第5話 宗教

文字数 3,168文字

 案内を申し出た凜はひらひらと手を振って、歩き出した。
 エレベーターへと戻り、まず止まったのは四階。どうやら、五階と六階は見せて貰えないようだ。

「ここは聖堂、いわゆる礼拝室。一回も使ったことないけど」
「神もいないのに、祈る場所があんのか」
 
 七階と違って、このフロアは迷いようがなかった。
 エレベーターを降りてすぐに扉が四つ。何処から入っても中は同じで、無人の広い空間が出迎えるとのこと。

「神はいないんじゃなくて、不在なだけ」
 
 凛は扉に足を置いて、
「――開けっ」
 蹴り開けた。

 いくら不在とはいえ、それはないだろうと翼が呆れていると、
「急いで。それ、重いから」
 早く入れとご忠告。

 言われてみると、自然に扉が締まる速度は明らかに遅かった。

「さすが、聖堂といったところだが……」
 
 滑り込むように足を踏み入れ、翼は場の雰囲気に気圧される。
 扉が四つある時点でわかってはいたが、広い。その上、物がほとんどないものだから、余計に広く感じる。

「変わった、造りだな」
 
 空間の使い方を見るに、まったく十字架を模していない。他にも椅子はおろか、飾り窓や彫刻といった類も見当たらなかった。
 特異点としては、床とそう高くない天井に絵が描かれている。
 
 天井のほうは神と天使。
 
 全体的に明るく、煌びやかで神々しい。どれもヒト型に白い羽。人間に似た表情は、優しさよりも厳しさが感じられる。
 
 引きかえ、床は魔王と悪魔。
 
 鋭利な爪、牙、角を持つ暗い魔物の群れ。その表情は、どれも恍惚と呼べるもの。

「……気持ちが悪いな」
 
 この空間は距離感がおかしい。
 見渡すには広いのに、見上げると狭い。かといって、下を向いてもグロテスクな光景が待っている。

「――前だけを向け」

 視線をどうしたものかと翼が悩んでいると、勝ち気な声。

「人は常に、神と魔の誘惑に晒されている。それらに抗うには前を向くしかない」
 
 言われた通りにしてみると、最奥に荘厳な扉と階段。

「そして、前を向いていた者だけが――あの場所に辿り付ける」
 
 ここからでは、本物かどうか区別がつかない。立体的に見えるも、そう錯覚させるアートの線も捨てきれない。

「あれが、祭壇的なものなのか?」
「そう。ASHにおける神の仕事はいわゆる案内人。資格ある人々に階段をのぼらせ、扉を開けさせること」
「なんだよ。ちゃんと、宗教らしい教えもあるんじゃないか」
「観光気分で来られても困るから。それに資格のない者に来られても迷惑だし」
「……資格、ね」
 
 彼女の口振りからして、自分にその資格があることを翼は悟る。同時に『資格』という言葉の意味も。

「出ようか。あんた、顔色悪いし」
「あぁ、そうだな」
 
 凛の案内を待たず、翼は扉に手をかける。何気に、どれほどの重さか気になっていたのだ。

「くっ……そっ!」
 
 片手では身体が通るほど開けそうになく、両手を使う。

「あんがと」
 
 にやけながら、凛が扉をくぐる。
 別に彼女の為ではなかったのだが、礼を言われた手前、蒸し返すのは躊躇われた。

「つーか、おまえって馬鹿力?」
 
 開けられないほどではないが、しんどい。
 それを蹴りとはいえ、凛には余裕が感じられた。

「コツがあるだけ。単純な力じゃ、あんたのほうが上だって」
「本当か?」
 
 それが凛の(アッシュ)――超能力とは異なった超能力――ではないかと、翼は疑っていた。

「本当よ。そんなわかりやすいHなら、私が神になっている」
「……どういうことだ?」
「言葉通りよ。だから、あんたも神にはなれない」
 
 疑念を抱いているのは、あちらも同じ。確信はしているようだが、具体的にはわかっていない様子。

「はぐらかすようで悪いけど、ただの高校生にはこれ以上教えられない」
 
 こうも勿体ぶった言い方ばかりされると、気になって仕方がない。
 かといって、今さら平凡な学生の身分を返上することなど、翼には考えられなかった。

「次、行こうか」
 
 エレベーターが向かったのは、一つ下のフロア。

「三階は多目的ホール。希望があれば、外部の人間にも貸し出しているけど、今日はウチの信者たちが使っているはず」
 
 わかりやすいジェスチャー。凛は顔の前で人差し指を立ると、
「いいのか?」 
 こっそりと扉を開け、翼を手招きする。

「……で、なにをやっているんだ?」
 
 規則的に配置された椅子。学校の全校集会と照らし合わせ、五〇〇人は超えていると翼は確信する。
 そこには大人たちが座っており、正面のステージに注目していた。

「さぁ、あんたはどう思う?」
 
 翼は動揺を隠しきれずにいた。
 それをどう解釈したかは知らないが、凛は質問に対して質問で返してきた。

「どうって、そりゃぁ……」
 
 ステージにいるのは、平凡な大人たち。
 次々と、上っては下りていく。
 そこで一言、下らない発言を残して――

「信号無視をした子供に注意しました」
「ごみのポイ捨てをした子供を叱ってやりました」
「万引きを未然に防いで、その人の話を聞いてあげました」
「カツアゲされていた男を助けてあげました」

