第13話 踏み出した一歩
文字数 2,501文字
だが、懐から拳銃を出された時点で硬直する。
咄嗟に、翼と男は無意識に距離を取っていた。
銃口を向けられている凛から――
「おま……え、おまえらは……いったい……!」
走ってきた大人は血走った目で、
「なんなんだ! なんで、サツがいきなり来やがるんだ!」
いきなり、訳のわからないことを喚きだした。
「――落ち着け。ったく、肝心な奴を逃がしやがって」
凛だけが意味を解してか、反応を示す。
落ち着いた様子のようだが、何故か折り畳み傘を握っていた。悠長に開くなり満足げに頷いて、翼に向かって放り投げる。
「念の為。それ防弾だから」
半信半疑で地面に着地した傘を掴むと、金属バットのように重かった。それを翼が盾のようにかかげるなり、近くにいた男も這ってきた。
「聞いてんのか? おぃっ!」
無視されていた大人が声を荒げる。
「深呼吸して落ち着いたら? それとも、鼻つまってんの?」
そこで翼も気付く。やけにガス臭いと。
「おまえ……まさかっ!」
目敏く、先ほどのスプレー缶が地面に転がっているのを見つける。状況的に、穴が開いているとみて間違いない。
「実際、こんなんで効果あるのかどうかはわかんないけど」
ここにいる人間の誰一人、彼女の疑問に答える術を持っていなかった。
「試してみる?」
今までとは違った意味で、大人の腕が震え出す。
「もしかすると、普通に撃てるかもよ?」
冷静に考えると、あの程度のガスで影響があるとは思えない。密室ならまだしも、ここは屋外。それも開けた空間で、時間も経過している。
それでも、万が一を疑わずにはいられなかった。
「まぁ、撃たないほうが賢明っしょ。どう足掻いたって、あんたは逃げられない。ここで発砲したって罪が重くなるだけで、得られるモノなんてなにもない」
さすがの彼女も実力行使は避けたいと思いきや、
「それに撃ったとしても、私は避けるし」
余計な一言。
ハッタリでも本気でも、タチが悪い。
「くそっくそっくそっ……!」
案の定、大人は冷静さを欠いていた。
翼は頭を働かせる。凛の
声を発するよりも、銃弾は早い。
「――落ち着け」
まだ煽る気か、と思うも彼女の表情は真剣そのもの。
もしかすると、今のは自分に言い聞かせた発言?
だとすれば……。
土の削れる音。凛は半身を相手に向け、つま先で強く地面を踏み込んでいた。
空気が引き締まる。
大人の呼吸と漏れ出る意味のない言葉。
男二人は傘に隠れて、女が一人で立ち向かっている。
――なにをやっているんだ……俺は!
理性と感情が翼の中でせめぎ合う。
まだ、期待している自分と諦めている自分。このまま、ただの高校生として生きていきたいのか、それとも変わりたいのか。
一緒に伏している男は完全に見守る姿勢――これが普通の反応だ。
素人が動いていい場面じゃない。
けど、凛はHを使っていた。それも二回――落ち着け、と。
数十秒の間に二回も自己暗示をかけていたことからして、凛だって平気なわけじゃない。
――じゃぁ、どうする?
最近ではお馴染みの、答えが出ない問答が翼を悩ませる。
『前借り』を使えば、即死でない限りは当たっても大丈夫なはず。
つまり、避けなければならない凛よりは危険性が少ない。
この傘も、おそらくはブラフ。
適度な重さと、開いた状態でさえ先端が長く飛び出していることからして、これは本来盾ではなく武器として使われる代物。
それを偽って聞かせたのは、狙いを自分だけに留める為――俺を人質にさせない為だ。
――って、なんだよそれはっ!
そのことに気づいた瞬間、
「うぉぉぉぉっ!」
翼は馬鹿みたいに吠え、突撃体勢。
頭の中でふざけんな、ふざけんな、ふざけんなっ――と、傘で首から下を隠すように馳せる。
叫び声に引かれ、男の首が激しく揺れ動く。されど、銃口は変わらず凛を定めたまま。
それがブレ、翼に向かおうとしたその時、
「――行けっ!」
凛の砲声。
一瞬の隙に銃を握った大人の手を蹴り上げ――そこで、目を見張る光景。
蹴りの勢いのまま、凛がこけた。
「あぁぁぁぁぁっ!」
状況が状況だけに、翼はそれを見て焦ってしまった。先ほどとは別種の怒りに呑まれ、喉を酷使した音を吐き出す。
異常な響きに大人は翼のほうを向き――衝突。反射的に減速が期待される場面であっても、翼は躊躇しなかった。
傘を突き立て、強い抵抗を感じてなお踏み込み、大人と一緒に地面に転がる。
「はぁはぁ……」
翼は興奮のまま息を吐き出し、
「馬鹿っ!」
凛に突き飛ばされる。
「なにしやがっ――!」
激しい落下音。
地面で軽く弾んだ拳銃を見て、翼は文句を呑み込んだ。
「ったく、なにしてんのよ。ただの高校生が。無茶しちゃって」
「それは……けど、おまえだって行けって言ってくれたじゃんか」
「あれは私に言ったの!」
とんでもない勘違いに、翼は言葉を失う。
「まったく、危ないったらありゃしない」
凛は大人の状態を確かめに近づき、
「あちゃー……やっぱ、折れてるか」
背筋を冷やす診断を口にした。
「マジで? 俺が……」
「自惚れんな馬鹿。折れてんのは、私が蹴り上げた手」
「……手?」
「そう、手。あんたの所為で、変な命令になっちゃったからね」
「おまえのHって、いわゆる『言霊』的な奴だよな?」
「ほぼ正解だけど、満点じゃない」
「どういう意味だ?」
「教えない」
素っ気ない態度に苛立つも、
「あんたが何者か、はっきりさせるまではね」
添えられた答えは、納得がいくものだった。