第16話:気分転換の旅行と旧友との再会

文字数 1,728文字

 そんな妻との別れか約3年が経ち、朝晩、冷え込み始めた2012年4月24日、1人きりで北陸新幹線に乗り、金沢の先の温泉郷への旅に出かけた。東京駅7時20分の新幹線「かがやき503号」に乗り込んだ。そして金沢から粟津駅へ行き、タクシーで粟津温泉の温泉旅館に入った。ちょうど、昼頃に宿に到着し昼食をとった。

 その後、宿の周りを散策して14時にチェックイン。ゆっくりと温泉につかり、あがった後に、ビールを空けて飲むと、その旨さが五臓六腑にしみわたった。1本飲み終わり少しすると、旅の疲れか、眠くなり、1時間ほど仮眠した。17時過ぎに起きて、少し、旅館の庭を見て回ると、立派な池に、数多くの大きな鯉が泳いでいた。

 苔むした趣のある庭を散策しフロントのソファーに腰掛けて休んだ。やがて19時になり、夕食を食べた。美味しそうな料理の数々だったが、やはり、1人は寂しいものだ。すると、亡き妻との出会い、結婚、子育ての時代の思い出が浮かんだ。その時、ふと、中学時代、グループ交際で仲の良かった中田薫子の事を思い出した。

 彼女の祖母がユダヤ人で色白、細身の美人だった。そして風の便りで、彼女が、地元の名門、町田高校を卒業して、地元では最大手の銀行に勤めた。その3年後の社員旅行で知り合った、金沢の電気工事屋の若旦那と交際2年で結婚したと聞かされた事をふと思い出した。

 今回の旅行は、粟津温泉、片山津温泉、1泊ずつと金沢に2泊の4泊5日の旅行。金沢で、もしかしたら、彼女に会えるかも知れないと、少し期待していた。
 食事を終えて、部屋に戻り、テレビを見ていたが、さっき思い出した、中学時代の中田薫子のことが急に脳裏から離れなくなってしまった。

 そして眠れぬ夜となり、中学時代をおもいだした。宿のフロントで精算して、タクシーの運転手さんが、海を見に行くなら、橋立漁港がよいと言い、近くには北前船の里・資料館もあると教えてくれた。橋立漁港で下ろしてもらうと多くの漁船が整然と並んでいた。その漁港を写真を撮りながら散策した。

 そして北前船の資料館へと歩いき10分足らずで到着。入って見ると、まず、船を描いた絵馬が目に入った。それは、船主や船乗りが航海の安全を祈願、または、無事航海を終えた事に感謝するために地元の神社に奉納されたもの。絵馬は主に大阪の「吉本善京」や「絵馬藤『えんまとう』などの専門の絵馬師により描かれました。

2つの絵馬あり、1つ目が、橋立出水「いずみ」神社奉納「幸得丸・幸甚丸・卯日丸」、2つ目が、橋立出水神社奉納「毘沙門丸」だった。次に、船模型が飾られてきた。船模型は船を新しく造る時に、船大工から船主に贈られるもので多くは実物の20分の1の大きさ。

 ここに展示している瀬越の北前船主広海家の広徳丸は極めて精巧に作られており、明治20年頃の北前船の船形を忠実に現していた。次に目に付いたのが、遠眼鏡「とおめがね」、現在の望遠鏡だ。海上で船頭が他の船や陸地を見るためや問屋の主人が港に入る船を確認するための物。

 もとはオランダから輸入したものですが、器用な日本人はこれを真似て作りました。筒を紙の一閑張りとし、漆を塗った上に金で模様が描かれています。その他、船箪笥「ふなだんす」と言い、船の中で大切な書類やお金、着物などを入れるもの。海難に備えて海に投げ込んでも水が入らないようにきっちり作られている。

 外側は頑丈なケヤキで更に鉄板で角を囲む。中の引き出しは軽い桐が使われ、前扉には鉄のすかし彫りがつけられているものもありデザインも魅力的。主に3つの形があり懸硯型「かけすずりがた」小型の手提げ金庫、帳箱型「ちょうばこがた」動かさない据え置きの金庫、半櫃型「はんがいがた」で衣類を入れるたんすだった。

 その他珍しい物として和磁石「わじしゃく」があった。左が本針・正針「右廻りに子、丑、寅・・・」右が逆針「さかばり」・裏針「左廻りに子、丑、寅・・・」逆針の磁石は子「北」を船首に向けて据えると、磁石の指す方向と船の進路が同じになる。引札「ひきふだ」とは現在の広告チラシ。ここにある引札は大阪から瀬戸内を経て、日本海の各港に寄港して北海道に至る北前船の特徴がよく表れてる。
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