 大人たちは次々と小さな正義を口にしては、凄い、偉い、立派、さすが……と、拍手と賛辞を送りあっていた。
 その異様な光景に翼は吐き捨てる。

「こりゃぁ……確かに宗教だな」

 大人たちが間違っているとは思わない。
 やっていることも正しいと思う。
 だけど、それらを嬉々として宣言している様はどうにも受け付けなかった。

「あんたも、ああいったことすんのか?」
「私はしない。たぶん、あんたもしない。だって、私たちには超能力とは異なった超能力があるから」
 
 ――だから、なんだと言うんだ! 
 翼は込み上げてくる言葉を必死で堪える。

「多くの人はそんなに強くない。誰かに正しいと認めて貰えなければ、こういう当たり前のことすらできやしない」
 
 諭すよう、凛は続ける。

「それなのに、現代ではこういう当たり前のことを馬鹿にする風潮がある。だから、これは必要なことなの」
 
 とても、同じ年代とは思えない。それほどまでに、彼女の表情と語り口は大人びていた。

「あんたの気持ちはみんな知っている。だから、みんなもここでしか言わない」
 
 なんとなくだが、翼はアッシャーの役目がわかった気がした。
 何故、正義の味方と呼ばれるような真似をしているのかも。

「その場所を与えるのが、私たち〈ASH〉の活動理念」
 
 普通の人間がトラブルに首を突っ込めば面倒事に巻き込まれるのがオチだが、宗教関係者なら話は変わる。
 
 真っ当な人間なら、間違いなく関わり合いを避ける。
 
 たとえモンスターペアレンツと呼ばれるような人物であっても、新興宗教団体に表立ってクレームには行かないだろう。
 そして、この程度の問題で警察が動くはずもなく――まさに、新興宗教の悪名を逆手に取った行い。

「あるじゃないか、大層な教典が」
「あくまで、私たちは当たり前のことをしているっていうスタンスだから」
「なるほど」
 
 文章として記載されていれば、その言い訳は使えない。口伝なら最悪、伝言ゲームのように齟齬が生じたことにできる。

「やる気がないのかと思いきや、なかなか(したた)かだな」
 
 さすが宗教、と翼は内心で付け加えてホールから出る。

「もう、いいの?」
「あぁ、ここはいい」
 
 先ほどの聖堂とは違った意味で、気分が悪くなっていた。

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登場人物紹介

羽田翼(17歳)。都内の私立高校に通う3年生。性格も容姿も至って平凡でありながら、脅威の耐久力と持久力の持ち主。

不良に暴行を受けている際、居合わせた鈴宮凜に『超能力とは異なった超能力』の所持を疑われる。結果、宗教法人ASHと公安警察にマークされ――人生の選択を迫られる。

鈴宮凜(18歳)。中卒でありながらも、宗教法人ASHの幹部。

組織が掲げる奇跡――H《アッシュ》の担い手。すなわち『超能力とは異なった超能力』の持ち主であり、アッシャーと呼ばれる存在。

元レディースの総長だけあって気が強く、その性格はゴーイングマイウェイ。

冨樫(年齢不詳)。何処にでもいそうを通り越して、何処にでもいる顔。

宗教法人ASHの創設者であり、部下からボスと呼ばれている。

手塚(年齢不詳)。幅広い年代を演じ分けられるほど、容姿に特徴がない。

宗教法人ASHを監視する公安警察の捜査官。

秋月彼方(33歳)。児童養護施設の職員で、元公安警察の捜査官。

また『超能力とは異なった超能力』の所持者でもある。

父親の弱みを握っており、干渉を遠ざけている。

秋月朧(年齢不詳)。彼方の父親で警視庁公安部の参事官。

『超能力とは異なった超能力』――異能力に目を付けており、同類を『感知』できる娘の職場復帰を虎視眈々と画策している。

近江悠(15歳)。児童養護施設で暮らす中学生。

車恐怖症によりバス通学ができず、辛い受験を余儀なくされている。

幼少期から施設で暮らしている為、同年代の少年と比べると自己主張が少ない。

朱音初葉(15歳)。児童養護施設で暮らす中学生。

震災事故の被害者で記憶喪ということもあり、入所は12才と遅い。

同年代の少女としては背が高く、腕っぷしも強い。

茅野由宇(14歳)。児童養護施設で暮らす中学生。

身寄りがない悠や初葉と違い、母親は存命。何度か親元に返されているものの、未だ退所することはかなっていない。

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