第31話 呼び醒まされた、最悪の記憶と現実(※R15)
文字数 3,490文字
振動が記憶を揺さぶる。
両親が死んだ日を、鮮明に思い出させてくれる。
あの日、六歳だった。
遠出の旅行に行った帰り道、車がぶつかった。
――いや、今ならわかる。あれは、ぶつけられたのだ。
ガラスの割れる音で、後部座席で眠っていた悠は目を覚ました。
続いて、ママとパパの悲鳴。
激しいエンジン音、怒鳴り声や笑い声などが耳に飛び込んできた。
ママとパパは、自分から車を降りた。
誰かがぼくに気づいて、はしゃぐ声をあげたから――おっ、ガキがいるじゃん。ちっ、女じゃなくて男かよ。
ぼくを守る為に……だから、悠は絶対に顔を出さずに黙っていた。
でも、本当は違う。
怖くて、動けなかった。
うるさい音に混じって、ママとパパの悲鳴が聞こえてくる。はじめの内は、パパは怒鳴っていた。やめろ、やめろとか、殺すぞとか許さないぞとか……叫んでいた。
けど、次第に変わった。
やめてくれ、頼む、許してくれ……泣きながら、声を出していた。その間もずっと、ママは声を出し続けていた。
ひきつれたような、苦しそうな響きだった。
車の中で、悠は縮こまっていた。
頭を抱えて、耳を塞いで丸まっていた。おしっこを漏らして気持ち悪くても、泣かないで黙っていた。
どれほど続いたかは、わからない。
なにやら、地鳴りが聞こえた。
手を叩く音、足踏みする音、や、れ、や、れ……どれもが規則正しく、リズムを刻んでいる。
それをつんざくような、パパの大きな叫び。
聞こえなくなった、ママの大好きな音色。
初めて聞いた、大人の泣き声……釣られるように、ぼくも涙を流していた。
静かに、嗚咽を飲み込みながら泣いていた。
狂乱はその後も続いた。
知らない人のうるさい声。
わらっていた。ワラっていた。笑っていた。哂っていた。
パパはまた、怒鳴っていた。
けど、すぐに怒られ、殴られるような音をたてて、謝っていた。悪かった、許してくれ、もうよしてくれ……と。
ずっとずっと、泣いて謝り続けていた。
そしてまた、地鳴りが起こった。
それからしばらくして、静かになった。
誰もいなくなって、やっと悠は外に出た。
パパとママは。裸で寝ていた。恐る恐る近づいて、揺すってみても起きなかった。
パパとママは、いつも仲良しで二人で寝ていた。
だから、悠は一生懸命に体を引っ張った。冷たくて重たい体。一向に動かない。濡れていて、手が滑る。それでも頑張って、頑張って、頑張っていた。
三人で一緒に眠る為に。
これは怖い夢なんだ。
一人で眠ったら、きっとまた見てしまう。
だから、三人で、一緒に寝ないとダメなんだ。
それなのに、やってきた警察は二人を引き離した。
ぼくに抱きついて、頭を撫でて……ぼくの話しを全然聞いてくれなかった。一緒に眠るんだって言っても、許してくれなかった。手伝ってくれなかった。
それどころか、永遠に離してしまった。
目を覚ました悠は、全てを忘れていた。
けど、それは違った。
ただ、蓋をしていただけだった。
深い深い場所に、閉まっていただけで忘れてなんかいやしない。
でも、目を向ける勇気がなかったから、逃げ続けた。
絶対に車には乗らないで、エンジンが聞こえたら耳を塞いで、思い出さないようにしていた。
だって、今ならわかるから――あいつらが、父と母になにをしたのか。
あいつらは母を○○して、○○した。それだけじゃなく、○○したあとも、○○した。
しかも、それを父にやらせたのだ。
寒い。とても寒い場所に悠は寝かされていた。
冷たいコンクリート。暖房どころかストーブすらない汚い部屋だ。瓦礫やガラクタが乱雑に散らばっている。
綺麗にしないと……。
まだ、覚醒しきっていない悠はそんな悠長なことを考えていた。
「けど、本当にこんなんで金が貰えるのかよ?」
四階建ての最上階。エレベーターのない廃ビルの一室に、世間一般から〝不良〟と呼ばれる若者たちがたむろしていた。
