第32話 そして、誰もが翻弄される
文字数 5,003文字
何度やっても結果は同じ。
異能力者は二人と一人に分かれている。
それでも、思い出したかのように彼方は『感知』を行使して――
「……四人目、だと?」
しかも、二人が近づいている。
そのことからASHの新手を疑うも、違う。
いつの間にか、離れている一人も同じ場所に向かっている。その速度から、一人のほうが初葉ではないと、今更ながらに気付く。
「どうなっている?」
手塚に電話をしても繋がらない。父親も同様。
――いったい、なにが起きているのか?
彼方はいてもたってもいられずに、外へと飛び出した。
指揮車の中は再び、騒々しくなっていた。
「〝対象〟と〝羽のお客さん〟が〝ステージ〟に到着」
「〝娘さん〟が動き出しました」
「〝鈴のお客さん〟が追跡を断念」
錯綜する情報の中でわからないのは、何故、このタイミングで秋月彼方が動いたのか。
鈴宮凛は単純なガス欠、ガソリンスタンドに入ったところまで確認できた。
状況からして、次は羽田翼と合流すると考えていい。
「〝ステージ〟の状況はどうだ?」
時間的に、鈴宮凛も秋月彼方も間に合わない。
問題なく、〝作業〟を終えられるはず――
「〝役者さん〟応答しろ」
なのに、〝ステージ〟の作業班から一切の応答がなかった。
「確認、行きましょうか?」
朱音初葉と羽田翼の到着を報告した者から、進言。
「いや、おまえが動くと〝迷子〟の対応ができなくなる」
彼は付近のビル屋上で、第三者の存在を監視する役目があった。
「仕方ない。〝羽のお客さん〟は放っておこう」
多少の面倒はあるが、羽田翼がいたとしても致命的な支障はない。
「了解しました」
都合よく、朱音初葉と羽田翼はまだ突入していなかった。羽田翼の判断なのか、周辺の様子を確かめているとのこと。
「なにがあった?」
肝心な場面である。
厳選に厳選を重ねただけあって、不良たちは茅野由宇に手を出してくれた。
あとは、それを朱音初葉が見つければいい。
そうすればきっと、彼女は怒り狂う。
その感情に任せたまま異能力を発揮してくれれば、計画を無事に終えることができるというのに――
「〝対象〟と〝羽のお客さん〟〝ステージ〟に突入します」
逸る初葉をなだめながら、翼は周囲の確認をしていた。軽く廃ビルを一周するも、人がいる気配もいた気配も見当たらない。
建物は四階建て、窓は全て閉まっている。
どれだけ放っておかれたのか、壁には植物の蔓が張り付いていた。頑張れば近くの木から窓の中を窺うどころか、侵入さえできそうだ。
「ねぇ、早く行こうよ」
大事な家族が人質にされているからか、初葉は落ち着きがなかった。
「少しは落ちつけ」
窓を凝視するも、変化はなし。いったい、何処に入り口を監視する者はいるのやら。
周囲のビルを見上げるも、見当たらない。
いや、いないと判断を下すよりも、自分では『朧』の影を捉えられないと見るべきだろう。
携帯を確認すると、数分前に凛からのメッセージ。
どうやら、追跡は諦めて合流するようだ。
だが、さすがに彼女が来るまでは待てない。
この廃ビルにいることを示すよう、ヘルメットを入り口に置いて、
「んじゃ、行くか」
罠を考慮して、翼が先導する。
と、上階から人の気配。間隔を置いて、なにか騒々しく響いてくる。誰かいるみたいだが、隠れてはいない。
耳を澄ましてみると、微かに物音が聞こえる。
――いったい、なにが目的だ?
