第40話 罪人と神と付き人

文字数 4,272文字

 車の中で、近江悠の意識は朦朧としていた。
 本来なら、今日一日は目覚めるはずがない麻酔を投与されているのだから当然だ。
 
 それでも暴れ、喚き――麻酔が抜けていると判断され、更に追加される始末。
 目隠しと手錠に加え、口まで塞がれてなお、悠は意識を手放すのを拒絶していた。
 
 ――寝たら、忘れてしまう。
 
 それは一種の恐怖だっった。
 
 ――また、忘れてしまう。
 
 以前のように、眠ったら最後。起きた時には全てを忘れている可能性に恐怖して、悠は抗っていた。

 ――忘れたら、駄目だ。忘れたら、また奪われてしまう。

 車の揺れが、悠に思い出させる。
 
 母親がされたことを――〇〇されて、〇〇された。
 いや、違う〇〇されて、〇〇された? 
 わからない。
 ただ、泣きながら腰を振る父親の姿が、瞼の奥にこびり付いている。
 
 ――やーれ、やーれ、やーれ……。
 
 それと地鳴りのような声。はやし立てる、下卑た合唱。
 
 ――忘れちゃ、駄目だ。
 
 歯を食いしばり、暴れるも手錠は外れない。
 
 ――あいつらを殺さなきゃ。
 
 もはや、痛みは感じなかった。
 
 ――あいつらは殺さなきゃ。
 
「……まだ、暴れるのか」

 誰かの声がする。

「どうする? 口からも血がでているぞ?」
「腕も……酷いな。皮膚だけじゃなくて、肉まで削げている」
 
 暗闇の中、悠は自分の容体に気付いていなかった。獣じみた息をあげ、ただひたすらに抗っている。

「また、麻酔でも打つか?」
「却下だ。これ以上は本気でマズい」
 
 車が揺れる度に激しく、悠は暴れ出す。

「いったん、車を止めるか?」
「こんなとこで止めてどうする?」
 
 指揮車にはもう、運転席を合わせて四人しか残っていなかった。
 あとのメンバーは〝掃除〟などに動いている。
 そして、ここに残っているのは致命的に死体を見るのが駄目だったり、荒事が苦手なタイプであった。
 
