出羽三山文化圏の持続可能性 市原・大井沢の内発的発展
文字数 3,808文字
―市原・大井沢の内発的発展―

上総 市原の出羽三山講
地球生命の歴史において、旧人類(ネアンデルタール人)や現生新人類(サピエンス種)が誕生したのは、新生代 第四紀の更新世 中期頃と考えられている。更新世(洪積世)は氷河時代であり、その中期には、地球磁場(古地磁気)の向きが現在と異なっていた。そして、その歴史は当時の日本列島にも刻まれ、関東平野の
この事例は日本列島の岩石に、地球の壮大な歴史が刻まれている事を示しているが、そうした造山運動(地殻変動)は現在も進行中である。即ち、岩盤プレートの衝突によって、地表が隆起すれば山脈が出来、岩石が破壊されれば地震や津波が発生する。また、地下に沈み込んだ岩石が、地熱によって溶融すればマグマとなり、これが上昇する事で火山が噴火する。更に気象・海洋の影響も加わり、豊かな自然環境と、時として恐るべき天災をもたらす祖国「日本」が創世され、私達の先祖は、天地の神霊を畏れ敬うアニミズム・シャーマニズム信仰を抱き、それが神社神道を始めとする宗教文化の源流になっている。一方、我が国に伝来した大乗仏教では、平安時代の天台宗以来、宗教経済的な社会集団である「講」が組織され、各地の民間信仰と習合しながら全国に普及した。
神仏習合の例として、山岳信仰と密教などが習合した修験道が挙げられ、出羽三山(山形県)などに道場が設けられた。出羽三山とは、北の
出羽 大井沢の郷土自然教育
出羽三山を構成する湯殿・月山の南麓には、最上川水系の
明治時代、大日寺金蔵院に大井沢学校が創設されたが、戦後は教育環境の荒廃に悩まされていた。そこで、学校長を中心とする有志運動によって、『僻地教育振興法』の制定を実現させた。そして、学校自体も地域に根差した教育振興を試み、班行動で生物・地学を調査する課外学習「自然研究」を実践し、ここで収集された動植物・鉱物の標本が山形県に評価され、校内の郷土室は西川町立大井沢自然博物館に発展した。日本で唯一、生徒達が中心に創造した博物館である。その後、自然研究は社会科の視点をも取り入れた「自然学習」に移行し、高度経済成長の開発が迫る朝日山地の原生ブナ林保全や、少子化による過疎という環境・社会変動に対応しながら、大井沢の地元学である「郷土研究」が結実した。一連の試みは、環境教育・総合学習の先駆的実践であった。大井沢学校は、平成時代に廃校を迎えたものの、自然共育の理念は、統合された町立西川小学校などの義務教育カリキュラムとして持続している。また、大井沢で自然共育を学び、そして教えた人々は今、大井沢地域の持続可能性を目指して雪祭などに取り組んでいる。
地域の持続可能な内発的発展
我が国の歴史は、先土器時代(旧石器)→縄文時代(新石器)→弥生時代(金属器)…と展開するが、先土器時代の前には、まだ「日本人」が暮らしていない千葉時代があり、私達の先祖が石器・土器・金属器として利用する岩石・鉱物などの資源を、地球と日本列島が用意してくれた。自然の圧倒的な力を証明する火山は、広範な地域の人々から信仰を集め、その拠点である寺院から、やがて総合的郷土環境共育の学校が誕生した。一方、西日本には縄文時代以降、東アジア(長江・台湾・韓国など)の照葉樹林文化が伝来したと言われるが、自治公民館を拠点に、九州の照葉樹林を保全したのが、宮崎県 綾町の人々であった。他方で、工業技術に支えられた経済成長の過信・偏重は水俣病という惨劇を引き起こしたが、それはまた、故郷のアイデンティティーを見詰め直す切っ掛けにもなった。21世紀の奥州を襲った東北大震災は、自然の不確実性と人間の不完全性を絶望的に再認識させたが、的確な智慧と迅速な判断、そして相互扶助の絆によって、災害による損失は軽減し得るという希望を、南三陸の経験から見出す事ができる。
これらの地域の事例から、持続可能な内発的発展を考察すると、それは
参考文献
◆ 岩佐礼子『地域力の再発見 内発的発展論からの教育再考』(藤原書店2015)
◆ 坪内俊憲・保屋野初子・鬼頭秀一『共生科学概説 人と自然が共生する未来を創る』(星槎大学出版会2018)
次稿では、綾町・水俣・南三陸の事例を取り上げると共に、和辻風土論や、筆者の居住地域をも含めた総括を執筆する予定です。なお本論では、千葉時代に始まり、山岳信仰・照葉樹林文化・環境問題を経て、近年の東北大震災に至る…という地球生命史の中に日本列島の風土を位置付け、地域の記述を市原→大井沢→綾町→水俣→南三陸の順にさせて頂きました。市原を始めとする房総地方の出羽三山講を学び、そこから(自身も出羽登拝する三山講の一員になったつもりで)湯殿山の入口である大井沢に舞台を移す…という観点は、環境地理教育のテーマとして興味深いのではないかと思います。
2020/01/23