世界各地から見たC19バイオハザード後の国際経済
文字数 20,055文字
星槎大学 共生科学部(共生科学専攻)卒業
敷地顕
人類を他の動物と区別する特徴としては、直立二足歩行や、生老病死(死生観)を思索し、多様な宗教文化を開花させた事が挙げられる。禁忌や差別問題にも、文化圏の個性が反映されている。豚肉食や飲酒を禁ずるイスラームは、仏像やグラビアなどの偶像も忌避するので、こうした異文化と交流するには、異文化を理解する必要がある。
折しも、アフガニスタンでタリバーンが復活し、女権を制限するイスラム主義が問題視されているが、他方で政教分離のトルコや、原理主義的スンナ派(ワッハーブ派)のアラビアでも、多くの女性が社会に参画している。日本は先進国の中で、女性の社会進出が遅いと指摘される事もある。そこで、女性を優先的に採用するアファーマティブquota制度が議論されるが、逆差別に陥らぬよう、慎重な試行錯誤が求められると思う。
新型ウィルスC19パンデミックは、大学の授業をオンライン化するなど、インターネットの可能性を広げた。その結果、現地の空気を五感で体験してこそ得られる「オフライン」の文化(伝承・慣習)も、改めて価値を見出された。世界で活躍されている先達の方々から、学ぶべき事は多い。
地球の中心は地下6371kmだが、世界地図の中央に配置すべき国はイングランドか? イスパニアか? それとも「極東」の日本か? 南半球を上方に配置した世界地図も存在するが、東アジアの地図を上下回転させると、露・中・朝の視点から日本列島が見えてくる。他方、我が国の近代外交は、鎖国攘夷から脱却し「末世の邪宗、キリシタン天主の魔法」(邪宗門秘曲)を持ち込んだ西洋諸国に、再び興味関心を抱く所から始まった。地球儀を眺め、世界を立体的に捉えながら、比較文学などの探究を通して、自他を知る事が大切である。広大な植民地を持っていたポルトガル、ウラル系フィン人・サーミ人とノルマン系スウェーデン人(インド・ヨーロッパ系ゲルマン)が暮らすフィンランドなど、国家・民族・言語の数だけ、文化と共生の事例がある。
C19は、黒船と敗戦に次ぐパラダイム転換であった。一つは、緊急事態において、国家が人民の自由権を、どこまで制約し得るのか議論された。もう一つは、教育改革のデジタル化が、ようやく進んだ事である。特定の教室に(まるで軍隊招集のように)全員を強制登校させる事だけが教育でないのは、もはや明らかである。
【北アメリカ】
トランプ後の合州国
独立宣言とキリスト教 「全ての人間は、造物主によって、自由・平等・幸福の諸権利を有している」と謳った『独立宣言』(1776)は、自然法・天賦人権論の思想、特にLockeの社会契約説に基づいており、第二次大戦後の占領を通して、我が国の現行憲法にも影響を与えている。造物主(神)という言葉から分かるように、私達が自明だと思っている基本的人権は、究極的には信仰という淵源がある。現代の米国でもキリスト系を中心に、多くの国民が何らかの宗教を信じており、トランプ大統領を輩出した福音主義派プロテスタント教会のように、政治を左右する事もある。
日米の出会いと東洋文庫 1853(嘉永六)年、浦賀久里浜(横須賀市)に来航した黒船艦隊は、日本人が初めて軍楽隊を見た経験でもあった。また、我が国に初めて来日した米国(元)大統領は、南北内戦(1861~1865)の合州国軍総司令官として活躍したグラント将軍(共和党)である。彼は在任中の1872(明治五)年、ワシントンで岩倉遣外使節団を迎えた大統領でもあり、1879(明治十二)年の来日では、明治天皇と会見したほか、琉球帰属問題で対立していた日清の交渉を仲介し、東アジアの植民地化を防ぐため「日清同盟」を提案した。
連邦制と州兵 米国連邦制の特徴して、州兵の存在が挙げられる。州知事の指揮下に属する防災・治安部隊だが、対外戦争が勃発した際には、予備役として大統領指揮下の連邦陸空軍に編入され、二度の世界大戦や朝鮮・ベトナム・アフガン・イラク戦争に出征した。
反グローバリズム 従来、米国が内外で推進してきた新保守主義・自由主義、特に環太平洋経済連携協定などのグローバルな自由貿易に対して、国内の左右両翼から懐疑的な見方が台頭。これに「大きな政府」への賛否などが絡んで、民主党左派やトランプ支持者という両極端な党派が人気を集めている。
安全保障 刀狩令(1588・天正十六)や廃刀令(1876・明治九)など、民衆の武装を規制してきた日本に対し、合州国憲法では「武装権」を認めている事から、国内で繰り返される銃犯罪の取り締まりは、古今の慢性的かつ深刻な問題である。近年は、製薬会社が鎮痛剤の安全性を喧伝した結果、それを常習的に過剰摂取し、40万人超が死亡する「オピオイド」薬害事件が発生し、現在も100万人以上が苦しんでいる。対外的には、テロリズムの21世紀と共に始まったアフガン・イラク戦争は、数千人の米兵、民間人を含めると数十万人の犠牲を払った、米史最長の「二十年戦争」であり、オバマ政権はイラクから、トランプ・バイデン政権はアフガンからの撤退を進めた。現在の新たな動向として、サーバーテロ対策、電磁波や無人機の軍事利用、そして陸海空軍に続く「宇宙軍」の創設を挙げられる。
メキシコの壁 海洋に囲まれた日本列島では、朝鮮の拉致工作員や、日産ゴーン被告のような「プロ」の仕業でない限り、国境を違法に越えるのは困難である。ところが、良くも悪くも「超先進国」のように見える米国は、メキシコからリオグランデ川などを渡った不法移民に悩まされている。その流入は麻薬・武器などの密輸や、越境を手引きする「運び屋」の存在、更には南北問題が絡んでおり、抜本的な解決が難しい。共和党(Wブッシュ・トランプ)政権は密入国対策に積極的で、国境防壁を増設、特にトランプ大統領は、不法移民の子供(米国籍)まで追及しようとした。
