの耳心地の良い言葉を並べ立てて、悠の精神を侵していく。
そして、きみには特別な力がある。
人にはない、きみだけの力。それは正義の為にある。だから、力を貸して欲しい……などなど。
想像するだけで、反吐が出る。
「……それは、わかっているつもりだが……」
父親を失脚させても、悠の罪は消えない。また今回の件を公にしたところで、誰もが苦しむ結果になるだけだろう。
私設の子供から殺人者が出たと知られれば、他の子供たちも世間から酷い目に遭わされる。
それでも、公安警察の不祥事は表には出てこない。裏で犯罪行為をしていたなんて、絶対に揉み消される。
彼方一人で戦っても、勝ち目はない。
「それに初葉をきみたちに預けるのも、そう簡単には認められない」
「でも、施設の一職員じゃ嬢ちゃんを守りきれないぜ?」
翼の案は初葉の親権をASHのボスに移すこと。
そうすれば、『朧』も下手に手出しができなくなる。
養子縁組には幾つか問題はあるものの、年齢的に初葉の同意さえ得られれば難しくはない。
もちろん、『朧』とASHによる政治的駆け引きに勝利すればの話だが。
「それに、上は買収されてたんだろ?」
彼方が茅野由宇を頼んだ際、付き添えないことも理由も一切聞かれず、二つ返事だったとのこと。
常識的に考えて、なんらかの力が働いているとみていい。
「そりゃ、新興宗教の現人神にするって響きだけ聞けば不安かもしれねぇが」
「まったくその通りだ。新興宗教の信者にするだけでも難題だというのに、神として奉るなんて認められる訳がない」
「でもよぉ、そうすれば嬢ちゃんは安全だぜ? 信者、全員で守るからな。それに宗教ってのは名ばかりで、実際にやっていることは自警団みたいなもんだ」
二人の意見は平行線。
聞いているだけの凛は退屈で仕方ないのか、携帯を弄りだした。
「それで、初葉にも同じ真似をさせるのか? 初葉は力を使い過ぎると記憶を失うんだぞ?」
脳と肉体の活性。潜在能力と潜在脳力の両方を極限にまで引き出す為に、余計な情報が整理されてしまう。
「神はいるだけでいいから、そんな真似はさせないさ」
「そもそも、一信者のきみになにがわかる?」
「それはそうだが。ボスとは色々と話しているから、あながち外れていもいないと思うぜ」
「それを信じろと?」
話にならないと言わんばかりに彼方が頭をかきむしると、
「――ツンの言う通りだ」
低い、男の声が割り込んできた。
「話は聞かせて貰った。私はASHのボスと呼ばれる者だ」
発生源は携帯。
事情も説明済みなのか、凛はどや顔で二人の間に置いた。