共生社会の公共倫理と平和の輪
文字数 1,960文字
共生社会の公共倫理と平和の輪
ソクラテスは、対話によって智を引き出す倫理学を創始し、プラトンは哲学を国家論に拡大させ、優秀な人材による哲人政治を主張した。個人(私)と社会(公)の関係性は、現代においても依然として重要な課題になっている。公共哲学では、利己主義や全体主義の両極端に陥らない「活私開公」が提唱されている。また、組織指導者や教育・福祉・医療・公務・政治などに携わる人々には、私利私欲を抑制した「無私」の精神が求められる場合もある。「福祉」は人間の幸福を意味し、社会の「共福」を目指す事が目標となるが、そうした福祉政策には消極的福祉(生存権)と積極的福祉(幸福追求権・自由権)という双方の視点を両立させる事が必要である。
特に重要なのは、価値観が衝突するような問題における、議論の大切さである。仏教・キリスト教から人権に至るまで、私達の文明は「人を殺してはならない」という根本的な道徳によって支えられているが、現実には戦争で多くの人命が奪われているだけでなく、死刑制度や尊厳死・安楽死のように、立場によって意見が分かれるテーマもある。西洋では、キリスト教的世界観から人工妊娠中絶に対する批判があり、特に米国では共和党・民主党を巻き込んだ「プロライフ」論争が展開されている。中絶事由が、性犯罪による望まぬ妊娠という場合もあり、非常に複雑で難しい問題なのだが、横浜校でのグループ対話では、中絶防止の一案として、米国の里親制度に関する議論を聴く事ができた。人として生きる権利・生まれる権利を可能な限り保障するためには、こうした対話が不可欠であり、共生を実現するための議論に挑み続けるのは、自由主義デモクラシー社会の使命でもある。
異質なものの共生を可能にするWAという考え方
筆者が住民票を置く東京都大田区は、羽田国際空港を擁している事もあり、熱心な官民による国際交流の企画が見られる。筆者自身も、中学校卒業生らの団体(いわゆる同窓会)を出発点に、池上地域の発展を目指す「池上地区まちおこしの会」に参加している。「大田区」は大森区・蒲田区が合併した際の略称だが、池上町は大森の中でも、日蓮宗本門寺の門前町という由緒を持つ、歴史地理的にも興味深い地域である。同会には大田区長も積極的に参加し、まさに有志総力で地域振興に取り組んでいるが、最も盛大な行事は、毎年8月の最終日曜に、本門寺に隣接する池上会館の周辺で開催される「池上祭」である。地域の伝統文化はもちろんの事、大田区に来られた海外の方々によるプログラムもあり、まさに自己と他者とが交流する行事になっている。昨年は8月25日(日曜)に開催され、筆者のグループも例年通り、郷土の歴史地理に関する「池上昔写真」の室内展示と、野外での模擬店コーナーに参加させて頂いた。国際交流に関しては、各国から「国際都市大田大使」などと呼ばれる代表者がいらっしゃり、母国の言語や文化を学ぶ事ができ、模擬店ではインターナショナルな食事を楽しめる。また、日本は中華民国(台湾)と正式な国交を持たないが、大田区は台湾島との交流にも熱心で、台湾原住民族(高山族)の舞踊など、観客も一緒に参加して楽しみながら、民俗文化を体験する事ができる。彼らの中には、かつて我が国の台湾統治に抵抗した事もある「高砂族」の末裔と思われる方々もおられた。また、政治的事情で実現しなかったが、朝鮮からも参加希望があったとの情報もある。こうした郷土と地球世界を繋ぐグローカルな活動によって、国家民族にまつわる憎悪を滅し、友愛の絆を深めたいと考えている。
◆ 山脇直司 編『共生科学概説 共生社会の構築のために 教育・福祉・国際・スポーツ』(星槎大学出版会2019)
◆ 「池上地区まちおこしの会|池上祭|大田区」http://ikegami-machiokoshi.jp/
2020/02/20