第4話 ただの高校生

文字数 4,581文字

 ――ピンチになったら悲鳴をあげろ。
 
 あらゆる場面でよく言われるが、それ無理だから、と翼は初めてその正論にツッコミを入れる。
 
 声など出るはずがない。
 
 車から出てきたのはガチムキの黒人。言葉が通じるかどうかがわからないというだけで、恐ろしく怖いのだ。
 
 事実、凛とは英語で会話していた。
 単純な対話だったので、その意味は翼にも理解できた。
 
 ――いいのか? 
 ――もちろん。
 
 そうして、翼は黒人にエスコートされ、車の後部座席に収まった。
 現在、運転しているのは凛。あのブーツで大丈夫かと軽口を叩きたくなるも、恐怖で言葉が出てこない。
 
 不憫に思ってか、
「アーユーオッケー?」
 黒人が心配してくる。

 が、発音がネイティブ過ぎて、
「アーユーゲイ?」
 と聞こえてしまい、翼は更に震えあがった。

「の、ノー……」
 
 言葉だけでは不安だったので、力いっぱい首を横に振る。

「オー、ノー!」
 
 残念そうな響きに、
「ははっ、ソーリー」
 渇いた笑いと共に翼はつい謝ってしまう。こういうところが、日本人なのだろう。

「ユーアージャパニーズ」
 
 黒人は当たり前のことを口にして、黙り込んでしまった。

「あんた進学校なんでしょ? せっかくだから、英会話でも楽しめば?」
 
 呆れたように凛は投げかけるも、冗談じゃない――状況を考えやがれっ!

「いや、時と場合によるだろ……」
 
 思っていたのと意味は同じでも、出てきたのは優しい表現。改めて、自分は日本人なのだと翼は納得する。

「別に、取って食うつもりはないから。あんたには、ちょっと話を聞いて貰いたいだけ」
「話なら、他の場所でもできんだろ?」
「これでも、気をつかったつもりなんだけど」
「どこがだよ?」
「あんた鈍い」
 
 馬鹿にされ怒りが込み上げてくるも、
「せっかく、学校から離れてあげたってのに」
 すぐさま萎んでいく。

「つーか、凄いね男子校って。一時間くらい突っ立ってただけで、両手じゃ数え切れないほど声をかけられるんだから」
「そりゃ、あんたみたいな……人が立ってれば、な」
「そこは素直な形容詞が聞きたかった」
「てか、教師と警察も来てただろ?」
 
 見透かされている気恥ずかしさから、翼は話題を変える。

「あー、来てたね。なんの御用ですかって」
「それで、どうやって切り抜けたんだ?」
「普通に大人の対応をしただけ。人を待っていますって」
「……って、それだけか?」
「うん、そんだけ」
 
 腑に落ちないでいると、
「あー」
 凛が納得の意を匂わせた。

「あんた、私の年齢を見誤ってんじゃない?」
 
 なんの関係があるのだろうと思っていると、
「これでも、一八歳」
 からかうように、答えが提示された。

「彼氏を待っているって説明したら、どうすることもできないっしょ?」
 
 確かに、一八の女が男子校の前で待っていても犯罪の気配は感じられない。

「おまっ! 彼氏って」
「正直に言って、名刺を見せたほうがよかった?」
「いや……それよりはマシだが」
 
 言いつつ、翼は大事なことに気付く。

「あんた、誕生日は?」
「ん? 四月だけど。なになに? もしかして、タメだったりする?」
「いや、オレはまだ一七だけど……」
 
 誕生日は三月。学年でいえば、一緒ということになる。

「同じ学年ってわけだ」
 
 反応から察したのか、凛はけらけらと笑っていた。

「にしては、あんたちっちゃいね」
「うるせーっ!」
 
 気にしているだけあって、翼は聞き流せなかった。

「ごめん。けど、見た目くらいは気をつかったら? はっきり言って、探すの大変だった」
 
 一七〇ジャストの身長に見合った体重。髪は黒で、長さは耳にかからず眉毛を覆わず。
 これで周囲と差別化できていると思っているのは本人だけ。
 翼の容姿は学校においては量産型――もとい、模範的と呼ばれるものであった。

「んなこと言われてもなぁ……」
 
 どこから、手を付ければいいのやら。
 今更ながら、翼は妹にダサいと注意された過去を悔やむ。思っていたよりも、異性に指摘されるのは心が痛んだ。
 前髪を摘み、車の窓ガラスに映して見る。と、黒人がポケットから手鏡を出してくれた。

