第38話 ASHの経典、赦されぬ罪人

文字数 3,513文字

 相手が顔も知らない大人に変わり、彼方は冷静さを取り戻す。

「秋月彼方、と言ったか?」
「あぁ、そうだ」
「――おまえ、子供を撃ち殺したことないか?」
 
 いきなり核心を衝かれ、彼方はせっかくの冷静さを手放す羽目になる。

「……なんで、それを?」
「やっぱり、おまえだったか」
 
 ここぞとばかりに突かれると思いきや、相手は穏やかに鳴らした。

「憶えていないか? おまえが殺した子供を見て、げーげー吐いていた情けない同僚のことを」
「……あぁ、あなたでしたか」
 
 人間らしい、と記憶にあった。
 呆然としていた自分と冷静な同僚と比べて、その人は死体を見てショックを受けていたから。

「まさか、おまえが秋月参事官の娘だったとはな」
「そういうあなたこそ、宗教を興しているとは思いませんでした」
 
 新興宗教のトップが元公安警察とマスコミに知れればは堪らないだろう。

「そうだろうな。私だって驚いている。妻子を失った自分が宗教に手を出すなんてな」
 
 空気が変わった。
 もしかすると、翼も凛も初耳だったのかもしれない。

「理由を聞いてもいいですか?」
「あぁ、もちろんだ」
 
 意外にも、快諾を得られた。

「その前に、私はあなたのことをなんと呼べば?」
「冨樫だ。今の私は、これ以外の名前を持ち合わせていないからな」
 
 同感だった。あの頃は複数の名前を扱っていたが、今は一つだけだ。 

「それでは冨樫さん、お聞かせください」
 
 彼方は気持ちを引き締める。
 内容次第では、初葉を諦めなければならない。

「単純な話さ。私の妻子が、車に撥ねられて死んだ。未成年の無免許、酒気帯び運転だった」
 
 六年も前の話だ、と冨樫は淡々と繋いだ。

「そして、その犯人はもう出所しているんだ」
 
 おかしいだろう? と、同意を求められるも返事はできなかった。

「私は、こういう事件には不慣れだったから、知らなかったが……そういうものらしいな」
 
 少年法に加え、故意ではない。
 刑期からして危険運転致死傷罪ではなく、自動車運転過失致死傷罪が適用されたのだろう。

「そこで私は色々と調べたんだ。普段、自分たちが扱っている事件とは別の事件をな」
 
 いわゆる、刑事事件。殺人、放火、強盗、強姦、詐欺……。
 冨樫は犯罪の大小にかかわらず、一年間に起きた事件の全てに目を通したと言う。

「それで気づいたんだ。私たちは、なんて馬鹿なことをやっていたんだろうと」
 
 盗聴、盗撮、尾行。
 誰かを誑かしてスパイに仕立て上げたり、自分自身がスパイになったり。
 
「――すべては日本国家の安寧の為に」

 テロは絶対に許してはならない。
 だから、テロを起こしそうな団体を監視し続ける。
 
 そうやって、毎日のように起りそうな事件を予防する。
 毎日のように、起きている事件を無視して――

「私はふと、思ったんだ。時代はもう、変わってしまったのではないかと」

 ――殺人者や泥棒を一〇〇人見逃したとしても、国は沈まない。
 ――たった一人でも、思想犯やテロリストを見逃したら国は転覆する。

「日本という国はたった一人のテロリストや思想犯の手ではなく、大勢の殺人者や泥棒の手によって沈むのではないのかとね」
 
 ――我々、公安こそが日本の未来を守っている。
 
 よく、聞かされた言葉。彼方も憶えている。
 だからこそ、なにをしても許されると教わった。

「事実、犯罪の動機は昔とは変わってしまった。金銭どころか異性すら関わらない、なんてことない事でも人は人を殺すようになった」
 
 もう、生きる為の犯罪なんて存在しないのかもしれない。
 同様に、国を脅かすテロリストや思想犯なんて者も存在しないのかもしれない。

「被害者の遺族からすればそれは堪らないんだ。それで反省されて、更生されるのも許せない」
 
 罪を犯した彼方にはなにも言えなかった。

「私の娘と妻は〝人生を強奪〟されたんだ。更生できるのは悔い改めたからではなく、他人の綺麗な人生を奪ったからに他ならない。そう気付いた時、私は警察官でいることを辞めた」
 
 そうして、未来の日本の為に自分ができることを模索し続け――宗教に辿り着いた。

「本当は自警団のようなものでも良かったんだが。それだと、面倒のほうが多そうだったからな」
 
 様々な事件を調べて、現在の法律では誰かを助けることも困難だとわかっていた。

「世界から見れば、日本という国は平和で素晴らしい。けど、やっぱり変わってきている。震災とかあった時に、助け合うのが日本人だと言われてきたが……最近ではどうだ」
 
 澱みが増え続けている。
 浄化する者がいないから、澱みは澱みのまま漂い、ぶつかり、固まり――罪になる。

「馬鹿げた話と笑ってくれてもいい。それでも、私はそう決めたんだ」
 
 ――自分たちが浄化すればいい、と。

「だって私は……正義の味方に憧れて、警察官になったのだから」
 
 それでも、自分に特別な力は目覚めなかった。
 どう考えても、自分ではなく世界や相手を責めてしまうから、と冨樫は自嘲する。

「異能力は、先天生じゃなかったんですか?」
「違う。確実じゃないが、目覚めるパターンはわかっている」
 
 ――どうしようもない理不尽に襲われてなお、他人や世界ではなく自分自身を激しく責めたてる。

「おそらく、その時に生じる精神的負荷が脳になんらかの影響を及ぼすのだろう。事実、そこの二人はそうだ。で、ハルカってコはどうだ? 自分を責めるタイプだったか?」
「……えぇ、そうです」
 
 彼方は眠っている初葉の顔を見る。
 このコは震災事故で両親を失った。
 もしかすると、その時に自分自身を責めてしまったのだろうか? 
 それとも、それ以前から力があったのか?

