第16話 羽ばたいた翼
文字数 2,120文字
凛が真面目な女子高生に変装して、ASHのボスがその父親を演じ――翼の怪我を名誉の負傷にしたのだ。
絡まれていた女の子を助ける為に、不良に立ちむかったと。
翼からすればそれも嫌だったが、代案が浮かばなかったので仕方なく茶番に付き合う羽目になった。
慣れているのか、凛たちは見事な演技で両親を欺いてくれた。
ただ妹だけは半信半疑で、
「本当にツンちゃんがそんな格好いい真似したのぉ?」
二人が帰ったあとに、疑惑を向けてきた。
「これからは、兄を敬ってもいいぞ?」
口調だけは冗談。内心では本気の台詞をぶつけると、
「うっさいちび」
許されない一言。
「てめー! 誰がちびだ誰がっ!」
「おかーさーん、ツンちゃんがイジメる」
散々な目に遭ったというのに、最後の最後はいつも通りの日常で翼の一日は終わった。
車の中でカツラを取るなり、
「思ったよりも似合ってたな。おまえの真面目な制服姿」
ボスがそんな感想を漏らした。
「そりゃ、年齢的には現役ですから……ってもしかして、趣味だったとか?」
「……違う」
冗談なのに、ボスは不機嫌に吐き捨てた。
「それでやっぱり、『朧』が動いてました?」
これでは真面目な話しか応じてくれないだろうと、凛は切り出す。
「あぁ、おまえの推測通りだった」
「私が乱入する前から監視してましたからね、あいつら」
「わかっていて、おまえは飛びこんだのか?」
怒っているのか、車が乱暴に揺れる。
速度違反、と茶化してやろうかと思い浮かぶも、今は洒落にならないだろうと凛は堪える。
「すいませんでした。羽田翼がただの高校生とは違った選択を選んだものですから、つい……」
あの時、翼は立ち向かった。
無力な人質でいられたのに、それを良しとしなかった。
それが嬉しく嬉しくて、凛はつい乱入してしまったのだった。
「これで羽田翼がウチに来なかったら、最悪だな」
「――えっ!? ボスっ、勧誘してないんですかっ!」
「言っただろう? あいつから来るまで待てと」
「いや、それはそうですけどっ! いまは『朧』も狙ってるんですよ?」
現に、凛は長々と付き合わされた。お互いに黙秘という、実に無駄な時間だった。
「いや、少し気になってな。手塚の奴、やけにあっさり引いたんだ」
「そりゃ、ボスが外出するのって何年振りですか?」
「そのことに関しては、驚いてはいなかったさ」
「そりゃぁ、そうでしょう」
どちらも、群衆に紛れる顔。体格、顔つき、髪型、雰囲気、表情。二人共、諜報・スパイが主な仕事だったらしいので、隠密技能は見事なモノである。
「でも、手塚が動いてたってのは気になりますね」
こちらはボスを動かすというイレギュラーでもって応対したというのに、向こうは顔が割れている手塚が動いていた。
「偶然か、それとも必然なのか……」
ボスの独り言に対する答えを、凛は持っていなかった。
あの騒動から二週間と少し。
翼はやっと幻肢痛と謎の疲労から解放された。
見事に一週間という読みが外れたというわけだ。
「やっぱ、利子が増えてるよな……」
どういう計算式なのかは不明だが、今回の件で思い知る。
連続して使うのはマズいHだと。
「いや、治ってない身体を酷使するからか?」
それとも、ショック死しないように無意識の内に数日間は借りているのか?
「……わからん」
高校生の頭で解明できるものではないと、翼は考えるのを諦める。
それにもう、一人で考える必要もないのだ。
凛にすら言っていないものの、翼は覚悟を決めていた。
目覚めた経緯を考えると、どうしたって自分のHは好きになれそうにない。
それを使って、自分が得をするのも嫌だ。
だから、手塚の思惑には乗れない。
警察官、それも警視庁の公安部となればエリートコースである。
それに今回の件で、『前借り』ありきの生き方では、そう遠くない未来に破産するのがわかってしまった。
――年齢的にもう、未来の自分が今よりも優れているとはいえなくなってきている。
どちらにせよ、これで翼の人生は監視される運命に決まった。
あとは普通に生きて緩く監視されるか、ASHに入ってキツく監視されるかになるのだが、翼は後者を選んだ。
人とは違う力があるからではなく、変な宗教に入っているから監視されていると思うほうが心理的に楽だったからだ。
「すいませんが、最上階にいるボスに会いたいんですが?」
そうして、翼はASHにやって来た。
「アポイントメントはお取りでしょうか?」
軽い気持ちで。
今はまだ、立場は変えても生き方まで変えるつもりはない。
「いえ、取ってないです。けど、こう伝えてくれれば問題ないと思います」
たとえアッシャーと崇められようとも、自分だけは絶対に誇りに思わない。
「――アッシャーの羽田翼がやって来ました」