「……Thank you」

 子供でも知っている英語を話すと、子供でもわかる返答がきた。

「Your welcome」



 翼が身だしなみを気にしている間に、車は目的地に到着したようだ。
 時間を確認すると、およそ二〇分が経過していた。
 徐々に速度が落ちていき、完全に停止する。
 
 待っていたのは、画像で見た通り随分と大人しい建物。大きさはもちろんのこと、奇抜さや荘厳さもない。
 まるで、機能性を重視させたオフィスビルといった風情。
 冷たいというか、教会が誰でも気安く入れるように扉を開けているのとは逆の印象を感じる。

「もしかして、色々な宗教を調べたクチ?」
 
 自分はそんなにも顔に出るのだろうか、と疑念を抱くほど凛は鋭かった。

「ウチは金儲けが目的じゃないから。それに、入りたければ誰でも入れるってわけでもない」
 
 だからこそ、勧誘、集金、教団への奉仕といった基本的な宗教活動をしておらず、世間の話題にあがることは少ないらしい。

「私たちが求めているのは優れた人材。すなわち、超能力とは異なった超能力――(アッシュ)を持つ者」
「全員がそうなのか?」
「まさか。アッシャーは極僅かよ」
 
 降りて、と命じられ翼は従う。
 黒人も続いたかと思うと、運転席に移っただけ。

「see you」
 
 どうやら、別行動になるようだ。ここまで来たら逃げると思っていないのか、凛は目線だけ寄こして歩き出した。
 その態度に翼はムッとするも、歩いている内に忘れてしまう。

「……すげぇな」
 
 つい、感嘆の声を漏らしてしまうほど、目を引かれるものがあった。
 まず、建物に反して異様に凝った門。塀と生垣もそうだ。
 そこだけが、ミステリーの舞台に選ばれるような物々しさを孕んでおり、目指す先を錯覚させる。
 
 続く庭もまた、なかなかお目にかかれるものじゃない。
 
 立体性はないが、幾何学的な配置。真っ直ぐな道を挟んだ花壇は左右対称で、道の途中には噴水まであった。
 
 ただ長さはなく、翼は誘い込まれるように建物の中へと進んでいく。
 
 こちらの扉は平凡な自動ドア。ガラス越しに見える室内にも、入りがたい雰囲気は感じられない。
 普通に受付嬢がおり、丁寧に出迎えられてからエレベーター前。

「とりあえず、私たちのボスに会って貰う」
「ボス? 教祖みたいなのは、いないんじゃなかったのか?」
 
 表示を見る限り、七階から地下二階まであるようだ。

「教祖はいなくても、設立者はいるに決まってるでしょ」
 
 乗り込むなり、
「――七階」
 凛は見ないでボタンを押した。

「……あぁ、そうか。けど、教祖も神もいないのに、よく認可されたな」
 
 一夜漬けだが、翼は勉強していた。県知事か文部科学大臣の認証を経て、宗教団体は宗教法人とされる。

「私も、そこんとこは詳しく知らないんだけど」

 ASHの設立は四年も前なので、凛が知らなくても不思議ではなかった。

「色々と裏があるらしい」
「裏って?」
「ぶっちゃけ、カルトと普通の宗教の見分けなんてつかないっしょ?」
 
 どの宗教団体も、法人資格を有するまでは真っ当な活動をしているものだ。
 対して、社会的にカルトと認定されるには、よほどの悪行が必要となってくる。加え、世間的にはカルトであっても、法律的には問題ないという場合が非常に多い。

「ようはお偉いさんの解釈一つ。ということは――」
「利権が絡む余地がある、か」
 
 宗教は信者という『人』と、お布施という『金』を運ぶ。
 つまり、政治に影響を及ぼすことができる。

「正解。宗教法人が非課税ってのは、もう有名な話か」
 
 時代の変化を噛みしめるように、凛は呟いた。

「とにかく、ボスはお偉いさんにアプローチする術を持っていたらしくてね」
「何者だよ、そのボスってのは」
「さぁ? 噂じゃ、警視庁の公安部にいたって聞くけど」
 
 翼の乏しい知識では、両者は相容れない存在であった。

「詳しく知りたかったら、直接聞けばいい」
 
 軽快な機械音がして、エレベーターは止まった。
 ゆっくりと扉が開き、凛が先導する。
 ここまで来て逃げるつもりはないものの、翼の足踏みは遅くなっていた。
 
 分かれ道の度に、
「こっち」
 喚起を受ける。
 三度目でやけに直角が多いことに思い至るも、気づくのが遅かった。
 既に、どのような道を辿って来たのかわからない。

