第28話 翻弄される子供たち
文字数 3,237文字
「思ったより寒くないねー」
真ん中にいる由宇が一人、突出していた。
グレーのニットワンピースに黒のストッキング。そこだけを切り取れば大人っぽいかもしれないが、ぶかぶかのダッフルコートが年相応の幼さを醸し出している。
「いや、寒いから」
右隣の初葉がぼやく。
真っ赤なモッズコートの下は、黒のセーターに紺のスキニーパンツ。ファーコートまで被って身を縮めているからか、ムートンブーツを履いた由宇よりも遅い歩み。
「神社まで行けば人が多いから、温かくなるんじゃないか?」
初葉のすぐ後ろに悠。
青のトレンチコートに手を突っ込んで、姿勢を正して歩いている。
それでいて、初葉よりも僅かに背が低い。せめてブーツを履いていれば言い訳ができるも、彼女も自分も平らなスニーカー。
「私は今、寒いの」
初葉が顎で前を示す。
由宇の傍にいなくていいのか、と言いたいのだろう。
「なら、手でも繋ぐか?」
いつもならそうするが、今日に限っては初葉の面倒も見なくてはならない。彼方との約束に基づいて、悠は手を差し出す。
「……近江、あんた寝ぼけてんの?」
「かもな」
数秒間、二人は視線を合わせたまま。
「結構っ」
先に初葉が逸らして、小走りで由宇に抱きつく。
「あー、温かい」
「ちょっ! 初葉冷たーい」
楽しそうに、由宇は不満を口にしていた。二人の仲睦まじい姿を、悠は保護者のように数歩離れた位置から眺める。
だから、一番先に不審な人物に気付いた。
「初葉、由宇」
声色から察したのか、二人は黙って振り返る。悠は目線だけで近くに来るよう伝えるも、従ったのは由宇だけ。
「おぃ、初葉っ」
こちらの言わんとしていることはわかっているようで、彼女の視線は前方に向けられていた。
距離にして、およそ五〇メール。
信号機すらない、十字路のど真ん中に女がいる。ライダースーツにヘルメット。背もたれているバイクにエンジンはかかっていないのか、静か。
どう見ても怪しかった。
止まっている場所は非常識だし、ヘルメットからはみだしている髪は人工的な赤色。
周囲には家が幾つかあるものの、季節柄か窓は開いておらず人目はない。
いつエンジンがかかるか……悠はヘッドホンを備えておく。また、再生スイッチをいつでも入れられるように、右手はポケットに突っ込んだまま。
「黙って横ぎれば大丈夫だろう」
引き返すと因縁を付けられる危険性があったので、悠は無視して進むことにする。
徐々に近づくかと思いきや、女も同じ方向へと歩き出した。
不可解にもバイクを手で押したまま、跨る気配すらない。
「右に回るぞ」
遠回りにはなるが、不審な女の後ろを歩くよりはいいと悠は二人に伝えるも、
「ごめん、近江。由宇をお願い」
初葉は無視して、駆けだした。
「おぃ、馬鹿っ!」
悠は空いた手を伸ばすも、届かない。一人なら追いつけなくもないが、由宇を置いていく訳にもいかず。
どうすべきかと悩んでいると、何処からかバイクのエンジン音。意識したと同時に足は止まり、指が再生ボタンを押す。
由宇の手が身体に触れるも、なにを言っているかまではわからない。音楽は余計な音だけでなく、大切な言葉まで掻き消してしまう。
「はぁ……っ、待て、初葉……」
立ち止まり、こちらを振り返っていた初葉に向けて吐き出す。
しかし、悠の声はかすれて届いていなかった。
再び、初葉が背を向ける。
それを見て、悠は苛立つ。
自分では、ちゃんとした大声を出せている気になっているからだ。
「……ぃ、初、葉ぁ……」
音楽で聞こえないけど、自分の声は届いている。
なのに、どうして聞いてくれないのか――
悠は気付かない。自分の声の悲痛さに。
それを聞いた初葉が、どんな感情を抱いたのかも知らないまま、彼女の背中を見失ってしまった。
「おにいちゃんっ!」
イヤホンから漏れ出ている音量からして、聞こえないのは当たり前だとわかっていながらも、由宇は声をかけ続けていた。
答えは一向に返ってこないにもかかわらず、何度も何度も呼びかける。
それしか、由宇にできることはなかった。
自分なんかに、初葉が止められるわけがない。
――だって、初葉は怒っていた。おにいちゃんを苦しめている誰かに対して、本気で怒っていた。
由宇に止められるはずがない。
自分だって同じ気持ちだったから――力があれば、きっと初葉と同じ選択をする。
だから、悠の傍にいるしかなかった。
「おにいちゃん、おにいちゃんっ!」
懲りずに肩に触れ、呼びかけるも返事はない。悠は目を閉じて、地面に丸まっている。歯を食いしばって、息を殺すように呼吸をしている。
「――大丈夫ですか?」
急な声に、由宇は警戒する。いつの間にか、近くに車が止まっていた。運転席の窓から長い髪の女性が顔を出して、こちらを見ている。
「なにか、あったのですか?」
親切な物言いだが、直感的に演技だと由宇は悟る。仕事だから、仕方なく優しくしているだけの先生や学生ボランティアと同じ雰囲気。
この手のタイプに甘えては駄目だと、
「大丈夫ですっ」
由宇は首を横に振る。
「大丈夫って……」
拒絶されたのが意外だったのか、女性は戸惑った様子で口元に手をあてる。
だから女性の口が、
「――プランB」
と動いたのに、由宇は気付かなかった。
初葉は自身の身体能力だけで走っていた。
散々釘を刺された上に約束までしたのだから、そう易々と破る訳にはいかない。
「ちょっと待って!」
それなのに、大人しくしているという選択肢を初葉は選べなかった。悠の怯えた顔と声を思い返す度に、いてもたってもいられなくなる。
「待ってって!」
不可解にも、目の前の女も自分の足で走っていた。
初葉にとっては好都合であるものの、些か腑に落ちない。あと少し。そう、自分を奮い立たせて走っていると、女が止まった。
着信でもあったのか、携帯を取り出し――
「えっ!?」
放り投げた。高く、放物線を描きながら、初葉に向かって落ちてくる。
反射的に初葉の足も止まり、見上げると絶妙な位置だったのでそのままキャッチする。
と、激しいエンジン音。
初葉があたふたしている間に、女がバイクに跨っていた。
「なんのつもり?」
警戒し、距離を取ったまま問いただす。
返事は期待していなかったが、
「――それ」
指をさされた。
「これが……」
――なに? と、問いを重ねる前に端末が手の中で震えた。
しばらく画面を覗き込んでいると、一枚の画像が映し出される。
「えっ!?」
一瞬、初葉は自分の目を疑った。
「……なんで」
無意味に来た道を振り返り、
「近江! 由宇!」
二人の名前を叫ぶも、返事はない。
「二人になにを……!?」
責める前にまた、端末が震える。
今度は動画のようで、求めている答えを教えてくれた。
大人の手が由宇の口を覆い――意識を失った彼女を知らない車に連れ込む。悠も同じように、運ばれている。
「二人を助けたかったら、地図の場所に一人で来て」
「地図って!」
「すぐに送られてくる。それまで、待っていて。もちろん、このことは誰にも言っては駄目」
――勝手なことを!
力を使いそうになるも、初葉は堪える。
ここでこの女を捕まえたら、二人がどうなるか……!
だから、初葉は見送るしかなかった。
走る去っていくバイクを。ヘルメットからはみ出した、人工的な赤い髪の毛を――