政治的コレクト 民主党や左翼の人々を中心に、女性・黒人等あらゆる差別を糾弾する運動が行われている。独立宣言を起草したジェファーソン大統領(民主共和党)など、国史の英雄的人物であっても、奴隷制に加担した者を断罪する「自虐史観」や、インターネットSNSでの過剰な「炎上」騒動など、行き過ぎへの反発もある。
二大政党制 民主党(1828)は元々、南北内戦まで奴隷制を支持した政党だが、レーガン政権(1981~1989)が共和党の勢力圏を南州まで広げると、これに対抗して左傾化し、南州に多い黒人らの権利擁護を唱えるようになった。プランテーション→労働組合→映画界など大企業の支持。南北内戦で自由貿易を主張し、近年も結果的にはグローバル化を進め、理念先行で本当の弱者(衰退しつつある五大湖周辺スノーベルトの白人労働者など)を拾えていないとの批判も。カトリックの大統領は、民主党のケネディ・バイデン両氏だけ。共和党(1854)は『聖書』を重んずるプロテスタント福音派やカトリック保守派に支持され、人工妊娠中絶などに反対。
【東アジア】
中華は崩壊するのか?
災禍の始まり 2019年末、湖北省 武漢市でC19ウィルスが発生。外遊中の習近平主席に忖度してか、武漢の現場で隠蔽工作が行われたと推定され、世界保健機関への報告も不充分だったが、実際には医療崩壊していたと思われる。初動で的確に対応すれば、パンデミックを防げたかも知れないのは悔やまれるが、拡散後の武漢封鎖や野戦病院の建設は早かった。中華ならではの医療物資である中薬(漢方薬)は、この肺炎にも効果があるという。
食生活の変容 かつては配給制、制限された食生活であったが、1980年代の改革開放で劇的に変化。国民の生活水準が向上し、大量の飼料穀物を要する牛肉が好まれるようになり、その結果2030年頃までに、中華から世界的な食糧危機が始まるとも言われる。当面は、南米などから大豆の輸入を増やす対応。日本農業は高齢化し、全国民の食糧を賄うのは難しいが、中華には未だ2億人の農民がおり、今後も有力な人材。肥料・農薬による土壌汚染や、自然食品への関心など、食の安全・健康を重視する中華国民の増加。
人口構成 1940年代までに生まれた胡錦涛(北京清華大学)・温家宝(北京地質学院)らエリート世代の後、三つの「団塊世代」がある。第一団塊は、1950年代(1950~1958)に生まれた習近平(清華大学)・李克強(北京大学)ら、現在の中共政権を担っている世代である。彼ら第一団塊は、青春期に文化大革命(1966~1976)が勃発し、全国大学統一試験が停止され、農村での強制労働を味わうなど、若き日に充分な教育を受けられなかった点で、特異な世代でもある。文革の記憶は、独裁傾向を強める現政権の統治にも、暗い影を落としているのかも知れない。彼らの後に増加しているのが第二団塊(1963~1974)であり、大卒率も上昇。
第三団塊 注目されるのが第三団塊(1981~1995)の世代で、最も大卒率が高い。人気のある清華大学(1911)や北京大学(1898)などは清時代の創立であり「百年の計」を実現しつつある。「一人っ子政策」で生まれた彼らは、兄弟姉妹との切磋琢磨を経験しないため、自己中心的な「小皇帝」になり易いと言われ、社会性を訓練できる全寮制大学が多い。また、修士・博士の学位は給料などで有利に働くので、日本よりも大学院が人気で、特に理工学博士課程が多く、将来のエンジニアとして有望。
留学華僑 優秀な学生は、国内での研究に飽き足らず、英語圏などの大学・大学院に留学し、多い順に米・日・豪・英・加・韓・独・仏・伊・泰。中共と対立しているはずの米国が最多で、日本にも増加しており、在日中華留学生を対象とした受験予備校(東大・京大・早慶)もある。米中関係などが悪化しても、留学生の多さは無視できない。彼らの国際的情報収集能力は、日本人より高いと見られる。日本などで学び、未来を目指す学生達は、原発防災技術、細胞の環境適応、国民政府(中華民国)時代の歴史、コンピューター産業などを研究。
大企業 米GAFAに唯一対抗できる大企業群として、百度(河北省北京)や華為技術(広東省深圳)などのBATHが挙げられ、これに「独角獣」企業が続く。特に華為は、北京大・清華大の就職先トップ企業であり、業務は厳しいが給料も高く、転職しても応用できる技術を徹底的に鍛えられる。1980年代に生まれた青年起業家は、TikTokやビットコインで成功を収めている。更に中華の特許取得件数は、日米を抜き1位であり、外国の知的財産権を侵害するのではなく、自力で真面目に特許を取る方針へと大転換している。
ウイグル問題 新疆(東トルキスタン)のトルコ系ウイグル人は、唐代にはモンゴル高原で帝国(744~840)を築いていた。漢民族を中心とする中華国家は、古来より北方遊牧民族(北狄)への警戒が強い。加えて現代においては、独立運動と結び付いたイスラム過激派への懸念があり、ウイグル系テロ組織(2001年頃)の活動も報告された。最近の報道を見る限り、漢族が主体の中共政権と、ウイグル人ムスリムの共生は、絶望的な状態に陥っている印象を拭えないが、どうにか歩み寄らないと、お互い更なる不幸を招く事になる。「信仰」と「行動」の分離は可能か?