「――ボス。鈴宮凛です」
 
 一つの扉をノックして、凛は名乗った。

「――入れ」
 
 慣れた命令口調。

「失礼します」
 
 こちらに言う義理はないと思いながらも、
「失礼、します」
 日本人の性か、翼は口にしていた。

「ボス。例の男を連れてきました」
 
 凛に促されるまま先へと進むと、苦虫を噛み潰した顔に迎えられる。
 
 どう見ても歓迎されていないと思いきや、
「ようこそ、ASH(アッシュ)へ」
 スーツ姿の男性は立ち上がって、翼に友好的な表情を浮かべた。

「私は一応、この団体の代表を務めさせていただいている者だ」
 
 自己紹介の定型文ではあるものの、名前は続かなかった。

「俺は……ただの高校生だ」
 
 お返しではないが、翼も名前を秘匿する。

「ただの高校生、か」
 
 男は嫌な笑い方をした。
 ほんの一瞬だけだったが、様々な感情が入り混じった悪い顔を翼は見逃さなかった。
 
 だから、自分に言い聞かせる。
 
 童顔で背が低いものの、目の前に立っているのは狡猾な大人だと。
 男はあまりに平凡な見た目をしていた。
 良くいえば人が好さそうで悪くいえば影が薄い。年齢もそうだ。若者でも中年でも通じそうなほど掴めない。

「――凛」
 
 顔も体格も声すらも、既視感を覚える。何処かにいそうを通り越して、何処にでもいる顔。

「彼を案内してあげなさい。一般の方と同じように」
 
 意外だったのか、
「はぃっ?」
 凛は少女らしい反応を示す。

「えっ? でも……」 
「ただの高校生を相手にするほど、私は暇じゃない」
 
 身勝手にも、男の発言に翼は気を悪くした。

「……はい、わかりました」
 
 凛が素直に応じたのも面白くない。

「それじゃ、失礼します」
 
 翼は反抗心を隠さず男を睨み付けるも、凛に制服を引っ張られて退出する。

「なーに、怒ってんの」
「別に、怒ってなんてねーし」
 
 そもそも、自分に怒る理由なんてない。
 だからこそ、翼は苛立っていた。
 あの男は、自分が望んだ扱いをしてくれというのにどうしてこんなにムカつく。

「そっ。じゃぁ、施設を案内するから付いて来て」
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登場人物紹介

羽田翼(17歳)。都内の私立高校に通う3年生。性格も容姿も至って平凡でありながら、脅威の耐久力と持久力の持ち主。

不良に暴行を受けている際、居合わせた鈴宮凜に『超能力とは異なった超能力』の所持を疑われる。結果、宗教法人ASHと公安警察にマークされ――人生の選択を迫られる。

鈴宮凜(18歳)。中卒でありながらも、宗教法人ASHの幹部。

組織が掲げる奇跡――H《アッシュ》の担い手。すなわち『超能力とは異なった超能力』の持ち主であり、アッシャーと呼ばれる存在。

元レディースの総長だけあって気が強く、その性格はゴーイングマイウェイ。

冨樫(年齢不詳)。何処にでもいそうを通り越して、何処にでもいる顔。

宗教法人ASHの創設者であり、部下からボスと呼ばれている。

手塚(年齢不詳)。幅広い年代を演じ分けられるほど、容姿に特徴がない。

宗教法人ASHを監視する公安警察の捜査官。

秋月彼方(33歳)。児童養護施設の職員で、元公安警察の捜査官。

また『超能力とは異なった超能力』の所持者でもある。

父親の弱みを握っており、干渉を遠ざけている。

秋月朧(年齢不詳)。彼方の父親で警視庁公安部の参事官。

『超能力とは異なった超能力』――異能力に目を付けており、同類を『感知』できる娘の職場復帰を虎視眈々と画策している。

近江悠(15歳)。児童養護施設で暮らす中学生。

車恐怖症によりバス通学ができず、辛い受験を余儀なくされている。

幼少期から施設で暮らしている為、同年代の少年と比べると自己主張が少ない。

朱音初葉(15歳)。児童養護施設で暮らす中学生。

震災事故の被害者で記憶喪ということもあり、入所は12才と遅い。

同年代の少女としては背が高く、腕っぷしも強い。

茅野由宇(14歳)。児童養護施設で暮らす中学生。

身寄りがない悠や初葉と違い、母親は存命。何度か親元に返されているものの、未だ退所することはかなっていない。

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