日本における都市の起源
文字数 2,538文字
集落は、村落と都市に分けられる。『日本歴史大事典』は、都市を「大地に対する即時的な所有から解放された人々のうち、主として非農耕的労働に従事するものが、共同体・共同組織を伴って集住・定住する特定の社会=空間領域」(吉田伸之)と定義している。具体的には、商工業などの第二次・第三次産業が経済を構成し、広くは政治や宗教などの文化も含まれる。この前提で考えると、我が国における都市の起源として特に重要なのは、都城制と城下町である。
都城制
戦国城下町
城下町の原型たり得る小集落は、鎌倉時代に生まれたが、本格的に発達するのは戦国~江戸時代であり、第一段階の戦国城下町と、第二に安土桃山時代からの近世城下町とに分けて考える事ができる。中世においては、自然の地形を軍事に活用した
近世城下町
城下町の完成に至る最大の画期は、安土桃山時代の織豊政権であり、従来の都城的中世都市や宗教都市とは異なる、近世都市の城下町が見られるようになる。その始まりが織田信長の安土城(1579 滋賀県 近江八幡市)であり、続いて豊臣秀吉の聚楽第(1587 京都市)などが築かれた。後に安土城・聚楽第は破壊され、楽市・楽座で栄えた安土町も農村に戻ったが、その構想は大坂城・伏見城などと共に、近世城下町の出発点になった。近世城下町の特徴は、兵農分離によって、農村との分離を明確化し、武士(武家屋敷)と商工業者(町屋)の集住を強制的に徹底した事である。これによって、第一次産業の村落(農村・山村・漁村)に対し、第二次・第三次産業の都市である城下町が形成された。江戸時代の17世紀前半までに、近世城下町は全国各地に広がる。藩経済の中心である城下町は、幕藩体制における都市の性質を最も集約した地域に成熟した。江戸・大坂を筆頭に、仙台・金沢・名古屋・福岡などの大都市が繁栄した。最大の城下町たる江戸では、沖積低地の町屋が「下町」、洪積台地の武家屋敷が「山手」と呼ばれ、現在の東京に至る実質・等質地域を形成している(藤井2014)。城下町以外の都市では、商品流通経済の発達に伴い、港町・宿場町・門前町も栄えた。
近代都市
明治維新に伴う廃藩置県(1871)を経て、城下町は近代都市へと発展した。戦前の市制(1888)に基づく行政市は、県庁所在市の中心市街地など、地理学上の都市と一致する事例が多く、江戸時代の有力な城下町であった金沢・松江・鳥取などは、太平洋ベルトの工業化が進んでいた1920(大正九)年の人口分布においても、未だ存在感を示していた。1950年代の昭和大合併により、周辺の農村が市域に併合され、地理学的都市と行政市が乖離するようになった(稲垣2014)。寺町(都城制)の奈良・京都、門前町の長野、港町の青森・新潟・横浜・大津・神戸・長崎、宿場町の埼玉浦和・千葉、置県後に市街化した宮崎、琉球王国の那覇、屯田兵村の札幌を除くと、県庁所在都市の大半は近世城下町に由来している(武井2007)。以上のように、我が国における都市の起源としては、城下町の存在が最も大きく、ほかに都城制や港町・宿場町・門前町などが挙げられる。
参考文献
◆ 豊田 武『日本史概説』(法政大学通信教育部1975)
◆ 武井正明・武井明信『新版 図解・表解 地理の完成』(山川出版社2007)
◆ 藤井 正・神谷浩夫『よくわかる都市地理学』(ミネルヴァ書房2014)
◆ 中俣 均・近藤章夫・片岡義晴・小原丈明・伊藤達也・米家志乃布『人文地理学概論』(法政大学通信教育部2014)
◆ 稲垣 稜『現代社会の人文地理学』(古今書院2014)
◆ 竹中克行『人文地理学への招待』(ミネルヴァ書房2015)
◆ 黒田茂夫『グローバルマップ 世界&日本地図帳』(昭文社2020)
上記のほかに『日本史事典 三訂版』(旺文社2000)や『日本歴史大事典』(小学館2007)を参照した。
2021/01/14