「――以上が、私の経典だ」

 次は彼方の番だった。
 気をきかせてか、翼と凛が席を立つ。
 
「私は、罪のない子供を撃ち殺しました。自分の異能力を勘違いして」

 幼い頃から、彼方は事件に巻き込まれることが多かった。
 誰もが、その原因が父にあると思っていたが、それだけではなかった。
 
 彼方には、『ナニカ』を感知することができた。
 そしていつしか、その『ナニカ』を『悪人』だと思うようになっていた。

「ある意味、間違いじゃなかったな」
 
 知っているからか、冨樫はそんな慰めを口にした。
 そう、彼方が撃ち殺した子供は海外から運ばれた奴隷だった。
 あの日、過激派が化学兵器を運んでいるという情報を得て、彼方たちは珍しく武装していた。

「いいえ、違います。あの時、私が出る幕なんてなかったんですから」
 
 彼方たちの役目は裏方だった。
 持ち場を離れたのも、独断でしかない。一応、自分の力を知っている父の許可を取ってはいたが、勝手な判断に違いはなかった。
 闇の中、悪人だと思って撃ったのは子供だった。それも無力で幼い兄弟だった。

「安直でしょう? 子供を殺したから、子供を助けたいと思うなんて」
 
 父がもみ消したのか、大きな問題にはならなかった。
 もともと、日本には存在しない子供だったから、二人は物のように処分された。
 そのやり方に彼方は違和感を覚え、辞職した。
 だって、自分のしたことはどう考えても――日本の未来の為ではなかった。

「――冨樫さん」
 
 彼方は覚悟を決める。

「初葉をお願いします」
「おまえはどうするんだ? 私としては無理を通してでも、おまえのHは欲しいのだが」
「私はハルカを見捨てられません」
 
 翼は悠を救えないと言っていた。
 そのことを伝えると、冨樫も同意を示した。

「人を殺した経験がある者を傍に置いておくのはリスクが高い。それも『朧』が深く関わっているとなると尚更な」
 
 もし、父が派閥争いに敗れたらそれまでだ。

「それに、ASHの経典的にも難しい」
 
 罪に至る前の澱みを排除することを目的としている以上、それは仕方のないこと。

「でしょうね」
 
 裁きや赦しを与えるのは、彼らの役目ではない。 

「……おまえは公安に戻るのか?」
「戻りません。私が行くのは、あくまでハルカの傍です」
 
 そう言って、彼方は電話を切った。
 そして持ち主を探して、遅ればせながら気づく。
 翼と凛は気づかって席を立ったのではないと。
 
 いつの間にいたのか、二人は手塚と相対していた。
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登場人物紹介

羽田翼(17歳)。都内の私立高校に通う3年生。性格も容姿も至って平凡でありながら、脅威の耐久力と持久力の持ち主。

不良に暴行を受けている際、居合わせた鈴宮凜に『超能力とは異なった超能力』の所持を疑われる。結果、宗教法人ASHと公安警察にマークされ――人生の選択を迫られる。

鈴宮凜(18歳)。中卒でありながらも、宗教法人ASHの幹部。

組織が掲げる奇跡――H《アッシュ》の担い手。すなわち『超能力とは異なった超能力』の持ち主であり、アッシャーと呼ばれる存在。

元レディースの総長だけあって気が強く、その性格はゴーイングマイウェイ。

冨樫(年齢不詳)。何処にでもいそうを通り越して、何処にでもいる顔。

宗教法人ASHの創設者であり、部下からボスと呼ばれている。

手塚(年齢不詳)。幅広い年代を演じ分けられるほど、容姿に特徴がない。

宗教法人ASHを監視する公安警察の捜査官。

秋月彼方(33歳)。児童養護施設の職員で、元公安警察の捜査官。

また『超能力とは異なった超能力』の所持者でもある。

父親の弱みを握っており、干渉を遠ざけている。

秋月朧(年齢不詳)。彼方の父親で警視庁公安部の参事官。

『超能力とは異なった超能力』――異能力に目を付けており、同類を『感知』できる娘の職場復帰を虎視眈々と画策している。

近江悠(15歳)。児童養護施設で暮らす中学生。

車恐怖症によりバス通学ができず、辛い受験を余儀なくされている。

幼少期から施設で暮らしている為、同年代の少年と比べると自己主張が少ない。

朱音初葉(15歳)。児童養護施設で暮らす中学生。

震災事故の被害者で記憶喪ということもあり、入所は12才と遅い。

同年代の少女としては背が高く、腕っぷしも強い。

茅野由宇(14歳)。児童養護施設で暮らす中学生。

身寄りがない悠や初葉と違い、母親は存命。何度か親元に返されているものの、未だ退所することはかなっていない。

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