第26話:薫子の横浜観光

文字数 1,639文字

「しかし、その分、プロパーの売上の奪い合いは激烈だったと振り返った」
「朝7時から、夜の21時まで、14時間労働だった」
「外勤が10時前から19時半までかかり、接待の時は、朝まで飲んだり、2、3泊の接待旅行や早朝から先生を迎えに行ってゴルフをしてご自宅に送り届ける」

「先生の好きな物を調べて、盆、暮れの中元、歳暮と、とにかく疲れた」
「激務で多くのプロパーの神経がおかしくなったり、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、メニエール病、交感神経失調症、精神病でやめていった」
「そんな話をしていると、0時を過ぎて、寝よう言い、電気を消した」

「ここらは繁華街で窓を閉めないと周りの灯りが眩しいと伝えた」
「そんな日々を過ごしてると、あっという間に、夢の様な7日間が過ぎた」
「清水は薫子さんを東京駅まで送り、早めの昼食を失書に食べてた」
「その後、ホームで、彼女を送り、列車が見えなくなるまで手を振り見送った」

「やがて横浜にチューリップが咲く頃、4月18日に薫子から電話が入った」
「そして、金沢の金物屋の後処理は、全て済んで、横浜に向かいますと述べた」
「2013年4月22日の新幹線「かがやき504号」東京着10時20分」
「8号車と告げられ、ホームで待って、薫子と再会」。

「横浜駅からタクシーで清水のマンションへ行き、買ってきた旨そうな駅弁で昼食をとった」「その後、みなとみらいへ食料品を買いに行き、買い物を終えた」
「マンションで、珈琲を飲みながら、本当に、ここに住んで良いのねと薫子が清水に再確認すると、ここは、俺の名義だし、誰も文句を言う奴はいないと明言した」

「それなら良いけれどと言い食費半分出すと言うと君の好きにしろと清水が言った」
「それを聞いて安心したわと言い薫子は、清水のほっぺにキスをした」。
「山下公園と港の見える丘公園のチューリップは、今が、見頃だから、明日と、明後日、一緒に行こうと良い、君、自転車に乗れるかと聞いた」

「えー、運動神経は、こう見えても良い方よと言った」
「それなら、散歩の時に使う、折りたたみ自転車を買ってこようと言った」
「了解と言い直ぐに近くの自転車に注文すると、届けてくれ、代金を支払った」
「翌、4月19日、2人で最初、山下公園に行き広い庭園のチューリップを眺めた」

 次に、港の見える丘公園に向かったが、山下公園を過ぎて元町方面に向かい左折して谷戸坂にさしかかると急坂で、途中で、自転車を降りて、坂の頂上の「港の見える丘公園」についた。
「多くの色のチューリップの前で立ち止まり、じっくりと見て回った」
「外人墓地へ入ろうかというと薫子が、墓地は怖いからと言った」

 そこで、昔、建てられた素敵な外人住宅、山手234番館、エリスマン邸、ベーリックホールを見て回った。山手234番館は、アパートとして使われていた説明。
エリスマン邸は、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人として活躍。
スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅。

 そのエリスマン邸は、「近代建築の父」といわれるチェコ人の建築家アントニン・レーモンドによる設計。1924年「大正14」年から1925年「大正15年」にかけ山手町127番地に建てられた白亜の洋館。創建当時は木造2階建て和館付きで建築面積は約81坪。屋根はスレート葺、階上は下見板張り、階下は竪羽目張りの白亜の洋館。

 煙突、ベランダ、屋根窓、上げ下げ窓、鎧戸といった洋風住宅の意匠と、軒の水平線を強調した木造モダニズム的要素を持っています。設計者レーモンドの師匠で、日本車遺書の洋風建築である帝国ホテルを設計したフランク・ロイドライトの影響も見られる。

 1982年「昭和57」年にマンション建築のため解体されたが、1990年「平成2年」、元町公園内の現在地「旧山手居留地81番地)に再現された。1階には暖炉のある応接室、居間兼食堂、庭を眺めるサンルームなどがあり、簡潔なデザインを再現しています。椅子やテーブルなどの家具は、レーモンドが設計したもの。
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