第45話 神様の命令

文字数 2,924文字

 手塚の命令を無視して、近江悠は近くにビルの屋上にいた。
 すべてではないが、彼も記憶の幾つかに損傷があった。
 それでも、自分の罪だけは憶えている。
 
 ――彼方を殺したこと。
 
 思い出す度に死にたくなってくる。
 だから、気が付くと高所にいることが多かった。

「死ぬ、べきなのかな?」
 
 右腕の痛みのおかげで、悠は感情に呑まれずに過ごせていた。
 現状、あらゆる感情よりも右腕の幻肢痛が生み出す苦痛が強い。それを増幅させることで、他の感情に気を取られずに済んでいる。

「痛い、苦しい……」
 
 きっと、彼方もそうだった。
 だって、首を絞めて地面に叩きつけた――何度も何度も。
 そして、そのあとに――父親と同じ行為に及んだ。

「――死ぬべきだろ」
 
 自分の罪を思い出すと、死ぬしかないと思えてくる。
 けど、すぐに明確な痛みが妨げる。
 まるで、生きろと言わんばかりに激しく自己主張をしてくる。
 
 ――結局、死ねはしないのだ。
 
 口だけ気持ちだけ。
 生きる理由も価値もないのに――死にもしない。
 そんな風に自己嫌悪に陥っていると、扉の音。誰かがやって来たようだ。

「ねぇ、そこのあなた。死ぬ気なの?」

 開口一番にしては、踏み入った質問。

「そのつもりだったけど、やめた」
 
 振り返ると、自分と同じ年頃の少女がいた。

 ……見憶えがあるものの、答えはでてこない。
 
 少女は警戒心もなく、今にも飛び降りそうな悠の元まで近づいてきて、
「ふ~ん」
 ぶしつけな視線を浴びせてきた。
 
 手の届く距離まで寄られて、悠は少女の背の高さに気づく。

「……きみの名は?」
 
 悠は恐る恐る問いかける。
 記憶にある限り、自分より背の高い女性は二人しかいなかった。

「私? 冨樫双葉」
 
 しかし、少女の名前に聞き憶えはなかった。

「あなたは?」
「……秋月ハルカ」
 
 意図せず、悠は嘘を吐いてしまった。
 そのことに言った本人が驚くも、双葉は自分の思考に夢中なようで気づいた様子はない。
 唸りながら、じろじろと悠を眺めて――溜息。

「秋月ハルカ? 秋月? ハルカ? う~ん、あなたのことを知っているような気がしたんだけどなぁ……」
「おれも、きみのことを知っている気がしたけど違った」
 
 同じ既視感を持っていたようだが、勘違い。
 お互いに、相手が誰であるかわからなかった。

「で、きみはどうしてここに?」
「ん? 上を見て歩いてたら、あなたを見つけたから」
「目が良いんだな」
 
 眼下の地上を見下ろして、悠は小さく笑う。人がいるのはわかるが、なにをしているかまではさっぱりだ。

「そう。それでもし、あなたが自殺する気だったら止めなくちゃって思って急いで来たの」
「足も速いんだ」
 
 少女がどのタイミングで気づいたかは不明だが、恐るべき行動力である。
 悠がここに来て、数分しか経っていないはずだった。

「それにお人よしなんだな」
「だって、私は神様だから」

「……」
 
 悠は黙り込む。

「困っている人がいたら、助けなきゃいけないの」
 
 冗談ならまだしも、気負いなくそのようなことを言われてしまうと、どう対応していいかわからなかった。

「もっとも、まだ正式に決まったわけじゃないんだけどね。けど、みんなが私を神様だって言う以上、それっぽい行いをしなきゃ駄目でしょ?」
 
 けらけらと、子供の笑顔で双葉は説明した。

「それで、なにか悩みがあるなら聞くけど?」
 
 双葉の明るさに、悠は久しぶりに感情が刺激された。嫌らしくも、この少女を困らせてやりたいと思ってしまった。

「人を殺してしまったんだ。それも大切な人を」
 
 そういった歪んだ理由から、悠は正直に答えた。

「そんな人間は死ぬべきだと思うんだけど、きみはどう思う?」
 
 案に相違して、双葉は困らなかった。嫌な顔もせず、むしろ堂々とした顔つきで質問に答えてくれた。

「だったら、あなたは誰かの為に生きないと」
 
 神様と名乗った少女は、優しい声で答えを提示する。

「あなた自身は幸せになる必要はない。それは更生ではなくて、その人の人生を奪っただけになっちゃうから」
 
 ただ、その内容は厳しかった。

「でも、他の誰かを幸せにするのならあなたは生きていてもいい。少なくとも、私は認めてあげる。他の誰かが許さないと言っても、私だけはあなたの存在を許してあげる」
 
 真っすぐな目で見つめてきたと思いきや、

「ところで、超能力とは異なった超能力を持ってたりしない?」
 
 双葉は急に話題を変えた。

「超能力とは異なった超能力?」
「そう。私たちはHって呼んでるんだけど」
「悪いけど、おれにはそんな大層な力はないよ」
 
 それが悠の本音だった。
 彼方の父親は特別な力だと言ってくれたが、とても受け入れられない。こんなモノがいったいなんの役に立つというのだ?
 誰かを殺すか脅すか、ろくでもない使い道しかないじゃないか。

