第44話 近江悠の使い道
文字数 1,605文字
繁華街の路地裏で一人の男が喚いていた。
「てめー、憶えていろよ。絶対に後悔させてやる。おまえだけじゃなくて、おまえの家族や恋人にも――っ!?」
怨嗟の声を向けられていた黒い手袋をした少年の右手が、男の口内に押し込まれる。
「……っ、め……な、に……しやが……」
「……簡単な算数の問題」
少年は淡々と漏らす。
「もし、あなたがおれの大事な人を傷つけたら、きっとおれはあなたを殺す。だったら、いまここであなた一人が死んだほうがいい」
男の顔は恐怖で滲んでいた。噛みついた手が人間のモノではなく、硬い金属であることに気付いて――
太陽に下で、男を一人窒息させていながらも少年――近江悠は平然としていた。
「……また、殺したのか?」
いつからいたのか、手塚が近づいて来た。
「見ての通りです」
悠はずれた手袋を悠長に直す。その下は機械的な腕――見た目を度外視して、機能性のみに重点を置いた筋電義手。
悠の右腕は壊死していたので、斬りおとされていた。
「でも、止めなかったってことは殺してもよかったんですよね?」
「……腕の調子はどうだ?」
手塚は質問には答えず、はぐらかした。
「痛いです。けど、これでいい」
「痛い、か」
本来なら、筋電義手は一カ月で扱えるものではない。少なくとも、七割の人間は幻肢痛から装着を拒否するとされている。
それを、悠は痛いの一言で済ませた。
「これでいいというのは、罪の意識か?」
「すいません。昔の話は止めてくれませんか?」
明らかに、空気が変わる。
「殺したくなるんで。あなたも、おれ自身も――」
「……わかった」
慣れていながらも、手塚は気圧された。
「もう、今日は帰れ。私は他の仕事がある」
「はい」
現状、悠は監視抜きで外出が許されなかった。
いつ、何処で、誰を殺すかわからないからだ。
結局、彼の異能力は『感情の増幅』と定義された。コントロールいった操作は効かず、ただ抱いた感情のみを増幅させる力。
本人もわかっているのか、以来、感情のほとんどを殺していた。
自分の娘が死んだことを聞いても、秋月朧は取り乱さなかった。
それどころか、娘を殺した少年と平然と会話もしていた。
「彼を、どうするんですか?」
報告を終えた手塚が尋ねると、
「頭に電極でも埋め込むか?」
さらりと、とんでもないことを口にする。
「彼の場合、微弱な電気でも効果がある。最悪、スイッチのオンとオフさえできれば、充分に使えると思わないか?」
真っ当な使い方でなければ、近江悠の利用価値はあった。
たとえば、凶器を所持していると思われる相手にぶつける。
そうすれば、相手は確実に武器を抜くので、銃刀法違反で逮捕することができる。
他にも、国のVIP。
悠を近づければ、護衛の人間は高確率で銃を抜くだろう。
素手の少年相手に発砲したとなれば、護衛はおろかVIPの立場にも傷をつけることができる。
「とりあえず、しばらく様子を見る。それで決めよう。頭に電極を入れるかどうか」
もしそうなれば、彼は人ではなく文字通り道具となる。
「しかし……やはり、異能力者を放っておく訳にはいかないな」
「えぇ、全ては彼が原因です」
近江悠。
想定していなかった異能力者が計画の全てを破綻させた。
「ならば、もっとASHには頑張って貰わないといけないな」
大々的に異能力者を集められるのは、ASHしかいなかった。
「それなら、問題ないでしょう。ちょうど、不在だった神が現われたのですから」
まもなく、朱音初葉と名乗っていた少女が現人神として祀られる。
彼女は名を冨樫双葉に改め、宗教法人ASHのシンボルになろうとしていた。