第五の現代化 西側諸国への留学が示すように、中共高官も学生も、欧米の長所は理解している。ただ、広大な多民族国家を混乱させずに統治するため、急進的な民主化は難しい。香港の活動家のように、理想を声高に叫ぶ事だけが改革ではない。鄧小平のような長期的展望に基づき、忍耐強く行動できる指導者が望まれる。日本を含む世界各国で学び、多様な価値観に触れた若者達が、次代の中共党員として、祖国の現実的な事情を考慮しつつ、漸進的な改革に取り組めば、きっと明るい未来を期待できる。
【東南アジア】
多様性の統一「神への信仰」インドネシア
海上の道 インドネシア(東インド諸島)は、人類が住み易い海洋性気候であり、更新世にはジャワ原人やフローレス原人が暮らしていた。東南アジア(スンダランド)の現生新人類は、黒潮暖流で日本列島に北上し、縄文人などになったとも考えられる。黒潮が流れ込む紀伊(和歌山)は、ネシアと考古学的に類似。駿河は「天国」を意味するサンスクリット語が、ネシア経由で倭国に伝わった地名で、静岡市 清水区などにはインド・インドネシアと共通する羽衣伝説(白鳥天女説話)が残る。
白藤江の戦い(1288) ベトナム・日本・インドネシアは、元寇に立ち向かった同志である。モンゴル帝国(モンケ帝)が陳朝大越(1257)に、次いで大元帝国(フビライ帝)が日本(1274文永十一・1281弘安四)と再び大越(1285・1288)に侵攻した。ジャワ島では、シンガサーリ朝(1292)が元国への朝貢を拒否し、後継のマジャパヒト王国(ヒンドゥー教)が元軍を撃退した。
東南アジアと近世日本「二人の左衛門」 安土桃山時代・和泉堺の納屋助左衛門は、呂宋(フィリピン)との貿易で活躍。江戸時代初期・駿河沼津の山田 仁左衛門 長政は、アユタヤ朝サヤーム王国(シャム・タイ)で日本町長・リゴール太守を務めた。
大東亜共栄圏 アジア太平洋戦争で、日本軍は東南アジアを占領。バモー・ワンワイタヤコーン・ラウレル及びインドのCボースらは1943(昭和十八)年、東京の大東亜会議に出席。日本軍の功罪には、様々な見方がある。
フランス領インドシナ連邦 仏印進駐(1940・1941)以降、日仏共同でインドシナ半島を統治していたが、1945(昭和二十)年にフランス軍を追放し、阮朝ベトナム帝国(バオダイ皇帝)及びカンボジア・ラオスの独立を認めた。戦後も、一部の残留日本兵がベトナム独立に関与。
タイ王国 ピブーン首相が日泰同盟条約(1941)を締結、翌年には英米に宣戦布告し、ビルマに侵攻した。大東亜会議には、王族外交官のワンワイタヤーコーン首相代理が出席。
英領ビルマ 南機関の工作でビルマ独立義勇軍(1941)が結成され、バーモウ首相・アウンサン国防相・ネーウィン(後の大統領)らが日本に協力し、1943年に独立を宣言。日本の敗色が明白になった1945年、アウンサン・ネウィンらビルマ軍は連合国に寝返った上で、英国にも独立を承認させる事に成功した。後にバモーは、日本の功罪を冷静に著述している。
英領マレー連合州 マレーシア(マラヤ連邦)の英軍を駆逐した日本軍は、各州のスルタン制を一応尊重したが、華僑を多数殺害するなど不祥事が横行したので、華僑の多いシンガポールなどでは反日感情も根強かった。
米領フィリピン共和国 ラウレル大統領やアギナルド元大統領が日本に協力し、ビルマに続き1943年に独立宣言。しかしフィリピンでは、米国の承認に基づく合法的な独立準備も進められており、親米抗日派が多かった。日本軍と米比連合軍の激戦で多大な犠牲が生じ、対日感情は良くなかった。
蘭領東インド 日本軍は、後の大統領・副統領であるスカルノ及びハッタを獄中から救出し、彼らをジャワ奉公会に編入すると共に、スハルトらをジャワ郷土防衛義勇軍に編成し、概ね安定した軍政が行われた。日本政府は1944(昭和十九)年、将来のインドネシア独立を容認し、現地の日本軍人も独立準備を支援し、降伏後も独立戦争に参加する者が少なくなかった。こうした経緯のため、東南アジアの中でも親日的と言われる。
インドネシアと日中関係 ネシア世論には長く、蘭印支配に協力して財閥を築いた華僑への反感がある。更に近年は、ナトナ海・華南海の経済水域で中共と対立。「一帯一路」への協力は、対中債務不履行に陥らぬよう極めて慎重に進めている。我が国は洪水対策などの防災分野や、戦没者遺骨収集事業などでインドネシアと協力できる。世界で活躍するには、各国の歴史・文化・哲学が反映された言語(外国語学)の理解、一流の頭脳を持つ人物との交流が重要。
【南アジア】
輪廻転生とテクノロジーの巨象インド
サンスクリット語 インド・ヨーロッパ系アーリア派の言語で、現代ヒンディー語にも影響。創造神ブラフマー(梵天)の言葉であるため「梵語」と書かれる。サンスクリット由来の漢語は多く、例えば「共生」も仏典の思想とされる。
ガンダーラ美術 かつてインダス文明(4000年前)が栄えたパキスタンに紀元1世紀、クシャーナ王国が進出し、仏教にヘレニズム(ギリシャ・ローマ文化)が流入。ここで仏教徒は、ギリシャの神像(ゼウス・アポロン・アテネなど)に触発されて、仏像を制作するようになった。百済から倭国に6世紀、仏像を伴う大乗仏教が伝来し、飛鳥文化を開花させた。