「ねぇ、入っていい?」
翼はまだ、初葉のHを知らなかった。凛を信じるなら、超人的な身体能力を発揮できるみたいだが、
「なぁ、嬢ちゃんのHにリスクはあるか?」
「……使い過ぎると、物凄く疲れて眠くなる」
真面目なトーンで聞いたからか、初葉は素直に答えてくれた。
「それだけか?」
「あとは……本当かどうかわからないけど、記憶を失う」
「……マジか?」
「たぶん。だって私、昔の記憶ないし……あと、先生にそう言われた」
とうてい、無視できないリスクを教えられ、翼は閃く。
もしかすると、『朧』は初葉にHを酷使させ、記憶を失わせるつもりではないかと。
「嬢ちゃんは確か、施設で暮らしているんだよな?」
「うん。私、記憶喪失で家族も死んじゃってたみたいだから」
もし、初葉が記憶を失くしたとしてどうなるかを翼は考える。
いわゆる、孤児の保証人になるのは児童養護施設の施設長。
なら、買収は容易い。
いや、そんな危険な真似をせずとも養子として引き取ればいい。
既婚している警察官なら、里親として充分過ぎる。
「嬢ちゃんも入っていいぞ」
そうなってくると、初葉をこの場に置いて行くのは得策ではない。
「とにかく、俺が先導する。俺がいいって言うまで来るな」
納得がいかないのか、初葉は返事をしなかった。
「わかっていると思うが、嬢ちゃんの家族が攫われたのは嬢ちゃんのHが原因だ」
自覚はあったのだろうが、初葉は傷ついた顔をした。
「だから、絶対にHを使うな。敵の思う壺だからな」
翼は説明を端折った。
推測が正しいなら近江悠と茅野由宇は人質ではなく、初葉に理性を失わせる為の引き金の可能性が高い。
「それは大丈夫。先生とも約束したもん。力は絶対に使わないって」
だとすれば、二人は初葉を怒らせる状況に陥っている可能性がある。
「そうか。でも、俺が逃げろと言ったらHを使って本気で逃げろ」
どれだけ強く誓ったとしても、大事な家族が傷つけられている現場に遭遇してしまえば無意味だ。
「約束も大事だが、それを守って嬢ちゃんが傷ついたら、先生だって嫌だろう?」
少なくとも、翼には耐えられない。
自分の大事な人が目の前で傷つけられ、近くに犯人がいればキレて突撃するに決まっている。
「それは……そうかもしれないけど」
「安心しろ。嬢ちゃんの家族は絶対に助けてやるから」
だから、初葉に前を歩かせる訳にはいかなかった。
もし予想通りの展開になっていたら、自分一人の力で障害を取り除く。
程度は違えどHを持つ仲間意識に加えて、初葉は妹と同じ年。
翼は溜息一つで覚悟を決めた。
「それじゃ、行くぜ」
返事はなかったものの、初葉は言う通りに動いてくれた。翼の許しがあるまで、待機。じれったいだろうに、我慢してくれている。
一階、二階、三階と誰もいないが、階が上がるにつれ物音は激しさを増していた。
リンチでもしているのかと、翼は冷や汗をかく。近江悠か茅野由宇、どちらか二人の悲鳴がしたら完全にアウトだ。
四階に進む階段の途中で、
「……っぁ!」
はっきりとした人の声を翼は拾った。
「嬢ちゃんは、下で待っていろ」
声の種類は苦痛。くぐもった響きからして、口でも塞いでいるか喉をやられたか。
「敵がいる。数が多いから、俺が許可するまで絶対に来るな」
聞かせる訳にはいかないと、翼は適当な理由をでっちあげる。
「あと、五分経っても戻ってこなかったら逃げろ」
こんなことになるなら、凛から武器を借りておけばよかった。
「――いいな?」
結局、初葉は返事をしなかった。我の強い女だと、翼は内心で呆れ果てる。
だとすれば、自分が頑張るしかない。
翼は階段を上りきり、四階のフロアに足を踏み入れる。階下と似たような造り。長い廊下の左右、正面に広い空間がある。
ただ、部屋の数は三つだけ。
どうやら階下と違って、一部屋の面積が大きいようだ。そうなると、敵の数は一〇人近くいるかもしれない。
また、何処かに伏兵がいる可能性もある。
それにしても、静か過ぎる。物音も悲鳴も――どうして、こんなにおとなしい?
