第3話 正義の味方
文字数 3,460文字
英語で灰のこと。転じて灰色を指す。
家に帰った翼は自室のノートパソコンで色々と調べていた。
まず、宗教法人ASHのホームページ。
しかし、そこにはASHの意味が記載されていなかったので辞書検索したのだが、結局はわからずじまい。
「つーか、怠慢過ぎんだろ……」
興味本位で他の宗教法人のサイトも覗いてから、翼は独り言ちる。
どこも、きちんと名称の意味や掲げる理念、神について説明していた。
建物もそうだ。
他所はゲームに登場しても違和感がないほどなのに、ASHは住宅街では際立つレベル。
はっきり言って、手抜きもいいところ。
そもそも、信仰する神すらいないのがふざけている。
「つまり、『内なる光』的教典か?」
一人一人の内に、神は宿る。
「教祖もいねぇし、特定の個人崇拝もない。なのに、奇跡がある。いや、正確には超能力とは異なった超能力がある、か」
とにかく、その力を持った者がアッシャーと呼ばれているようだが……
「なんで、
これまた説明はなく、当然のように書かれている。
超能力とは異なった超能力――すなわちHを持つ者、と。
検索して、フランス語でアルファベットのHをアッシュと読むとわかったが、さすがに関係はないだろう。
失われたH、発音しない無音のH。
パッと思いつくのはブランドの……
「
「買ってくれるの? ツンちゃん」
独り言にまさかの返答。
「てめー勝手に入ってくんなよ。ナニしてたらどうする気だ?」
振り返ると同時に翼は言ってやるも、
「もちろん、見なかったフリをして扉を閉める」
悪戯っぽく笑って、妹は近づいてきた。
「それにちゃんとノックしたんだけどなぁ~って、えっ? ツンちゃんってば宗教に入んの?」
「ちげーよ。つか、勝手に見るな」
軽蔑の気配に翼は否定する。
親の耳に入ったら面倒なので無視するわけにもいかず。
「今日、勧誘されたんだよ」
名刺を見せてやると、
「あっ! ここって例のあれじゃん」
知っているのか、妹はあれ、あれと甲高い声を連ねる。
半年前、身長を越されてからというもの、妹は万事この調子だった。
「ほらっ、あれだよツンちゃん」
兄を敬わないどころか、母親と同じように呼んでくる。どうせ、すぐに飽きるだろうと放っておいたのだが、一向に収まる気配がない。
「えーと、そうっ! 確か、正義の味方」
「正義の味方?」
「そうっ。友達から聞いたんだけどさ。変な男に絡まれてるとこを助けて貰ったんだって」
「この鈴宮凛って奴にか?」
「さぁ、そこまでは知らなーい。けど、どっかの宗教団体の人って言ってたから。たぶん、同じなんじゃないかなって思っただけー」
さも確信した口振りの割に、でてきたのは取るに足らない推測。
「ツンちゃんも助けて貰ったの?」
「一応な。必要なかったのに勝手に――」
「まったまたー、強がっちゃって」
聞く耳を持っていないのか、妹はにやにやと決めつけた。
「それで、この人と今度はいつ会うの?」
「はぁ? なんでそうなる」
相も変わらず、妹の話はころころと変わる。
「だって、名刺貰ってるじゃん。逆ナンされたんでしょ?」
「勧誘だ勧誘」
「えー、でもめちゃめちゃ美人だって……あっ! またまた、思い出しちゃった」
さすが私、と自賛する妹に付き合ってられず、翼は面倒くさそうに先を促す。
「……今度はなんだ?」
「正義の味方の特徴を思い出したの」
含み笑いで勿体ぶってから、妹は口にした。
「その人、すっごい綺麗な赤髪をしてるんだってさ」
記憶に残っている、鈴宮凛と一致する特徴を。
翼の通っている高校は都内にある中高一貫の男子校。
「おぃ、ツン聞いたか?」
今年で高校三年生。長い年月を共にしているだけあって、大半の同級生は翼をツンと呼び親しんでいた。
「もう、てめーで八人目だ」
うんざりだと翼は漏らす。若い女が校門前に立っているだけで、こうも騒ぐなんて阿呆らしいと。