 自分の舌でも詰まったのか、
「がっ……はっ……はぁ……」
 悠の呼吸がおかしくなる。

「手間ばかりかけさせる奴だ」
 
 恐る恐る、手袋をした男の手が悠に触れる。口元を自由にさせ、舌を引っ張り出そうと指を入れ――いきなり、噛みつかれた。

「おぃっ……! ――っなせ!」
 
 殴り、首を絞めても悠は止めなかった。噛まれたほうも痛みで必死なのか、行動は段々とエスカレートしていく。

「いい加減……にしろっ!」
 
 もう一人も引き離そうと、悠の頭と顎を掴む。前歯なのが功を成して、男の指はまだ繋がっていた。

「おぃっ!」
 
 噛まれている男が拳銃を取り出す。

「撃た、ねぇよ……」
 
 安全装置はかけたまま、男は銃口を無理やりに悠の口に押し込み――指を逃がした。

「こいつ、自分がなにを噛んでいるのかもわかっていないぞ」
 
 証拠に、悠は未だ銃身を噛んでいる。男はそれよりも大きく丸めたタオルを押し込み、拳銃を引き離す。

「いったい、どういう異能力だ?」
 
 現状だけなら『憑依系』だが、急に泣きじゃくったり怒り狂ったりしていたのを考慮すると、正解とは思えない。

「暴走しているから、なんとも言えん」
「そうだとしても、『感情操作』か『理性の排除』といったところか」
 
 二人して考えていると、
「――大丈夫か?」
 運転席からの無線。

「やけに騒がしかったが?」
「あぁ、問題な……」
 
 応答する前に、

「あぁぁぁ―――――ッッッ!」
 
 圧倒的な声量が割り込んだ。
 
 聞く者すべてを恐怖に陥れる旋律。
 まるで、肉食獣や蛇の威嚇。
 人が本能的に怖いと感じてしまう、ある種の呪いじみた声。
 
 間近で浴びた二人は、
「あっ……っ」
 完全に呑まれてしまった。
 
 無線越しに聞いてしまった運転手も、意識を持っていかれ――





「ここから、落ちたのか?」
 
 カーブの多い山道。それでも、道路は整備されており、ガードレールもあるので普通に運転していれば落ちる危険性は少ない。

「近江悠の所為です」
 
 助手席に乗っていた一人だけ、落下前に逃げおおせたらしい。
 曰く、恐ろしい声が聞こえてきて恐慌状態に陥ったとのこと。

「生きていれば、彼方さんの『感知』で居場所がわかるはずです」
「言われなくてもやっている。ハルカは生きている。移動も……している」
「ほんと? かなちゃん」
 
 手塚たちは、この事故の隠蔽に動いて人手不足。
 その為、彼方の他に翼と初葉も来ていた。

「はぁ……。なんて、俺がおまえらの尻拭いを手伝わないといけないんだよ」
 
 翼がぼやく。
 凛だけは別行動で、帰りの準備をしていた。

「だったら、鈴宮凛と一緒に待っていればよかったでしょう?」
 
 手塚に言われると腹が立つも、翼は堪えた。

「一応、嬢ちゃんを預かる身だからな。放っておけるか」
 
 あくまで、翼は付き添いだ。
 初葉がどうしても行くと言い出したから、仕方なく。

「それに心理的には無理でも、物理的には救ってやれるからな」 
 
 全部は無理でも、約束した手前、果たせるところは果たしてやりたかった。
 心配なのか、危険な位置で初葉は落ちた先を見つめている。

「で、何処から下りる?」
 
 垂直に近い崖。眼下には緑が生い茂り、森の様相を示している。運よく、ガソリンに引火しなかったのか、火の手はあがっていない。

「だいぶ遠回りになるが、一度、車で戻ったほうが賢明だな」
「だそうだ。行くぞ、嬢ちゃ――」
 
 緑を見下ろしていた初葉の姿が消えた。
 目の前で――飛び下りた。
 垂直に近い崖を彼女は駆け走る。
 
 大人たちが見守る中、あり得ない速度とバランスで森の中に消えていった。木々が折れる音からして、無事とは思うが……

「――初葉っ!」
 
 彼方が呼びかけるも、返事はない。聞こえていない訳がないので、あえてだろう。
 どうやら、彼方の決断を認めていないようだ。

「……急ぐぞっ!」
 
 そう、急がなければならない。大人の勝手を許せない少女が次に取る行動を考慮すると、見失う訳にはいかなかった。

「悪い、彼方さん。一人で行ってくれ」
 
 翼は大きな溜め息を吐き、広がる緑を見下ろす。

「……正気か?」
「あぁ、面白いことにな」
 
 一応、心配してくれたのか凛はいつぞやの傘を貸してくれた。

「……きみは馬鹿なのか?」
 
 おもむろに、傘を広げだした翼に辛辣な意見。

「別に、これで落下の速度を軽減できるとは思ってねぇよ」
 
 狙いは落下距離の短縮。傘を広げていれば、途中の木々に引っかかる。
 普通の傘ならへし折れるだろうが、これは防刃仕様の特別性。
 きっと、もってくれるはず。

「じゃっ、お先に失礼」
 
 冗談めかして、翼は飛ぶ。
 安全な場所は初葉が教えてくれた。
 彼女と同じ位置に落ちれば、大きな障害はない。翼の身体は緑に吸い込まれるように落ちていくも、広げた傘は違った。
 
 ――手を離したら死ぬ。
 
 大げさかもしれないが、そんな気持ちで翼は傘を握っていた。
 おかげで、落下は止まって宙ぶらりん。
 そのまま、上と下を見る。どっちも高い。傘が引っかからなかったら、確実に骨が折れていた。
 だが、この高さからなら……たぶん、なんとかなるだろう。

「――なんで? 嘘、でしょ?」

 落下音に後ろ髪を引かれたのか、初葉が下にいた。

「よー、嬢ちゃん。おまえ、やっぱすげーな」
 
 心の底から、翼は口にした。

「さすがに、嬢ちゃんの真似は無理だったわ」
 
 そう言って、翼は傘を閉じ――きる前に重力に従った。
 高さ的にはマンションの三~四階。まぁ、なんとかなるだろうと思っていたら、まさかのまさか――初葉がキャッチしてくれた。