天竺・震旦・本朝 バラモン・ヒンドゥー教の神々は、大乗仏教に取り入れられたり、中華・日本の民族宗教と習合したりしている。例えばシバ神(大自在天)の化身マハーカーラは、七福神の大黒天であり、日本神道では大国主命と同一視される。また、ヤマ神は中華道教の閻魔王、密教の焔摩天である。
婆羅門僧正(704~760) 南インド(ラージプート時代)から唐を経て来日。聖武上皇・行基に推挙され752(天平勝宝四)年、華厳宗 東大寺の毘盧遮那仏開眼供養で導師を務めた。
ラーマクリシュナ(1836~1886) 英領時代の宗教家。神へと至る真理の道は同一であり、他宗教と和合する普遍的ヒンドゥー教を唱えた。弟子のビベーカーナンダ(1863~1902)はラーマクリシュナ教団(ベーダーンタ協会)を設立し、1893(明治二十六)年に来日、我が国にもベーダーンタ協会が伝来した。
Bボース(1886~1944) 英領インド帝国の独立運動指導者。日本に亡命し、新宿中村屋(四谷区)と協力して活動。インド国民軍の創設に尽力し、インド独立連盟総裁を務めた。
Cボース(1897~1945) ネールーと共に国民会議左派の指導者であったが、非暴力ではなく対英戦争によるインド独立を主張し、ドイツ・日本に亡命。帝国陸軍の藤原機関に招かれ1943年、シンガポールで自由インド仮政府主席・インド国民軍最高司令官に就任。ネルー・ガンディーと並ぶ国父として根強い人気があり、我が国でも杉並区の頂光山 蓮光寺(日蓮宗)に祀られている。
パール(1886~1967) 1946(昭和二十一)年、極東国際軍事裁判官。当時の国際法には、個人を「平和に対する戦争犯罪」で裁く刑罰が定められていなかったので、日本の被告人無罪を主張。
バーラト連邦共和国 戦時中の上野動物園(下谷区)では、猛獣類を殺処分する悲劇があった。戦後、独立を達成したインド(バーラト)から象を贈られた。中華の龍に対して、インドは「巨象」に喩えられる。世界最大の民主国であり、軍事クーデターが無く、選挙による政権交替(国民会議派・人民党など)が盛んである。1991年から市場経済に移行し、熾烈な競争社会に突入している。
現代インド文化 北インドにペルシャ系アーリア人、インダス文明を築いたドラビダ人は南インド・スリランカに移住。印欧系のヒンディー語・英語のほか、印欧とは語族が異なるドラビダ系など数多くの言語。ヒンドゥー教・イスラームが多いほか、ヒンドゥー教をイスラム的に改革したシク教、苦行を重んずるジャイナ教、ペルシャのゾロアスター教なども現存。特にヒンドゥー教は、クリシュナやガネーシャ(大聖歓喜自在天)が人気。
科学技術 多様な宗教が信仰されると同時に、古代の数学で「ゼロの観念」を発見するなど、古くから自然科学も得意であり、独立後は理系教育を重視し、工科大学が多い。インド系の著名人は、米国のハリス副統領を始め、グーグル・マイクロソフト・アドビなど、世界で活躍。
課題 パキスタンとの分離独立以来、ヒンドゥー教徒とムスリムの対立。妊娠中絶や性犯罪の多さ、新型ウィルスによる貧富格差の拡大。カースト証明書は、被差別階層の優遇策に利用されているが、逆差別との批判もある。
【ヨーロッパ】
メルケル後のドイツを生きる
ヨーロッパとは何か? 自分を「中東人」「アジア人」だと思う人は皆無に近いが、ヨーロッパには「ヨーロッパ人」というidentityもあり得る。欧州は、ウラル山脈(古期造山帯)及びカフカス山脈(アルプス・ヒマラヤ新期造山帯)の北西に位置するが、文化的な定義は難しい。インド・ヨーロッパ系の白人が多く、ギリシャ・ローマ文明を精神的ルーツとし、キリスト教(主にラテン系はカトリック、ゲルマン系はプロテスタント、スラブ系は正教会)が普及などの傾向を挙げられる。一方で、ロシアを始めとする東欧(ポーランド・ハンガリー・アルバニアなど)に向かうほど「ヨーロッパらしさ」が減退する…とも言われる。では、それは何か?と問えば、多くの人々は民主政治や自由主義と答えるだろう。
理性と活力 政治的には、14~16C文芸復興→15C活字版印刷→16C宗教改革→17~18C市民革命→信教の自由、寛容の精神。経済的には、15~17C大航海時代→18~19C産業革命→資本主義、西洋先進国が途上国を従属させる「近代世界システム」の形成。ほかに科学史として、現代社会を支える細菌学・相対性理論・情報科学なども挙げられる。こうしたヨーロッパの特徴を、端的に要約すれば活力と理性であり、具体的な現実としては「安定した都市人口を中心とする豊かな生活」が指摘される。
メルケル後のEU 神人智学を創始したドイツ人シュタイナー(1861~1925)は、芸術を重視し、試験点数評価を廃止するなどの教育論を提唱。20世紀までの近代史を主導したヨーロッパだが、世界大戦と冷戦を経て、今や21世紀は米中の時代とも言われる。その中で欧州の得意分野、教育・福祉・芸術・環境といった方面での再浮上が望まれる。メルケル首相が引退し、欧州連合の今後が注視される。長時間労働なのに低生産性と言われる日本は、何を学ぶか?