「いや、でもかなり美人だったぞ。胸もでかかったし、脚も綺麗で――」
「だったら、帰りに声をかけたらどうだ?」
ごく自然の流れだろうに、友人は黙り込んだ。
「ツン、俺はこれでも分際ってのを弁えているつもりだ」
「言い訳がなげー。簡潔に答えやがれ」
「だって怖いもん」
この返答も同じく八回目。
「髪がめっちゃ赤いし、近くて見ると背ぇでかいし、目も猫っつーか肉食獣だし、服装も強そうだったし……」
こうして近くで見た人間の話を聞く限り、校門で待っているのは鈴宮凛に違いない。
実際、遠目からでもわかっていた。
けど、心のどこかで否定したくて、確かめてみようとは思わなかった。なのに、親切な友人たちが念を押すかのようにやってくる。
「はぁ~」
盛大な溜息と共に、翼は鳩尾に手を添える。
「どした、ツンちゃん。今日はやけにお疲れじゃん。それに腹ばっか押さえて、下痢か?」
「ちげーよ。ただ、ちょっとな……」
昨日の蹴りが痛んで疼く。
今更ながら、翼は自らの失敗を悟っていた。
どうして、鈴宮凛が疑念を抱いたのか。
そして、確信をもって手を差し伸べてきたのか。
――迂闊だった。
行きずりの相手だからと油断してしまった。
まさか、ASHのような団体が近くに存在しているなんて思ってもいなかった。
これから自分はどうなるのか、考えるだけでも嫌になる。どう転ぶにせよ、日常とは無縁の生活になるだろう。
現に教師はおろか、制服を着た警察官でさえ彼女を追い帰すことができなかったのだ。
だとすれば、手段が大人しい内に姿を見せるのが得策かもしれない。
きっと、彼女は諦めない。
これ以上、怪しげな宗教団体に身辺を嗅ぎ回られるのだけは避けたかった。
追ってこいと言わんばかりに翼は校門を駆け抜けるも、鈴宮凛は追ってこなかった。
仕方なく、一度立ち止まってから翼は顔を晒す。
じーと鈴宮凛を見つめ、やっと気付いたのか彼女も走りだす。
昨日と違って、鬼ごっこはすぐに終わった。
「なになに? もしかして、そんな下手な芝居で騙しきれると思ってんの?」
決着は鬼の勝ち。
公園に入り込んだところで、翼は捕まってしまった。
「違……う。普通に、これが、限界なだけだ……」
半分ほど嘘だが、教えてやる義理はない。
翼はふらふらと歩きながら、ベンチに腰掛ける。
「飲み物奢ったげるから、ちょっと待ってなさい」
逃げると疑っていないのか、凛はあっさりと姿を消す。
周囲が言っていた通り、彼女は綺麗だった。
容姿に限らず、立ち振る舞いも――そう、彼女の動きには一切の迷いがない。
だから、見ていて気持ちがよかった。
「はいっ――ナイスキャッチ」
不恰好であったが、茶化す声は続かない。
「うー。まさか、高校の授業ってのが六時間目で終わりじゃないとはね」
「それで、あんなに早くから待っていたのか。てっきり、プレッシャーをかけられているのかと思った」
「そうなの。私、高校行ってないからさぁ。中学と同じノリで考えてたのよ」
さらりと告げられた事実に翼はたじろぐ。
彼の常識の中では、中卒はあり得ないことであったからだ。
「……別に、高校の全てが七限まであるわけじゃないぜ。ウチはまぁ、私立の進学校だから」
けどそれは環境によるもので、それだけで態度を変える性格ではなかった。
「へー、そなんだ。大変ね、あんたも」
「そう思うんだったら、見逃してくれると助かるんだけどな」
そう言って缶の蓋を開けるなり、翼は沈黙する。
「あっれー? ノーリアクション? あんた、ノリ悪くない?」
げらげらと凛は笑い、炭酸に塗れた翼を指差す。
「でも、疑いもしないその素直さは嫌いじゃないわぁ~」
翼は内心で動揺する。
この状況でこのおふざけ――こいつ、人の気も知らないで!
「ってか、このままだと風邪ひいちゃうし――」
ごく自然に凛は通りを指差す。そこには、一台の車が止まっていた。
「乗ろっか?」