「……すげぇな、ほんと」
 
 自分よりも華奢な少女にお姫様抱っこをされるとは思いもよらず、翼は軽く混乱していた。

「……もーやだっ。疲れた、眠い……」
 
 翼を下ろすなり、初葉は年相応の泣き言を漏らす。

「やー、助かった。嬢ちゃんのおかげだ。ありがとう」
「うるさい。なんで、来たの? バカなの? 傘なんかさして……ほんと、バカじゃないの?」
 
 涙を滲ませながら、初葉が叩いて来る。子供の力でぽかぽかと。

「そう何度も約束を破ってちゃ、これから先、信じて貰えなくなるからな」
「これから先って……私は嫌だ。みんなと、離れたくない」
「まぁ、そうだよな」
「なに、その言い方っ! 子供扱いしてるでしょっ?」
「事実、まだ中学生のガキだろ?」
「もうすぐ高校生だもんっ!」
「俺も、もうすぐ大学生だ」
「だから、なにっ?」
「――変わっていくんだよ、みんな」
 
 穏やかに、翼は鳴らした。

「嬢ちゃんはASHの神になる」
「それが一番、訳わかんないんだけど……」
「シンボルだよ。だから、嬢ちゃんはいるだけで充分だ」
 
 翼は傘を殴りやすい形に戻し、
「大事な家族はいないけど、俺や凛はいる。それに嬢ちゃんは偉いから――」
 杖のようにして、起き上がる。

「嬢ちゃんが望むのなら、家族だって呼べるさ」
 
 身体が痛い。
 けど、これくらいなら我慢できると『前借り』は温存しておく。

「……近江も?」
「そいつは、あのガキと彼方さん次第だな」
 
 正気に戻った時、罪を犯した悠がどう思うか。

「とろこで、嬢ちゃんは大丈夫か? だいぶ、無理していると思うんだが」
「……疲れた、眠い」
「記憶は?」
「……ちょっとだけ、オカシイ」
「おかしい?」
「……うん。知らない記憶が過るの」
「もしかすると、忘れていた記憶じゃないのか?」
「……かもしれない。けど、そうだとすると、私は……初葉じゃないかもしれない」
「どういう意味だ?」
「……だって、初葉はおねえちゃんだもん。だけど、私はおねえちゃんじゃないもん」
「――ストップ。あーなんだ、とりあえず、それは置いておこう。歩けるか? 無理なら、背負ってやるけど」
「……いま思ったけど、背はあんま変わらないよね」
「あーっ! てめっ、言っちゃならんことを言ったな!」
「気にしてるんだ」
「うっせー! 行くぞ」

 結局、二人は並んで歩き出した。
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登場人物紹介

羽田翼(17歳)。都内の私立高校に通う3年生。性格も容姿も至って平凡でありながら、脅威の耐久力と持久力の持ち主。

不良に暴行を受けている際、居合わせた鈴宮凜に『超能力とは異なった超能力』の所持を疑われる。結果、宗教法人ASHと公安警察にマークされ――人生の選択を迫られる。

鈴宮凜(18歳)。中卒でありながらも、宗教法人ASHの幹部。

組織が掲げる奇跡――H《アッシュ》の担い手。すなわち『超能力とは異なった超能力』の持ち主であり、アッシャーと呼ばれる存在。

元レディースの総長だけあって気が強く、その性格はゴーイングマイウェイ。

冨樫(年齢不詳)。何処にでもいそうを通り越して、何処にでもいる顔。

宗教法人ASHの創設者であり、部下からボスと呼ばれている。

手塚(年齢不詳)。幅広い年代を演じ分けられるほど、容姿に特徴がない。

宗教法人ASHを監視する公安警察の捜査官。

秋月彼方(33歳)。児童養護施設の職員で、元公安警察の捜査官。

また『超能力とは異なった超能力』の所持者でもある。

父親の弱みを握っており、干渉を遠ざけている。

秋月朧(年齢不詳)。彼方の父親で警視庁公安部の参事官。

『超能力とは異なった超能力』――異能力に目を付けており、同類を『感知』できる娘の職場復帰を虎視眈々と画策している。

近江悠(15歳)。児童養護施設で暮らす中学生。

車恐怖症によりバス通学ができず、辛い受験を余儀なくされている。

幼少期から施設で暮らしている為、同年代の少年と比べると自己主張が少ない。

朱音初葉(15歳)。児童養護施設で暮らす中学生。

震災事故の被害者で記憶喪ということもあり、入所は12才と遅い。

同年代の少女としては背が高く、腕っぷしも強い。

茅野由宇(14歳)。児童養護施設で暮らす中学生。

身寄りがない悠や初葉と違い、母親は存命。何度か親元に返されているものの、未だ退所することはかなっていない。

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