第40話:同棲生活と清水の心筋梗塞

文字数 1,785文字

 そして愛する人との人生を謳歌した。薫子が、さっぱりとして性格で、掃除、炊事、洗濯などをこなし、きれい好きで申し分ないと清水は、感じていた。また、薫子の方も、清水の優しさを再認識した。久しぶりに再開した後、一緒に住んでくれ、神様に感謝した。やがて梅雨のシーズンを迎え、散歩できない日が増えた。

 仕方なく、近くのランドマーク方面に向った。数分後、クイーンズ・スクウェアのポンパドールでパンを購入。そして窓越しに見える霧に煙る横浜の海を眺めながら、広い室内フロアーを散歩。やがて、お腹が空くと11時過ぎに「牛タン喜助」へ行き、好きな牛タン定食を食べた。特にスープの味と牛タンの旨さが抜群で月1回は、通った。

 雨が上がると、桜木町駅近くから、汽車道と呼ばれる、汽車の線路跡を散歩して、赤レンガ倉庫へ向かい、倉庫内を見て回り気に入ったものがあれば買って帰り、最近で来た、カップヌードル「日清食品」ミュージアムへ入ってみたりもした。雨が振らない時は、インターコンチネンタルホテルの前の「ぷかり桟橋」へ行った。

 そこから横浜駅行きのシーバスに乗って、短い船旅を楽しんだりもした。この道を知った後、たまに、カルチャースクールの英語教室に行く時にも、家から徒歩で、みなとみらい駅の周辺を15分散歩し、インターコンチネンタルホテル前のぷかり桟橋のとなりの船着き場で、横浜駅東口の横浜ベイクオーター行きのシーバスを待った

 シーバスに乗り、向かいの瑞穂埠頭の大型タンカーや海上保安庁の船を眺めた。また、シーバスに乗り、潮風にふかれ横浜駅東口から徒歩、5分のそごうのカルチャーセンターへ行き帰りも同じ道で帰って来る事も楽しんだ。たまに清水と二人でデート気分で横浜公園の近くの「カサ・デ・フジモリ」というな名前のスペイン料理屋へ足を運んだ。また、テラス席のある県民ホール近くのイタリア料理のローマステーション。

 その他、シルク博物館近くで、横浜港の入り口にある老舗の北欧料理のスカンディアにも出かけた。それらの店に大切な友人を呼んだり、お祝いの時は、生演奏が行われる優雅なレストラン・アルテリーベを予約する事も楽しみだった。これには、招待した友人達も常に、喜んでくれ、楽しい一時を過ごす。

 2014年11月17日、SBI証券に勤める長女の清水百合から朝8時過ぎ、電話で豪ドルの気配値が102円と言われて、20万豪ドルと全部日本円に替えると税引き後利益が1850万円となり資産合計が1億2千万円となった。その後、2014年12月20日、早朝、清水が、突然胸が苦しいと言いもがきだした。

 慌てて薫子が救急車を呼び、一番近い、けいゆう病院に運ばれた。救急外来につくと、直ぐにストレッチャーに乗せられ、手術しますので書類にサインして下さいと薫子に渡されて書いて提出。1時間以上してから無事ステント手術が終了しましたと医師がきてノートに心臓の絵を書いて、ここがつまっていたと説明した。

 そして、これで大丈夫ですから安心して下さいといわれた。処置が早かったのが良かったですねと言い、多分、後遺症は残らないと思いますと話してくれた。それを聞き安心し、薫子は家に帰った。ところが、その晩、19時過ぎ家の電話がけたたましくなった。電話に出ると、けいゆう病院から、旦那さんの様子が急変したと言われた。

 薫子は、マンションを出ると走って数分で病院に着いた。そこで、看護婦さんが、夕食をとって、急に、胸が痛いと言い意識を失ったと同時の状況を説明。先生が、理由は、まだ、わからないと告げた。少しして、看護婦が手術室に呼ばれ、数分後手術室から出て来た。再凝血したようですと語った。

 本当に、まれなのですが、血が固まらないようにする薬・ヘパリンを使ったが、血が固まりだしたと説明した。とにかく再手術をしている最中だと説明。今度は、慎重に観察を続けるとの事で、数時間、お待ちいただく事になりますと告げた。不安に駆られながら数時間が経ち0時近くになり手術が終了。

 しかし、血が固まらないように、あと数時間、経過観察をします。その後、念のためICU「集中治療室」で、24時間体制で患者さんの容体を監視する事になりますと説明してくれた。
ますと看護婦さんが、薫子に説明した。容態が良くなって、意識がはっきりしたら面会できますと言われた。
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