第46話 そして、少年少女は生きる
文字数 2,360文字
絡まれる可能性を考慮すると人通りの多い道を選ぶべきなのだが、彼の足はひとけのない方向へと向かう。
そういった場所で誰かと出会うと、悠は高確率でカモと判断される容姿なのだが、本人はまったくもって気にしていなかった。
それよりも、自分の機械的な右腕が誰かとぶつからないことを気にかけ、悠は人通りの少ない道を無意識的に選ぶ。
幸いにも、今度は誰にも会わずに大通りに出た。
逆に、悠のほうが見つけてしまった。
双葉と話していた影響だろう。悠の視線はいつもより上へと向かい、使う人がまずいないであろう歩道橋へ。
そして、そこから忙しなく車が走る道路を見下ろしていた少女に気づいた。
すぐ下に信号機が設置された横断歩道があるからか、歩道橋を使う人はいない。
かといって、他の誰かが歩道橋にいる少女を気にかけている様子は見当たらなかった。
実際、双葉と話していなければ悠も見逃していたかもしれない。下を見て歩く癖はないものの、上を見て歩く趣味もないのだからだ。
これもなにかの縁だろうと、悠は歩道橋に足をかける。
そうやって同じ高さに着くも、少女の視線は動かない。ただひたすら、道路を走る車を見ている。
「――飛ぶのか?」
こちらに気づている様子はなかったが、少女は驚きもしなかった。緩慢な動作で顔を向け、今にも泣きだしそうな表情で悠を見上げた。
髪型とシックな装いから同年代かと思ったが、もっと年下のようだ。
「ここから飛んで、死ぬつもり?」
丁寧な言葉で繰り返すと、少女は頷いた。
「どうしてまた?」
悠は不躾に聞く。
これもまた、双葉の影響だった。
「……お姉ちゃんが死んだから。わた、しを……庇って」
少女は振り絞るように零すも、
「それで?」
悠は淡々と先を促す。
「みんな……わたしが死ねばよかったって……思ってる」
危うい響きでありながらも、少女は涙をこらえて言い切った。
「どうして、そんなことがわかるんだ?」
その言葉が核心に触れたのか、
「――知らないっ! けど、わかるんだもん! わかるから……もう、生きていたくない」
少女は感情的に吐き出した。
「だから、わたしが死ねば……」
堪えきれず泣き出した少女を前にしても、悠の感情は動かなかった。
ただ、少女の言葉の真偽を確かめる為にはどうすればいいかを考え、口にする。
「おれも死にたいと思っているんだ」
少女は年齢に不釣り合いな眼差しで見つめながら、
「……どうして?」
「自分が死ぬべき人間だと思うから」
「……ほんとうにそう思っているんだ」
「あぁ。けど、死ねないんだ。神様にちょっと、面倒な命令をされたもんでね」
少女は心底、驚いた顔をした。
信じられないといった具合に顔を上げ、
「それは、どんな?」
好奇心を抑えきれない形相で質問した。
「まだ、死ぬなって。遠回しに、誰かを幸せにするまで死んでは駄目だって言われた」
「……神様に?」
「あぁ、神様に」
馬鹿みたいな答えにもかかわらず、少女は真剣に耳を傾けていた。
「だから、ちょうどいいや。きみの為に生きてもいいか?」
「……え? なんで?」
「さぁ? なんでだろうな。誰かって言われたとき、どうしてだが年下の女の子の顔が浮かんだんだ」
悠は無造作に左手を伸ばし、少女の頭に乗せる。
「そう、このくらいの女の子だった……」
撫でらるれまま、少女はじっとしていた。
そしてそのまま、
「本当、なんですね。嘘みたいなのに、あなたの言っていることはぜんぶ……
なにかを諦めたかのような口ぶり。
「みんな、嘘しか言わないと思ってたのに。だから、わたしは死のうと思ったのに……」
頭に置いていた左手を肩に滑らせて、悠は抱きしめる。幼い子供をあやすように優しく、少女が落ち着くまでひたすらに待つ。
「ねぇ……」
ちゃんとした声だったので、悠はそっと身体を離してやる。
「あなたがわたしの為に生きるなら、わたしはあなたの為に生きてもいい?」
少女は泣きはらした顔でありながらも、堂々とした姿勢で申しでた。
「おれの為じゃなく、自分の為に生きれば?」
「無理だよ、そんなの。わたしはわたしが大嫌いだもん」
「そっか」
なら仕方ないと言わんばかりに、悠は少女の要請を受け入れる。
「じゃぁ、おれはきみの為に生きるから――」
「――わたしはあなたの為に生きます」
被せるように、少女は宣言した。
「だから、名前を教えてください」
「――秋月ハルカ」
意図せず、悠の口から漏れ出した嘘。
少女は気付いたはずなのに、
「……なんで、そんなに嬉しそうな顔で、嘘を吐いているんですか」
笑って許してくれた。
「……嬉しそう? おれ、が?」
「えぇ、とっても」
指摘されても、自分ではわからない。
ただ、今日からこのコの為に生きればいいのだと思うと、不思議と心は軽くなった。
だけど、罪だけは決して忘れずに――
「あぁ……だから。だからおれは、秋月ハルカと名乗ったんだ……」
少しだけ、悠は思い出す。
昔の自分を――彼方に褒められていたあの頃を。
そう、自分は幼い弟分や妹分の為に頑張っていた。
だから、この決断はきっと間違っていない。
「それできみの名は?」
待っていたのか、少女は満面の笑顔で答える。
「わたしの名前は――」
そうして、懐かしい響きが悠の胸をくすぐった。