「そっか、残念」
 
 そう言って、沈黙。
 だからこそ、バイブレーションでありながらも響いた。ごめん、と断ってから双葉は携帯を取り出す。

「もしもーし」
 
 そのまま踵を返して、扉まで。

「今? 屋上。なんでって、自殺しそうな人がいたから。あー、大丈夫。もう終わったから。それに問題だったのは人を殺してしまったことだったみたいだし……」
 
 双葉の声は大きかったので、自然と悠の耳に入ってしまった。

「それも大丈夫。ちゃんとツン兄やボスに教わった通りにしたから。うん? わかった。すぐに戻りまーす」
 
 電話を切ると、双葉はまたこちらを向いた。

「秋月ハルカ。あなたはまだ死んだら駄目だからね」
 
 悠は返事をせず、小さく頷いた。

「それとありがとう。あなたのおかげで、少し自信が持てた」
 
 それでも双葉は気にせず、悠には理解できないお礼を残して去っていった。

「まだ……か」
 
 あの神様は言った。
 誰かを幸せにしないと生きていてはいけないと。
 なのに、まだ死ぬなとも命じた。
 つまり、死ぬなら誰か女の子を幸せにしてからということだろうか?

「無理だろ」
 
 悠は自嘲気味に吐き捨てるも、胸に去来する気持ちはいつもの無感情ではなかった。
 ふと、それがなんなのか気になって増幅を試みようとするも、寸前のところで止めた。
 
 こんな力で前向きになったとしても、意味があるはずがない。
 この力に頼るということは、考えることを放棄したも同然である。
 事実、思い返せる限り後悔しかなかった。

 ――殺さなくちゃならない。
 
 あの時はそれが正しいと疑いもしなかったのに、冷静になってみると愚かな選択だった。
 
 どうして、自分の手で殺す必要があったのか?
 
 そんな簡単な質問にすら答えられないくせして、自分は一線を踏み切ってしまったのだ。
 
 ――超能力とは異なった超能力を持ったばっかりに。
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登場人物紹介

羽田翼(17歳)。都内の私立高校に通う3年生。性格も容姿も至って平凡でありながら、脅威の耐久力と持久力の持ち主。

不良に暴行を受けている際、居合わせた鈴宮凜に『超能力とは異なった超能力』の所持を疑われる。結果、宗教法人ASHと公安警察にマークされ――人生の選択を迫られる。

鈴宮凜(18歳)。中卒でありながらも、宗教法人ASHの幹部。

組織が掲げる奇跡――H《アッシュ》の担い手。すなわち『超能力とは異なった超能力』の持ち主であり、アッシャーと呼ばれる存在。

元レディースの総長だけあって気が強く、その性格はゴーイングマイウェイ。

冨樫(年齢不詳)。何処にでもいそうを通り越して、何処にでもいる顔。

宗教法人ASHの創設者であり、部下からボスと呼ばれている。

手塚(年齢不詳)。幅広い年代を演じ分けられるほど、容姿に特徴がない。

宗教法人ASHを監視する公安警察の捜査官。

秋月彼方(33歳)。児童養護施設の職員で、元公安警察の捜査官。

また『超能力とは異なった超能力』の所持者でもある。

父親の弱みを握っており、干渉を遠ざけている。

秋月朧(年齢不詳)。彼方の父親で警視庁公安部の参事官。

『超能力とは異なった超能力』――異能力に目を付けており、同類を『感知』できる娘の職場復帰を虎視眈々と画策している。

近江悠(15歳)。児童養護施設で暮らす中学生。

車恐怖症によりバス通学ができず、辛い受験を余儀なくされている。

幼少期から施設で暮らしている為、同年代の少年と比べると自己主張が少ない。

朱音初葉(15歳)。児童養護施設で暮らす中学生。

震災事故の被害者で記憶喪ということもあり、入所は12才と遅い。

同年代の少女としては背が高く、腕っぷしも強い。

茅野由宇(14歳)。児童養護施設で暮らす中学生。

身寄りがない悠や初葉と違い、母親は存命。何度か親元に返されているものの、未だ退所することはかなっていない。

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