第21話:旧友との再会と積もる話3

文字数 1,768文字

 次に、訪ねたのが石川四高記念館。明治26年から約60年間、旧制高等学校として使用された歴史ある建物。現在、四高と学生を育んだ風土と時代を知るための展示空間となっている。入り口のレンガ作りの重厚な門の向かって左側に「石川四高記念館」右側に「石川近代文学館」と書いたいたが貼ってありバンカラの雰囲気が漂っていた。

 建物の中に入るとレトロ感たっぷり、どことなく懐かしい香りと雰囲気に、どんどん引き込まれた。日本で当時、8つ設立された名門ナンバースクールのうちの1つである、金沢の四高の古い記録や写真から当時の四高生の当時の生活をうかがい知ることができた。その後「いしかわ四高記念公園」へ行った。

 ここは、金沢市民のオアシス。2010年のリニューアルオープンして、この名前になったそうだ。旧制第四高等学校の学舎と緑が共存する公園。園内には水が美しく流れ落ちる階段状の滝「カスケード」や芝生もある広場。それに石川四高記念文化交流館と自然林がある。広い敷地内を散策している途中の休憩に最適なベンチがある休憩所もある。

 周辺は宮内庁や金融機関、行政機関が存在し観光地というよりも落ち着いたオフィス街のような雰囲気。石川四高記念文化交流館は四高の伝統や歴史を継承するための展示などがされている。外観も美しく歴史を感じさせてくれた。そして、散策に疲れ、お腹が空いたので、近くのレストランで、昼食を取って、ゆっくりと珈琲を飲んた。

 16頃には、日航ホテルに帰った。散策で疲れたので、部屋で風呂に入って、汗を流して、ベッドに入り、ゆっくりと過ごしていると、うつらうつらして、いつの間にか眠りに落ちた。
「夢の中で、清水は、薫子と結婚し同居していた」
「清水が、なぜ、君と僕が、結婚したのと薫子に聞くと不思議そうに大丈夫と言った」

「それに対し、何でと聞くと薫子は、答えず、謎の笑顔を浮かべているだけ」
「なんで、なんでと、清水が叫びながら、まるで、飛行機から飛び降り、急降下しはじめて、助けてーと言った」
 その後、大粒の汗をかいて目覚めた。すると18時をすぎていた。

 もう一度シャワーに入った。そして着替えてフロントの前で薫子を待つと、18時半過ぎに薫子が、オシャレしてやってきた。色白で背が高く、淡いピンクのブラウスと緑がかったコートがよく似合っていた。
「待ったと聞くと、いいや、ちょっと前に来たばかりだよと、清水が答えた」

「今日は、何食べるというと、清水が聞き、寿司でも食べるかと聞くと、寒いから、やはり温かい中華が良いわと答えた」
「そこで中華料理の桃李へ入った。すると、昨晩のウエイターが覚えていて、いらっしゃいと声をかけてくれた」

「寒いから、暖かい料理を、昨晩の同じ様、頼むと言うと了解しましたと答えた」
「昨晩とは、違った料理で暖かい物をと料理長にも伝えておきますと言った」
「最初に、ワインをついでもらい、乾杯し、前菜が出た」
「次に、回鍋肉『ホイコーロ-』が出て来た」

「薫子が、これ旨いよねと言うと、ウエイターが青椒肉絲『チンチャオロースー』も出しましょうかと聞くので、お願いしますと言った」
「今日は、昨晩とうって変わって、薫子は、笑顔で明るく、金沢の店をたたんだら、私、横浜に帰るわと、言い出した」。

「清水さんの家の近くのアパートを探してと笑いながら言うと良いよと答えた」
「薫子が、懐かしいな、みんな元気かな、早く会いたいなと言った」
「すると、清水が、僕も、実は、よく知らないと話した」
「自分も高専を出て、オイルショックが起きて、急に不景気になったので良い就職口がなくインクの会社に入って重労働させられたと語った」

 激務で体を壊し1年余りで退職。その後、新聞の募集欄を見て、埼玉の鉄鋼関係の化学材料の会社で研究開発の仕事を約3年して、給料が上がらないので退職した。そして、景気が良くなりだし製薬企業の医薬品宣伝の営業マンになった。窓を見ると空が、夕暮れ色に染まった。
「薫子は、恐る恐る、清水に、奥様は、と聞いた」

「実は、3年前、2009年7月、すい臓ガンが、転移し亡くなったと言った」
「それは、お気の毒にと言ってくれた」
「最初、4月に、すい臓がんが、見つかり治療をしていたが、転移が見つかると、急に、元気がなくなり、七夕を祝った翌朝、亡くなったと話した」
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