第12話 凜のH
文字数 2,349文字
「――掌打、エルボー、掌底打ち」
暗がりの中、揺れる長い髪。
動き回りながらもぺらぺらと口を動かしているのは、どう見ても鈴宮凛だった。
たった一人で、翼が諦めた格闘に興じている。
追ってきた人間も棒立ちしていたので、翼は後ろから股間を蹴り上げる。もう一人も不意打ちで倒したかったが、時間切れ。
翼は手痛い反撃を食らい、地面にダイブ――すかさず、蹴りを入れられる。
「なんなんだ、あいつ――はうぅっ!?」
三回蹴っただけで安堵していた男の股間に、翼の反撃が決まった。
「はぁ……。利子を計算すんのも嫌になるぜ」
本日、借りた諸々を思い返すと返済に一週間はかかりそうだった。
その間、翼は謎の疲労、倦怠感、幻肢痛に悩まされることになる。
「すげーな、おぃ」
遠目で見ると、状況がよくわかった。
全員が凛に向かっていない。何人かは様子見している。
「――後ろ回し蹴り!」
宣言通り、凛は華麗に半回転して相手の顎を蹴り抜いた。
疑いようもなく、それが鈴宮凛の
――発した言葉を自身に強制させる。
「アーンパンチ」
と思いきや、凛はパンチと口にしながら蹴りを放った。
「……いや、単に使い分けられるだけか」
今のは、発言をフェイントに使ったのだろう。
「――テッサイ!」
訳のわからない発言は、おそらく格闘技の技。左の蹴りが見事に決まる。
「――手刀打ち、ティーカウ」
飛んできた拳を打ち落としてからの、膝蹴り。それも相手の頭を掴んで、顔面に引き寄せた。
「こいつはえげつねぇな……」
注意して見ると、宣言通りの動きをした時が恐ろしく早いっ!
「――避けて、蹴って、踵落とし」
掴もうとしてきた相手を、紙一重でかわしながらの蹴り。
男が腹を押さえて、前屈みになったところに踵落とし――一連の動作を、凛は余所見をしながら行う。
視線はもう一人を見据えており、牽制していた。
「あんたがラスト」
最後の一人は顔に逃避の笑みを浮かべ、口元をだらしなく開く。
「はっ……いや、俺は、ただ頼まれただけで……」
「だから?」
言い訳を漏らす男に冷たい返答。
「だから……」
それでもなお、言い繕おうとした男の台詞に先んじて、
「だから、俺は悪くない――って言ったら、あんた殺すよ?」
凛は容赦のない脅し文句。
わかりやすく、空気が変わった。
「あ……や……その……」
男は意味のある言葉を失い、一向に進まない。
「はぁ……。アホくさ」
翼も彼女の意見に同感だった。
これ以上、男の発言を待つ意味を見いだせそうになかった。
「一応、忠告しとく。また同じような真似をしていたら、容赦なく蹴り飛ばす」
まったく期待していないのか、棒読みに近い発音で凛は言い聞かせる。
「それと私らはともかく、正義を盾に相手を痛めつけるのが好きな連中もいるから。そいつらに付け入る隙を与えないって意味でも、馬鹿な真似は控えたほうがいい」
わかったら失せろと勝手に終わらせようとした凛に、
「ちょっと待て」
翼は口を挟む。
「なに? 仕返しでもしたいの?」
軽蔑の音色にムッとしながらも、
「しねーよ」
翼は否定する。
「そいつに、聞きたいことがあるだけだ」
凛は顎だけで、男の視線を翼に向けた。
「おまえらの狙いは、この女だよな?」
「この女とはなによ」
「誰に頼まれたんだ?」
男が素直に頷いたので、凛の文句は無視して進める。
「この女を狙ってたのは、誰の命令でもねぇよ」
翼が相手になった途端、男は掌を返した。
「ただの仕返し。俺だけでなく、他の奴らもな」
先ほどの萎縮が嘘みたいに、口調に余裕が感じられる。
「それで探していたら……たぶん、ヤーサンだろうな。声をかけられたんだよ、おまえらも赤毛の女を探しているのかって」
明らかにヤバそうだったので正直に話したら、いつの間にか命令されるようになっていた、と男は嫌そうに零した。
「仕方ねぇだろ……」
誰に聞かせたいのか、男はその場で跪くなり頭を抱えた。
「つーわけだが、どうすんだ?」
翼は渦中の人物に尋ねるも、
「どうするって、なにが?」
当の本人は他人事の様子。
「なにがって……ヤバい大人に狙われてんだぞ? おまえ」
「知ってる。そんなの、今に始まったことじゃないし」
言われてみればその通りではあるものの、翼は納得がいかず。
「はぁ? なんだそりゃっ! こっちがどれだけ頑張ったと思ってんだ!」
言わなくていいことまで吐露していまい、凛の表情がにやける。
「へーそうなんだ。私の為に頑張ってくれちゃったんだ」
「ちげー! 今のは言葉の綾って奴だ。勘違いすんじゃねーよ」
「またまた、照れちゃって」
「照れてねぇしっ!」
しばらく下らない言い合いを続けていると、不穏な足音が近づいてきた。
二人は口を噤んで目を凝らす。
誰かがこちらに駆けてきていた。足音と漏れ出た吐息からして、若くない男。
その間、凛はナップサックからスプレー缶を取り出していた。
「なに、してんだ?」
おもむろに噴射しだした凛に尋ねると、
「虫除け」
端的なお答え。
それを今する意味があるかとツッコム前に、
「あの人だ……俺たちに声をかけてきたのは……」
未だ地面に座り込んでいた男が、嫌な回答をしてくれた。