第6話:転職と超高温火災の経験

文字数 1,682文字

 そして東京本社の星野営業部長が午前中に来て東京本社の山縣社長に面会して入社の挨拶をした。そして、いくつかの書類に判をついて、正式に採用の辞令をもらった。条件は、残業代金は、なく年俸制であった。毎年、業績に応じて昇級交渉をし年収を決めると言われた。社長は、早稲田大学の博士号を取り、多くの特許を持つ学者であった。

 清水は、帰り、電車で2時間かけて夕方16時、最寄り駅に着き電話して迎えに来てもらい17時前には社宅に帰った。そして、仕事を開始、まず工場長に新製品の配合の試案を5つ提出し、議論しながら進めた。そこで、材料の重量を下げるには特殊パルプの量を多くする事が必要で、そうすると耐火性が落ちるので、その比率が重要だと言われた。

 そこで、5つの試作品を作り試験を繰り返しその配合比率が決まった。比重の軽い耐火材の配合比率を上げる事で性能を上げることが出来た。成形は、特殊プラスチック粉末レジン「硬化樹脂」を使用することにした。その新製品ができあがったのは、入社から半年後の1977年3月。その後、燃焼状況、到達温度と、その降下時間が、重要であった。

これは、粉末の細かさが、重要な要素となり、この実験も工場長に試作品を渡し燃焼試験をお願いした。毎日、材料を混合するための金だらいに多くの材料を混ぜる作業を見て工場の人達は、清水を随分変わった人だと思っていたようだ。その後、10月には、新製品候補が、3つに絞られた。その後、1977年12月までに、社長に、その製品の情報を提出。

 1978年1月、社長が、工場に来た。そして工場長と共に新製品をどれにするかのテストをして最終的に許可をもらった。そして3月から新製品をテストするために一番仲良くしてる工場で、商品テストを開始。大きな問題もなく時間が過ぎたが工場の担当者から壊れる率が多すぎるとクレームが付いて、もっと商品の強度を上げるように言われた。

 そこで成形するための樹脂の含有量や細かさを変えたりして強度を20%上げる事に成功し、納入するとクレームが消失。従来の主力製品の重量が1/3で同じ必要最低限と耐火性能、発熱と保温時間が20%長くなり従来の商品から徐々に新製品に代わっていった。しかし特殊合金など溶融温度の高い物には耐久性が、持たず従来品を使えなかった。

 製造原価が20%高くなったが重量が1/3となり従来品の製造原価の40%で新商品が作られ、主力品が従来品から交代。その後、新製品の成功の特別報奨金ももらい。年収も増えたが、300万円足らずで、決して高くない。田舎で物価が安く、飲み屋も遠く、社宅でウイスキーを飲むので、それなりに金は貯まった。

 1978年10月のある日の深夜、工場の社宅に住んでいた、独身の山内技術部長が、大声で大変だ起きろと大声で清水をたたき起こした。起きると鼻をつく化学薬品の臭いだ。新製品のレジンの臭いだと、すぐ直感し、工場の商品の乾燥炉へ向かうと高温で、引き上げ式の乾燥炉の扉が、高温でオレンジ色になっていた。

 水をかけましょうかと言うと馬鹿。1000℃近く高温に水をかけると爆発するから駄目だと言い、すぐ事務所の2階に上がり消防署に電話を入れた。10分位で消防車が4台、やってきた。その時、山内技術部長が1200℃を超える超高温なので砂をかける位しか出来ないし燃え尽きるまで待つしかないでしょうと言った。

 扉に水かけて、冷やしましょうかと聞くと、危険だから、やめてくださいと冷静に言った。消防士が、どうしたよいのですかと聞いた。万が一、周辺に燃える移らない様に近くの施設に放水して燃え広がらないようにして下さいと伝えた。その指示通り、近くの工場のシャッターや建物に放水を始め15分で終了。

 後はどうすれば良いと、消防士が聞くので、山内技術部長が、燃え尽きるまで待つしかないと言った。どの位かかるかと聞かれ、多分、短くて3時間、長くて5時間と言った。そんなに、かかるのかと驚いていた。じゃー3時間待って、燃え広がらないと判断したら、帰りますと言うと、それでお願いしますと言った。
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