第18話 児童養護施設の子供たち
文字数 3,450文字
交通事故、だったらしい。
自分も乗り合わせていたはずなのにまったく憶えていないのは、単に幼かったからだけではないだろう。
一五歳になった今でも、悠は車が怖かった。
激しいブレーキ音だけでなく、微かな振動すら耐えられない。
現に、修学旅行や社会見学はずっと欠席してきた。
だからバス通学なんてあり得ず、必死で受験勉強に取り組む羽目になっていた。
悠が暮らしている児童養護施設は、定員六名の子供たちと二~三名の職員が家族のように暮らす形態である。
場所も住宅街にあり、傍目には普通の家と変わりない。
いつもなら小さい子供たちが騒がしいのだが、この時期は静かだった。
年末年始は多くの子供が一時帰宅する。
一月一日。
残っているのは、年長者の三人――同じ受験生の
児童養護施設の子供たちも、高校への進学率は九割を超えている。
現在では中卒、しかも保護者が職員となると、就職はおろかアパートの部屋を借りるのも難しいからだ。
基本的には公立。特別な才能があれば、私立も受けられなくはないが悠にはなかった。
それに加え、通学にお金もかけられないとなると選択肢は二つしかない。
一つは、徒歩で通える県内一の進学高。
もう一つは、無料スクールバスがある普通高校――悠に選択肢はなかった。
ちなみに、初葉は成績に余裕のある普通高校を選んでいるので由宇と一緒にだらけていた。悠よりも早く寝て、遅く起きる。
ある意味、正月らしい過ごし方をしていた。
「ハルカ、二人を起こしてきてくれる?」
由宇と区別するという名目で、彼方からはハルカと呼ばれていた。
初めの内は嫌がっていた悠だが、今ではすっかり慣れてしまった。おそらく、区別以外にも意味があるからだろう。
「おれは別にいいですけど……?」
揃わないと食事ができない。こういった規則は施設らしく厳しかった。
「休みだからって、だらけている二人が悪い」
悠の身だしなみは日常と変わりなかった。受験生を意識して短く切った黒髪には、寝癖の一つもついていない。
「それじゃ、少し行ってきます」
彼方に促され、悠は階段を上っていく。
子供たち及び、交代制で寝泊りする職員の部屋は二階にあった。その内の一つを悠はノックするも、応答なし。
「初葉? 由宇?」
声をかけても、効果なし。仕方なく、悠は扉を開ける。彼方の許可は得ているので、罪悪感は霞んでいた。
殺風景な自分の部屋と比べるまでもない。開けた瞬間から、違う。見た目も匂いも、空気も雰囲気も全てが女の子を示している。
飾られたぬいぐるみやボードに目移りしながらも、悠は二段ベッドに足を進める。
下段には、同い年の初葉が眠っていた。
「おぃ、起きろ」
色気もなにもない寝姿だった。
口元まで布団で覆われており、体も顔もほとんど見えない。ショートカットの髪はぼさぼさで、
「う~……ん」
不機嫌そうな寝言と共に体を丸め、寝返り。
縮こまっているせいで小さく見えるも、錯覚である。実際は悠よりも背が高いどころか、腕っ節も気も強い。
よって、悠はスルーした。無理に起こせば怒られる。
「由宇? 起きろー」
ハシゴの半ばまで足掛け、上段を覗き込む。
下とは打って変わった光景。可愛らしい寝顔を由宇は晒していた。
年齢的には悠たちよりも一つ下の中学二年生だが、一五〇センチという身長のせいかもっと幼く見える。
ただ髪の毛は年相応に手入れが行き届いているのか、初葉よりだいぶ長いはずなのに一つも乱れていなかった。
「おーい、由宇」
ここでの暮らしは悠が一番長い。次いで由宇、初葉と続く。とはいえ、悠と由宇の間は一年も開いていないので、二人は本当の兄妹のように仲が良かった。
悠の呼びかけに、
「んーっ?」
由宇のまぶたが開いた。瞳に悠の姿を写して、
「あ、おはよう。おにいちゃん」
きちんと朝の挨拶をしてきた。