「前金だけで諭吉をくれたんだから、マジだっしょ?」
「つーか、口止め料っしょ? 口外すんなって話だしな」
「どうでもいいけど、さっさと来てほしいよな。寒くて仕方ねぇ」
年末、いつものように騒いでいるところに変な大人がやって来た。――仕事をしないか、と。
拘束も一日だけで内容も簡単。
ある場所にやって来る女を一人痛めつけるだけ。
「でもよ、本当に強いのか? その女ってのは」
「さぁ? まっ、強いって言ってもこんだけいれば余裕っしょ?」
ここには一三名の若者が、武器を持って待ち構えていた。
「それに、ヤバければあれを盾にして逃げりゃいい」
部屋の片隅で転がっている男女は悠と由宇。女をおびき寄せるエサだと、不良たちは説明を受けていた。
「つーか、せっかく女がいんだから暇つぶしに楽しんでもいんじゃね?」
「馬鹿。バレたら、金を貰えないかもしれねーじゃん」
「いやでも寒いし、ここは温まるべきだろ?」
「それに手を出すなとも言われてねぇしな」
二人が下卑た笑みを浮かべて由宇に近づく。残りは口だけで止めるか、余興を見物するかのような面持ち。
「そんなガキに欲情すんなんて、おまえらロリコンかよ?」
「それじゃ賭けようぜ? おまえが勃つかどうか。勃ったら罰金な」
「強気だな。寒くてチ〇コも縮こまってるだろうに」
軽薄なノリの若者たちを、冷めた目で見ている者が一人だけいた。見張り役として、閉じられたドアの付近に控えている。
「おー、黒ストエロいじゃん」
「マジで? オレ、一回破ってみたかったんだよな」
布が裂ける音がして――
「ひっ!」
歓喜ではなく、引き攣った声があがる。
「どうした?」
気になった一人が覗き込み、繰り返し。奇妙な反応に引かれてか、不良たちは続々と由宇の元に集まって来る。
「なにこれ……煙草の痕か?」
「この大きさは、それだけじゃないだろ……」
由宇の太ももに広がった無数の傷跡は直視に耐え難かった。
「うわっ、キショッ。萎えた萎えた」
「賭けは、オレの勝ちだな」
目を背けるように、不良たちは散っていく。
「どうした? 続きはしないのか?」
言いだしっぺの二人すらも、由宇から距離を置いていた。
「だってよ、上も脱がしてあぁだったら、最悪だろ?」
「同感。これ以上、汚いもん見せられたら堪んねぇっての」
不良たちは、口々に勝手なことをほざいていた。
霞む意識の中で、近江悠はそれを聞いていた。
最悪な記憶を思い返してすぐに、最悪な光景を近江悠は見せられていた。
勘に触る笑い声。
由宇に近づき、由宇に触れ――下卑た言葉の数々。
それらを聞かされた悠は何故か、自分自身を酷く責めていた。
――おれは知っていたのに! こいつらが、どれだけ酷い人間か。こういった連中が、どれだけ酷いことをするか。
――知っていたのにっ! どうして、放っておいたのだろう?
知っていたのに――自分の家族を傷つける存在だって。
――なんで、今まで忘れていたんだろう?
自分が忘れていたから、由宇が傷つけられてしまった。もし、彼女が起きて聞いていたら……!
「……おぃ、あれ」
喚起の声。
誰かが、気付いた。
悠の目が開いていることに。
「……なんだよ、あれ?」
そして、瞳に異常な感情を宿していることに――
「おれが……おれがっ!」
ゆっくりと、悠は立ちあがる。
その光景を、誰もが黙って見ていた。
いや、怯えるように眺めていた。
ただ一人、扉付近に控えていた男が怯えの中に驚嘆を隠している。
――なんで、なんで、なんで! おれは、今まで放っておいたんだ?
悠の瞳が不良たちを捕らえる。
それだけで彼らの身は竦み、足が震え出す。
――殺さなきゃ。
悠の頭に去来した指令は単純明快だった。
――殺さなきゃ。
こいつらを殺さないと、また家族が奪われてしまう。
――殺さなきゃ。
今度は、初葉が傷つけられてしまうかもしれない。
だから、早く――
「――殺さなきゃ」