第32話:摩周湖の伝説と北方領土

文字数 1,688文字

 それが、現在、どの山か不明だが、その山の一方から、赤い水が流れている。これは山の涙であるという。そしてポンヌプリのあった跡は沼になっているという事である。こうしたことがあって以来、阿寒の人が屈斜路湖上に出ると、必ず雨が降ると伝えられている。2つ目が「阿寒湖のマリモ伝説。

 昔、阿寒湖に菱の実「ペカンペ」があったが、阿寒湖の神様は、それを喜ばず邪魔をしていた。しかし、ペカンペは、なんとか神様の機嫌を取ろうと努力し「私たちは出来るだけ仲間を多くしたいと思いますから、どうかいつまでもこの湖においてください」とお願いしたが、苦り切った神様は「お前達を湖に置くとどうも湖が汚くていけない」

「それにお前達がいると、お前達を取るために人間が多くなって、いっそう湖が乱れるから置くことは出来ない」とペカンペの願いは、にべもなく神様に断られてしまった。我慢をし続けてきた、ペカンペもこの神様の冷酷な言葉に憤然として、あたりにあった草をむしって、丸めて湖に投げ入れ、ここを去ってしまった。

 そのペカンペに、むしられて投げ込まれた草が、現在のマリモになったと言うのである。当時、アイヌはマリモを「トーサラウンペ」・湖の妖怪と言って恐れていたと言う。3つ目が「魔神と戦った六十人の戦士と雌阿寒」別説では、魔神を退治に向かったのはオタスウンクルではなく、国々から選ばれた六十人の勇士。

 十二日間に魔神の手下を全部退治したが、勇士達も傷つき、あるいは殺され、二十人たらずになったが、最後に魔神の王を攻め激しい戦いのうちにそれらの勇士も傷つき、たおれた。最後に雌阿寒から魔王を引き出して退治したのは僅か六人であった。この六人の勇士と国々の神様に厳重な談判をされた雌阿寒は泣く泣くその罪を詫びた。

 その償いとして魔神に殺された五十四人の勇士の屍体を集め自分の持っていた薬を沸かして傷を治し元の達者な人にした。それでアイヌはこの山をニッネアウンシリ「魔神の入った山」と言い奉らなかった。しかし、その後、怪我や病気の時、雌阿寒の薬湯で身体を治すようになってからは、また、奉りをするようになった。

 この話を聞いて、美しい湖と山のおりなす摩周湖の景色が大好きになったと清水が、笑いながら言うと、それでは、また、是非、再び、お越し下さいと摩周湖レストハウスの御主人が言うと、必ず、また、来ますと言った。*なお摩周湖の伝説については、アイヌの言い伝えの話を参照させていただきました。

 翌日、厚岸の霧多布湿原まで足を伸ばし、とにかく広い湿原を見ていると川を悠然とカヌーを漕いでる女性達にあった。風蓮湖、温根沼の方まで足を伸ばし根室に到着した。沼と言っても巨大でまるで海の様な広さ。根室の港を回ったが、これと言った見所もなく、車で帰路について途中のカフェで休んで夕方、釧路のホテルに帰った。

 その後、避暑のために来ていたので、疲れたら寝て、夕方、天然温泉の風呂に行ったりして、その晩は、ゆっくりと休んだ。その翌日、ホテルのフロントに。北方領土が一番良く見える場所を聞くと釧路から近い所では、根室か標茶町の北方領土館の前、中標津町海洋台、別海町の北方展望塔、叫びの像と言った所かなと教えてくれた。

 それを聞いて標茶町と別海町と中標津空港も見てこようと、車で出かけた。釧路を出て国道272号線を北上して、1時間半で中標津空港へ到着した。空港内に入ると2階建ての小さな地方空港と言った雰囲気。周りが広大な土地と遠くにいくつもの山が悠然とそびえ立っていた。飛行場内には、微笑ましい牛の親子の像が展示してあり心が和んだ。

 空港内のレストランで、早めの昼食として、カレーを食べて、中標津空港を後にした。30分足らずで標津町に到着。その後、標茶町の北方領土館を見学した。望遠鏡があって、見てみると国後島が目の前に見えて、こんなに近いのかと驚いた。

 外に出て、港を歩くと港に多くの漁船が陸揚げされ整然と並んでいて、その向こうに国後島の山が、くっきりと見えた。こんなに近いと、以前住んでいた人にとって、郷愁の念に駆られるのは無理もない。
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