まさか、仮説が間違っているのか?
どちらにせよ、『朧』が初葉のHを恐れているのは間違いない。じゃなければ、こんなにもまどろっこしい手段を取るはずがない。
リスクを犯してまで、近江悠と茅野由宇の二人を巻き込んだ理由は――やはり、人質か引き金のどちらか。
――なら、どうして俺を放っておく?
普通に考えて、自分にも邪魔があるべきだ。
たとえ、自分が羽田翼であるとバレていなくとも邪魔者には違いない。
――駄目だ。ぜんぜん、わからねぇ。
翼は考えるのを諦めた。答えの出ない問答を繰りかえして、また暴走でもしたら目も当てられなくなる。
――あの時はただ、自分に必死だった。
けど、今は違う。
守るべき者がいる以上、冷静でいなくちゃならない。
なにが起ろうとも、初葉だけは逃がす。
翼は音の発生源に近づいていく。
奥の部屋、扉が――動いた。
咄嗟に壁に張り付き、翼は息を潜める。
警戒する中、静かに扉が開き……出てきたのはチャラい男。尻餅を付いたまま、後ずさっている。
目を逸らせないナニカがいるのか、翼には気付く気配すらない。男は耳と胸辺りに手をあて、激しく唇を震わせていた。
「……らっ、ない……」
扉が開いたことで、聞こえてくる声が鮮明になった。
「……らない、っらない知、ら、ない……」
顎でもやられたのか、汚い発音。翼は壁に沿って、確実に歩みを進める。入り口にいる男が邪魔だが、あれだけ怯えていれば声をあげる心配はないだろう。
翼にも憶えがある。本当に恐怖を覚えると、声なんて出せないのだ。
「……うか。おまえも、知らないのか……」
淡々とした響き。いったい、どういう状況だと翼は軽く混乱をきたす。
「……んで、誰も知らないんだよっ!」
急な転調に翼の心臓が跳ねる。声の主は同じだろうが、なんだこの変貌は?
怒声と共に鈍い音――きっと、これが階下に響いていた音の正体。
おそらく、誰かの頭が壁か地面に叩きつけられた。
そしてたぶん……その誰かは死んだ。
断末魔にしては静かだったか、間違いなく翼は聞いた。やっ……と。息絶える前の、助けを求める声を。
「なんで、なんで……っ!」
またしても転調。今度は泣き声。この世の全ての不幸を背負っているかのような、悲しい旋律。聞いているだけで、頭がおかしくなりそうになる。
どうにかして、翼は扉口に辿り着いた。
入口の男は気付いていたが、やはり声は出さなかった。
隠れるように中を覗き込むと、死体が幾つか転がっている。やったのは、青いコートを着た男か?
一人だけ立って、泣いている。
「おまえらが言ったんだろぉっ! 誰かに頼まれたって、仕事だって! なのに、なんで知らないんだよっ!」
男が喚き散らす。死体の頭を執拗に踏み潰しながら、子供のように癇癪を起して泣き叫んでいる。
――狂っている。
関わり合いになりたくないが、奥に女っぽい人影を見つけた以上、そうもいかない。
女はこの状況で、ピクリとも動いていなかった。
確かめなければならないと、翼は一気に中へと飛び込む。
奇襲最高、不意打ち万歳。
男が死体を踏みつけるタイミングで、翼は床を蹴った。体格的にはこちらが勝っているので、マウントさえ取れば勝ったも同然。
男がこちらを向くも、遅い!
そう、思って駆けた足が何故か失速する。
「――えっ?」
心臓が大きく鳴った。そのまま、鼓動が一気に早まっていく。
――なんで?
と、自分の足を見ると震えていた。
翼には訳がわからない。身体中に悪寒と痺れが走っている。
まるで、恐ろしい高所に立たされたみたいに――男と目が合った瞬間、翼は恐怖に呑まれた。
硬直した翼の首を男が掴む。
殴るように激しく――同時に足払いをかけられて、翼は固い床に後頭部を叩きつけられた。