第47話「最終話」:有志で台湾クルーズへ行こう

文字数 1,802文字

 清水と薫子は、ランドマークのスポーツジムに通い、そこの仲間達が、台湾クルーズを計画し、誘われた。これを聞き同級生の仲間にも連絡すると薫子が、清水に話した。翌日、今市、雨木、樋口に連絡すると行きたいと語り、樋口さんだけが仕事でいけないと言った。その後、今市節子、雨木久子が、2人で行くと連絡してきた。

 その話をスポーツジムの仲間に話すと2室、予約してくれると言われた。価格は1人15万円と言われ、今市節子、雨木久子にも連絡、出発は、2017年10月11日から20日の9日間と連絡が入った。今市節子、雨木久子が、前日、薫子のマンションに泊まらせてと言われ、了解した。

 そして、夏が過ぎ、クルーズ出発の前日、10月10日、今市節子、雨木久子が、大きなスーツケースを持って、やってきた。荷物をリビングの隅に置き、夕食を食べて、その晩は、興奮し、遅くまで酒を飲んで、床についた。翌日11日の11時に、タクシーで10分で、横浜客船ターミナルに行き、乗船手続きを取り大型豪華客船に乗り込んだ。

 大勢の乗船客がいて12時半、海側をみられる部屋に入室した。その後、カジュアル・レストランに行って昼食を食べた。大勢の客で、混み始めていた。出港すると横浜港を出てベイブリッジを抜けて海から横浜を見て多くの写真を撮った。しかし、しばらくすると少し眠くなり、部屋に戻り、昼寝を始めた。

 夕方、シアターで歌謡ショーを見て楽しみ、夕食を食べて、女性達のおしゃべりを聞いた。清水は、昼寝していなくて23時には床についた。翌朝、名古屋港に到着したが、この日は、ツアーに参加せず、船の中のジムに行き、ランドマークのジムの友人に、学友の今市、雨木を紹介。ジムで汗を流し風呂に入って、今晩もショーを見に行き楽しんだ。

 しかし、この日、運動したせいか22時前、仲間は、部屋に帰った。翌日、大阪港に着き、大阪見学に4人で出かけ道頓堀を見て、大阪城見学。その後、お好み焼きを食べて大阪駅近くのキタのデパートを見て回り喫茶店で、おしゃべりにつき合い、ゆっくり過ごし船に帰った。部屋に集まり、ビールを飲んでから22時には部屋に帰って床についた。

 翌日、那覇港に到着、ここは、那覇市内から少し離れているので観光をせず、ジムで汗を流し、午後、船は、那覇を午後に出て台湾・基隆に向かい那覇港を出発した。今晩も、ショーを見に行き、レストランで酒を飲んで、ゆっくりしてから、床についた。翌日は、いよいよ、台湾・基隆に到着。

 パスポートのコピーを持って下船後に入国審査を受け、難なく通過。その後、銀行へ行き台湾ドルに両替した。そして、タクシーに4人で分乗して、台北駅へ出発した。今日は、あまり混雑していなくて30分で到着し、台北101へむかった。台北101では、展望台のある89階までなんと37秒で到着してしまうというので驚いた。

 91階に屋外展望台があり、直接風を感じることができますが、あまりに紅いので、窓から外の眺めたが、その高さのすごさを感じ、遠く方まで、じっくりと見物した。その後、国立故宮博物院で、天然の翡翠と玉の混ざり具合をうまく利用した繊細な彫刻で有名な「翡翠白菜」は、翡翠巧彫の最高傑作と言われてる。

 清廉潔白を意味する白菜の上に、子孫繁栄と多産を意味するキリギリスとイナゴ。これは、紫禁城内の永和殿にある。 他、3層になっている石に加工した、豚の角煮そっくりの「肉形石」「現在は南院に展」や小さなオリーブの種に8人が乗ってる船「雕橄欖核舟」、1本の象牙から21層の球体を掘り出した「彫象牙透花雲龍紋套球」などが、必見と言われていた。

 そこで、じっくり観察してきた。お腹が空いたのでB級グルメ天国の西門町へ行き、今市節子が、台湾好きの友人から教えてもらった阿宗麺線ののお店に向かった。麺線とは、日本のそうめんの様な細くて柔らかい麺の事。かつお風味のお出汁に臭みのないよく煮込まれたモツ、実に、美味しく、小腹がすいていたので、ちょうど良かった。

 カフェで一休みしタクシーで基隆の港に帰り15時半に船にもどった。部屋でゆっくし、風呂に入ってから、夕食をを食べに行き、ショーを見て、早めに床に就いた。その後の2日は、終日航海。最終日の朝日が、素晴らしく写真を撮った。
「その朝日向かい清水と薫子は、今後の人生に幸多かれと願わずにはいられなかった」
【終了】
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