海外で生活し働く 異国の新天地を訪れ、新婚旅行のように舞い上がる「多幸症」は長く続かず、異文化との「カルチャーショック」で心理状態が急落する。その後「文化変容」への適応を通して、徐々に回復しながら「安定状態」へと至る。相互の文化(特に言語)を理解し、未然にトラブルを予防するコミュニケーションが必要。
【アフリカ】
ザンビア・南阿から見た「希望大陸」の課題
人種差別の歴史 東岸タンザニアのザンジバル、西岸セネガルのゴレー島は、かつて奴隷貿易の輸出港であり、南アフリカのロベン監獄島(マンデラ議長が収監された)などと共に、歴史の暗黒面を伝える。1893年、弁護士だったガンディーがケープ植民地を訪れ、現地インド人の権利擁護に尽力。南阿の日本人は、ほぼ白人同等の権利を付与された「名誉白人」で、黒人・混血・インド・華僑とは異なる待遇だった。
一帯一路 ケニア新幹線などが好評を博する一方で、事業に動員されるのは中華系労働者が多いので、参入しても現地の景気効果は限定的とも言われる。ソマリランド北西のジブチは、中共が対外債務の8割を占め、2017年に国外初の海軍基地。他方、海上自衛隊が寄港する米軍基地もある。鉱物資源に恵まれたザンビア(北ローデシア)は債務不履行(2020)に陥ったが、対外債務の4割以上が中共であり、重要な資産を引き渡す可能性。
最後のフロンティア アフリカの人口ピラミッドは、典型的な多産少死型(人口爆発)で、寿命が短い。しかしこれは、未来を担う子供・若者が多いという事であり、彼らの長寿と活躍を支援するビジネスの成長が期待。感染症・伝染病の撃退を進める。キャッシュレス決済できる携帯電話など、インターネットの普及。石炭・天然ガスの液化、環境負荷の少ない火力発電を目指す。乾燥・温帯の南阿(長野県 軽井沢町のような気候?)は、企業がアフリカに進出する入口。アフリカ大陸自由貿易圏での更なる成長。
【西アジア】
中近東イラク・パキスタンで働く
西アジア 西アジアは「セム系(ヘブライ・アラブ)、イラン系(ペルシャ・クルド・アフガン)、トルコ系の民族・言語が分布し、イスラームなどの一神教徒が多い地域」と捉えられる。この定義に基づくならば、アラブ人ムスリムの多い北アフリカや、トルコ・ペルシャ系ムスリムが暮らす中央アジア(トルキスタン)も、西アジアに近い文化圏だと言える。
中近東 ヨーロッパの人々は、古代の西アジア及びエジプトを「東方」と呼称していた。近代の英仏は、オスマン朝トルコ帝国の領土を「近東」と呼び、米海軍のマハン提督は、近東と英領インド帝国の中間地帯(ペルシャ・アラビア湾岸など)を「中東」(1902)と名付けた。現代の私達も、西アジア・北アフリカを「中近東」などと呼んでいる。
カフカスは西アジア? 西アジア・東ヨーロッパの境界であるカフカス山脈の南麓(ザカフカース)には、キリスト教とイスラム教、インド・ヨーロッパ系とトルコ系などが混在し、複雑な「民族のモザイク」になっている。グルジア(ジョージア)は南カフカス系で正教会、アルメニアは印欧系の正教会、アゼルバイジャンはトルコ系シーア派が多い。カフカスと中央アジアは、長くロシアに支配されていたという点で、他の中近東とは異なる経緯もある。
パキスタンは中東? パキスタン イスラム共和国はインド亜大陸に位置し、インダス文明からインド帝国への歴史を鑑みても南アジアに分類される。但し、印欧系のウルドゥー語(アラビア文字)を公用し、トルコ・イラン系ムスリム(主にスンナ派)が多く、タリバーン運動まで存在する事を考慮すると、広義の中東と捉える事もできる。
バビロニアとジパング 今も昔も、西洋から「東方」と呼ばれてきた中近東だが、元来は古代文明の発祥地であり、かつて世界史の中心であった。約6000年前のメソポタミアで、最古の文明と考えられているシュメール都市国家(ウルク文化)が開闢した。約7000~6000年前の地球では、縄文海進と呼ばれる急激な温暖化・海水面上昇が発生しており、縄文時代前期の日本列島でも、河川流域の沖積低地が海没した。ウルクを舞台とした『ギルガメシュ叙事詩』や、ヘブライ聖書『創世記』に書かれている「ノアの大洪水」伝説は、当時の気候変動・異常気象災害を反映しているのかも知れない…。
神の国 メッカを中心とするヒジャーズ(西アラビア)では5世紀頃、アブラハムの子孫と伝わるアラブ人クライシュ族が勢力を持つようになり、その中から台頭したハーシム家(アッバース・マホメット・アリー)とウマイヤ家(ウスマーン・ムアーウィヤ)が、7世紀以降のアラブ建国を担う事になる。マホメット(570~632)と聖徳太子(574~622)は、同世代の偉人である。遥かなる7世紀アジアの東西で活躍した二人は、世界宗教に基づく神国を築かんとした、共に名門出身の英雄であった。当時の我が国に、キリスト教やイスラムの形跡は見られないが、エジプト・ギリシャ・ローマ・ササン朝ペルシャの優れた古代文明は、シルクロードを通って、飛鳥・天平文化に影響を与えていた。
