第13話:グアム旅行と投資と長女、百合の結婚式

文字数 1,762文字

 そのため簡単な仕事の就職を受験したが重度メニエールと聞くと採用してくれない。そう考えると恐怖心すら感じるほどだ。女房もたまりかねて、不定期のアルバイトを掛け持ちすると言ったが、嫌、それより、いつもそばにいて欲しいと清水が鞠子さんに依頼した。それを聞いて、わかりましたと答えた。

 やがて2002年が終わり2003年を迎えた。正月休み、清水敦夫が、夫婦で新年の挨拶に来た。帰った後に、長女の百合が、今年6月15日・日曜、同じ会社の松田健介さんと結婚すると報告しに来た。結婚式は東京駅近くのホテルと言われ、母の鞠子は、百合も結婚しちゃうのと言い、涙を浮かべた。

 自律神経失調から来るメニエール病は、寒いのが悪いので、南国で療養すのも良いと耳鼻科で言われ、2003年2月3日から3月6日までの約1ケ月、常夏のグアムのレオパレスリゾートに滞在して、リハビリテーションを兼ねて、散歩したりして過ごす事を決めた。グアムに到着すると真冬でも太陽が上がる昼間は20度を超えて散歩すると、しっかりと汗をかく。

  散歩後、シャワーを浴びて、昼寝をする生活を始めた。気分転換に、近くの豪華ホテルやレストランで食事した。滞在してるリゾートのフロントでサンドキャッスルのショーを紹介され見に行った。屋内テニス場でテニスをしたり温水プールに入ったり海辺の砂浜を散歩したりして、3月になり3月6日、日本に戻ってきた。

 帰ってくると寒い日々が続き外に出られなくなった。そのため清水夫妻は。逆に、体がきつくなり、今後、南国療法は、難しいと感じた。その後、2006年5月7日、朝、8時過ぎ、M証券から電話が入った。そして、リート「日本ビルファンド投資法人」の気配値が200万円となっているので売りと言われた。

 そこで、全株、成り行き売りを指示しすぐに売れ、税引き後利益が3400万円となり清水の資産が再び1億円を超えた。そして6月15日となり長女の百合の結婚式に参加するため東京駅近くのホテルに前泊し、夕食時、夫婦で子供たちが生まれて育ってきた時の思い出を懐かしそうに回想。子供達の可愛い時って短いわねと、鞠子さんは、涙を浮かべ語た。

 すると、その分、私たちには、死が、近づい来ると清水薫が静かに言った。翌日は、盛大な結婚式で余興も盛り上がり良い結婚式だったが、両親への言葉の時、鞠子さんは、泣いてしまい、父の清水薫が、文章を読み上げる格好となってしまった。最近、鞠子さんは、涙もろくなってると感じた。そして、百合は、嬉しそうに新郎の松田健介さんと新婚旅行に出かけた。

 家に帰った鞠子さんが、私たち2人になってしまったわねと悲しそうに言った。確かにそうだが、子供たちはいつか、必ず、巣立ちを迎える、これは、人間も動物もみな同じだ。だから、祝福してやろうじゃないか。また、その子供たちが、次の世代の孫を生んでいくのだからと言うと孫の顔を見たいわねと言った。

 新婚旅行から帰ってきた頃、清水が、長女、百合に電話してSBI証券に、俺の口座を作ると言い投資口座を作り、2000万円を送金した。これには、百合も、お礼を言った。そして百合が、資金が豊富だから安全な外貨投資の方が良いかもしれませんねと、よそよそしい言葉で言うので任せるよと笑った。

 そうして2006年が終わり2007年を迎えた。2007年になると、清水も体調が徐々に回復して運転しても以前程、疲れることがなくなり、集中力の持続時間も飛躍的に、伸びた気がした。そのため夏は、厚木、秦野から丹沢で山岳ドライブ、相模原、津久井から道志川を抜けて富士五湖へドライブした。

 秋には、箱根仙石原のすすき草原へ行き、銀色に輝くすすきの穂をながめ写真を撮り、その晩は、有名な温泉に泊まり、翌日は、熱海の来宮神社を参拝して、川奈ゴルフ場からの素敵な景色を眺め多くの写真を撮った。箱根の温泉ホテルに宿泊して2泊3日の旅行をした。やがて2006年も終わり2007年を迎えた。

 この年、1月に大手菓子メーカーの不二家が消費期限切れ牛乳を使用してシュークリームを作っていたことが発覚。洋菓子製造・販売の長期休止を余儀なくされ創業家一族の社長が引責辞任。北海道の土産「白い恋人」の賞味期限改ざんなど日本人の食への信頼が大きく揺らいだ。
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