「おはよう、由宇」
悠もきちんと笑って返してから、命じる。
「初葉を起こして、さっさと下りてこい」
「え? もう、そんな時間?」
あまりに呑気な反応。正月ボケに加え、職員が彼方しかいないので緩みきっている。
「えぇ、八時を過ぎています」
「あー、それは起きないと駄目だね」
「そう、起きないと駄目なんです」
冗談ぽく悠もそらんじて、由宇の額を小突く。
「覚醒したか?」
「うん、ばっちりです」
「じゃぁ、待ってるから。早くな」
二度寝の心配はいらないと、悠はハシゴから飛び降りる。結構な音がしたものの、初葉に目覚める気配はなかった。
「「ごめんね、かなちゃん」」
悪びれた様子なく、下りてきた二人は頭を下げた。着替えだけでなく、髪の手入れもしていたのか揃って綺麗に流れている。
「まったくだ」
彼方は厳しい口調で注意するも、一言以上は続かなかった。
「明後日までは許すけど、それ以上は勘弁な。私が怒られる」
彼方は指を頭にやり、角を模した。
瞬間、由宇と初葉は笑い出す。
「このまま帰ってこなければいいのに」
由宇が、さらりと毒を吐く。
「無理無理。『今は私があの子たちの母親なんだから』ってほざいてる以上、三箇日が終わったら、速攻帰ってくるよ」
モノマネを交えて、初葉も悪態を吐く。
「あの人は早く、自分の子供を作るべきだよな」
それを咎めずに、彼方も乗っかった。
「よほど運命的な出会いがないと無理じゃないです? あれは……」
悠までもが陰口を叩く相手は、この施設のリーダーでもある職員で通称、鬼婆だった。
一言で表するなら、夢見がちのオバサン。
子供たちを自分が結婚できない言い訳にしている節が見受けられるので、あらゆる方面で嫌われていた。
「あの年で、現実が見えてないんですから」
悠は軽口にならない声音で吐き捨てた。
――みんなで兄妹のように助け合いましょう。私のことを、お母さんと思っていいですから。
小鳥がさえずるように、そんな台詞をほざくのだ。
どういった子供たちがここにいるのかを、てんでわかっていない。
その兄妹や母親に虐げられ、捨てられた子供がいることを全然わかっていない。
「そんなことより! ごはん食べよ、ね。わたしお腹すいちゃった」
とびきり明るい声で由宇が訴える。
「それじゃ、流れ作業でいこう」
いち早く、彼方が声に出し動き出す。
その後ろに由宇が続いて、
「バカ」
初葉が吐き捨てた。
「……悪い」
悠は素直に謝る。フォローするつもりが、逆になってしまった。自分だけが、冗談の域を超えてしまった。
三人の中で、由宇だけは両親が健在だった。
けど、それが決して良いこととは言えない。
悠と初葉は、演技で鬼婆を『お母さん』と容易く呼べる。
でも、由宇は違う。いつも引きつった笑顔を浮かべている。
どうしたって、施設の子供は辞められない。
職員は嫌になれば、異動や辞職という手段が取れるが子供には無理だ。
だから、職員には嫌われないように頑張る。
嫌われたら、居場所がなくなるから。頑張って、求められている『子供』に合わせる。
悠はずっとそうしてきた。
担当が変わっても、その度に上手く合わせてきた。
最初は、ただ生きていく為に。次第に損得を計算するようになり――今では、妹弟たちを守る為に悠は真面目でいい子になった。
「ほら、二人もつっ立ってないで手伝って」
「はーい」
元気よく返事して、初葉は駆けていった。
悠にとって、彼方は唯一合わせる必要のない職員だった。
だからこそ、つい本音が出てしまう。
それで、さっきみたいに傷つけてしまう。
その度に悠は早く大人になりたいと、強くなりたいと願った。
けど、甘えたいという感情も未だ残っているせいか、上手くいかない。いい子の仮面を外し素顔になると、悠はわからなくなる。
自分はまだまだ子供なのか、それとも大人に近づいていけているのか――