パワーストーンなどのスピリチュアル・オカルティズム市場では、天軍の総司令官ミカエル、マリアやマホメットに預言したガブリエル、ほかにもセラフィムやメタトロンなど天使らを題材とした「天界光カード」が売買されています。「美女として描かれた天使の肖像画を、一般人が購入し護符に用いる」という文化は、良くも悪くも宗教に寛容な日本だからこそ、可能なのかも知れません。
イスラム帝国の発展 マホメット没後、後継者のウマル一世らが率いるアラブ帝国(正統カリフ朝)は、東ローマ帝国からパレスチナ(638)を奪うなど領土を広げた。エルサレムを巡る紛争は、十字軍や中東戦争を経て現在も続く。その後、ウマイヤ家のウスマーン及びムアーウィヤと、マホメットの従弟・娘婿であるアリーの党派が対立するが、アリーはハワーリジュ派に裏切られて暗殺され、ムアーウィヤがサラセン帝国(ウマイヤ朝シリア)を建てた。以後、アリー家を支持する人々はシーア派、それ以外はスンナ派と呼ばれるようになった。日本が平安京の時代(794~1192)を迎える頃、メソポタミアでも「平安の都」バクダード(762)を首府とするアッバース朝イラク(750~1258)が建国された。中近東の政治史には、イスラムの様々な宗派が関わっている。
スンニー派 『コーラン』及びマホメット言行録『ハディース』の教義に従い、戒律に反していなければ、マホメットの子孫でない者が国家元首でも良いと考え、ウマイヤ朝・アッバース朝・オスマン帝国などの興亡に関わってきた。偶像崇拝の厳禁、神の御前における人間の平等を重視し、指導者への個人崇拝に反対する。マホメットや叔父アッバースを輩出したハーシム家は、現在もヨルダン王国に君臨されている。
ワッハーブ派 9世紀のハンバル法学から18世紀に成立した、最も厳格なスンナ派。マホメットへの原点回帰を訴え、コーラン・ハディースの原典を絶対視し、禁酒などの戒律を徹底すると共に、神秘主義や聖者崇拝を否定。リヤードのサウード家は元来、新興の成り上がり豪族だったが、ワッハーブ派を国教に採用し、マホメット縁のハーシム朝ヒジャーズ王国(メディナ・メッカ)を併合してサウジアラビア王国になった。教義に基づく厳格な統治は、典型的なイスラム原理主義・復興運動の先駆だが、現在のサウード王政は、反体制派を圧迫する一方で、欧米と協調してシーア派イランと対峙し、過激派の国際テロリズムには反対している。ワッハーブ派でないムスリムも、メッカ巡礼は可能。
シーア派 マホメットの従弟でもあるアリーは、マホメットの娘ファーティマと結婚し、その血統を後世に遺した。シーア派は、マホメット・ファーティマ・アリーの子孫(アリー家)こそが、イスラム世界の指導者(イマーム)であると信じ、イマームを超越的な「救世主」として崇拝する傾向が特徴。マホメットから秘儀を授けられたアリーを初代イマームとし、彼の子孫のうち、誰を歴代イマームに数えるかを巡って分裂した。
ザイド派 第三代イマームであるフサインの孫ザイドを支持し、893年にザイド朝イエメン王国を築いた。その教義はスンナ派に近く、イマームの超越性(神隠しからの再臨など)を否定する。それでもシーア派であるため、イエメンはサウジアラビアに敵視されている。
イスマーイール派 8世紀のイマーム継嗣問題で、イスマーイールを第六代、その子ムハンマドを第七代イマームと見なす人々。アリー家の末裔を君主に戴くファーティマ帝国をチュニジアに建て、更にエジプトを征服して新都カイロ(969)を築いた。十二イマーム派よりも過激で、秘密結社の傾向が強いと言われ、現在はアサッシン派・ドルーズ派・アラウィー派などに細分化している。
ドルーズ派 ファーティマ朝の第六代ハーキム皇帝は、カイロに自然・人文科学研究所や天文台(1005)を創設し、帝国の最盛期を築き、支持者から熱狂的に崇拝された。彼を「神格化」する人々がドルーズ派で、ギリシャ哲学の影響を受け、他派からは異端視される。少数派だが、レバノン南部などに分布。
アサッシン派 12~13世紀、イラン高原に潜伏し、セルジューク朝トルコ(スンナ派)や十字軍への暗殺を繰り返したが、モンゴル帝国に滅ぼされた。1840年、カージャール朝のアサッシン派イマーム(アーガーハーン)が英領インドに亡命し、教団を再興。アーガーハーン三世は、ムスリム連盟(1906)総裁を務めてパキスタン独立の先駆者に。以後アサッシン派は、インドのボンベイ・ムンバイなどを拠点に存続した。
アラウィー派 キリスト教や民俗信仰と結び付いた、シリア独特のシーア派。アサド大統領を始めとするアラブ
十二イマーム派 第七代ムーサーの子孫、第十二代アルムンタザルを特別視する人々で、イスマーイール派よりは穏健と言われ、シーア派の主流。アルムンタザルは874年の「神隠し」で失踪したが、最後の審判において再臨する…というメシア信仰が特徴。ブワイフ朝(932~1055)及びイル王国(1258~1411)時代のイランで重用され始めた。16世紀、ムーサーの子孫を称するアゼルバイジャンのイマームがサファビー朝を建て、十二イマーム派を国教化し、アゼルバイジャン・イラン・イラクにシーア派が普及した。イマーム不在の場合は、シャリーアに詳しい神法学者が国家を統治し、現在のイラン イスラム共和国(1979~)がこの体制だが、原理主義の傾向を強め、サウジアラビアや西側諸国と対立。
ハワーリジュ派 当初はアリー派としてムアーウィヤと交戦していたが、ムアーウィヤと和睦したアリーに失望して離反し、アリーを暗殺した第三勢力。しかし間も無く、穏健なイバード派に移行し、現在はオマーンの多数を占める。スンナ派でもシーア派でもない特異な立場であるため、オマーンは湾岸諸国から「大人しく気配を消している」。
イスラーム圏で働く アラブ人のほか、イラン系やウイグル族もアラビア文字を使う。『コーラン』は原語での読誦が推奨されるので、世界中のムスリムは、多少なりともアラビア語に触れている。彼らは明文化された義務を尊ぶので、ビジネスで関わる際も、契約書などの業務連絡は書面に明記すべき。ムスリムの食生活は豚肉厳禁・原則禁酒だが、豚以外の肉食・魚介類・飲酒に関しては、宗派や個人によって解釈が異なる。信仰と結び付いた生活習慣(六信五行)に配慮し、会話できるタイミングを掴んでおく。中近東の人々にとって、日本人は「極東の異文化」であるから、イスラムを理解するだけでなく、自分達の文化史(仏教など)を説明できると、なお良い。特定の積極的な信仰を持っていなくとも、古来の先達が説いてきた宗教哲学への教養は、心の平安に役立つ。
【ラテンアメリカ】
チリ・ベネズエラ・ブラジル「智識の力」
中南米 中米8、西インド諸島カリブ海13、南米12、合わせて33の国家が存在し、それぞれ国連の一票を有する。フランス革命(1792~1802)及びナポレオン戦争(1803~1814)で独立。大日本帝国は、日清戦争でチリ共和国、日露戦争でアルゼンチンから巡洋艦を調達。静岡県出身の内務省土木技師、青山
中南米の魅力と課題 キューバ革命(1959)と軍事政権を経て、人権外交を掲げた米国カーター民主党政権(1977~1981)の後押しもあって、現在は民主政治・市場経済が浸透しつつあり、電子投票など日本より進んでいる点も見られる。スペイン・ポルトガル語(ポルトニョール)が広く通用し、大きな地域紛争が起きていないのも魅力。人種問題も残ってはいるが、中南米は「ユダヤ人とムスリムが結婚しても不思議ではない大陸」であり、異なる人種との混血が進んでいるため、米国ほど深刻ではない。他方、貧困・犯罪・汚職・医療などの治安が課題であり、教育の普及が急務。C19パンデミックで「持続可能な発展」が困難に。
日本と中南米 日本から中南米に向かう場合、メキシコから入るのが一般的である。小泉首相の後、短命政権が続いたが、2014(平成二十六)年に安倍首相の歴訪が実現した。以来、我が国は中南米を「共に発展・主導・啓発」(外務省)を目指すパートナーと位置付け、この方針は概ね評価されている。環太平洋経済連携協定や捕鯨などの諸問題を打開するためにも、各国との外交を深める事が重要である。我が国にはラテンアメリカ協会があり、麻生太郎(2006・平成十八)衆議らが会長を務めた。
資源 メキシコ・アンデスの新期造山帯と、南米大陸の安定陸塊が大半を占める。スペイン人がコロンビアなどを黄金郷と呼んだ16世紀から現在に至るまで、中南米は資源の宝庫である。豊富な鉱物資源と動植物は、日本人の生活も支えている。石油・天然ガスや銀・銅・鉄、ほかにエメラルド・ラピスラズリなどが産出し、特に銅や石油は資源ナショナリズムと結び付いてきた。
ラテンアメリカ核兵器禁止トラテロルコ条約 キューバ危機(1962)後、中南米の非核化が議論され、アステカ最期の都市遺跡があるメキシコ市トラテロルコ(現・外務省)において、世界初の非核地帯条約(1967)が調印された。キューバ(2002)を含む中南米33国が全て参加。核兵器禁止条約に賛同する国も多い。中米のコスタリカは、軍隊を持たない「非武装中立」を憲法(1949)で実現し、日本の支援で地熱発電所を建設するなど気候問題にも熱心。
中華との関係 中南米には従来、中華民国(台湾)と正式な外交関係を持つ国々が多かったが、近年は人民共和国に乗り換える国が相次ぎ、各国に中共公認の「孔子学院」が建てられている。特に習近平政権は、台湾民進党と対立し、中南米を取り込んだ「一帯一路」建設を進めている。華僑を動員したインフラ整備は中共の得意分野だが、ここで何らかの日中協調はできないだろうか?
移民問題 米国への移民には、合法的な出稼ぎと、不法移民がある。不法移民の背景には、貧困難民や政治亡命があり、彼らの出入国を支援する団体も存在する。米国は、ただ一方的に閉鎖・排除するのではなく、メキシコと対話し、あるいは日本も交えて、今なお中南米が抱える課題解決に協力する事が望まれる。
新興国BRICsとVISTA ブラジルとアルゼンチンは、軍事政権による権威主義(開発独裁)が失敗した現代史を共有するが、ブラジルがBRICsとして復活したのに対し、かつてVISTA(ベトナム・インドネシア・南アフリカ・トルコ)と総称されたアルゼンチンは債務不履行(2002)に陥った。中南米にはカトリックが多く、アルゼンチン出身のフランシスコ教皇(2013~在位)は、イエズス会とラテンアメリカ初のローマ教皇でもある。
ブラジル連邦共和国 ブラジルには、イスパニア王国に滅ぼされたアステカ・インカのような文明が発達しておらず、ポルトガル主導の建国が進められた。ナポレオン戦争により、ブラガンサ朝ポルトガル王国のジョアン六世がリオデジャネイロに臨時遷都(1807)し、ポルトガル・ブラジル連合王国(1815)を経て、長男のペドロ一世がブラジル帝国として独立(1822)させ、共和革命(1889)後は大統領独裁が続き、軍事政権の経済破綻により民政移管(1985)。労働者党のルーラ大統領(2003~2010)は、鉄鉱石などの資源輸出、サトウキビをバイオエタノール化するなど、経済成長と再分配を実現。2011年、同党のルセフ政権が成立したが、ワールドカップを迎えた2014年以降、米中の影響を受けてバブル不況に陥った。そして2016年、リオデジャネイロ五輪を開催したが、大統領は弾劾され、リオ州も破産した。高い投票率、活発な国民運動を誇るブラジルの行方は。そして、巨額の借金を抱え、緊急事態に東京五輪を強行した我が国は…?
アマゾン盆地 ブラジルを中心とするアマゾン盆地には8000年前の原生林、世界最大の熱帯雨林が残されている。かつて淡水湖底(6000万年前)だったので、養分が極めて乏しく農地に適さず、軍事政権による焼畑開墾は失敗。リオデジャネイロでは二度の地球サミット(1992・2012)が開催されたが、アマゾンの熱帯雨林が急速に伐採されている。ブラジル政府は1970年代から、環境犯罪(違法伐採)を防止するため衛星画像を活用し、2004年にはリアルタイム衛星モニタリングを導入。日本が打ち上げた衛星も役立ち、伐採を減少させると共に、監視システムに関わる技術者の人材育成にも貢献。
チリ共和国 アンデス山脈西麓のチリ共和国(漢字では智利)は、日本列島と同じく、環太平洋造山帯による地震津波の国である。1960(昭和三十五)年には、史上最大とも言われるチリ地震(マグニチュード9.5)が発生し、ハワイ島や日本も津波を被災。耐震・防災のほか、地熱発電などでも日智協力が可能。ピノチェト大統領は軍事政権(1974~1990)でありながら、経済的には世界で初めてマネタリズム(イリノイ州シカゴ大学フリードマン派)に基づく自由至上主義の改革を断行し、レーガン・サッチャー・中曽根康弘・小泉純一郎の先駆者であった。熾烈な国際競争を生き抜いたチリ共和国は、現在も「中南米の優等生」として著しく成長しており、この国で売れる商品を創る企業は、世界でも勝てると言われる。
参考文献
◆ 桂 令夫『イスラム幻想世界 怪物・英雄・魔術の物語』(新紀元社1998/06)
◆ 東ゆみこ・造事務所『「世界の神々」がよくわかる本 ゼウス、アポロンからシヴァ、ギルガメシュまで』(PHP研究所2005/12)
◆ 武井正明・武井明信『新版 図解・表解 地理の完成』(山川出版社2007/09)
◆ 近藤誠一『文化外交の最前線にて 文化の普遍性と特殊性をめぐる24のエッセイ』(かまくら春秋社2008/10)
◆ 渡部昇一・小堀桂一郎・櫻井よしこ・中西輝政・國武忠彦『日本人の誇りを伝える 最新日本史』(明成社2012/09)
◆ 久保田武「東南アジア諸国が抱いた日本像 日本占領期を中心に」(日本教育大学院『大学紀要 教育総合研究 第6号』2013)
◆ 辰己 勝・辰己眞知子『図説 世界の地誌 改訂版』(古今書院2016/03)
◆ 坪内俊憲・保屋野初子・鬼頭秀一『共生科学概説 人と自然が共生する未来を創る』(星槎大学出版会2018/03)
◆ 石田博士『中南米が日本を追い抜く日 三菱商事駐在員の目』(朝日新聞出版2008/06)
◆ 三田一郎『科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで』(講談社2018/06/20)
◆ 中村 敏『分断と排除の時代を生きる 共謀罪成立後の日本、トランプ政権とアメリカの福音派』(いのちのことば社2018/06/25)
◆ 中南米局中米カリブ課『日本と中南米「共に発展・主導・啓発」を目指すパートナー』(外務省国内広報室2019/02)
◆ 矢ケ﨑典隆・加賀美雅弘・牛垣雄矢『地理学基礎シリーズ3 地誌学概論 第2版』(朝倉書店2020/02)
◆ 石原莞爾『世界最終戦争 新書版』(毎日ワンズ2020/03)
◆ 藤岡信勝『新しい歴史教科書』(自由社2020/04)
◆ 小山常実『新しい公民教科書』(自由社2020/05)
2022/01/12