人類と自然環境の共生

文字数 4,365文字

 2019年11月30日(土曜)、星槎大学坪内俊憲保屋野初子鬼頭秀一各氏による「共生科学概説Ⅱ」が開催され、横浜福岡大阪沖縄仙台芦別の会場と、筆者を含むインターネット中継の学生が参加しました。「共生」は生物学や社会学の用語ですが、本稿では当日の議論を省察しながら「共生社会構築にどのような価値観が必要か」考えたいと思います。

 太陽系には推定50億年の歴史があり、46億年前に誕生した地球は、適度に安定・撹乱した環境を創成した結果、ヒトを含む多様な生物の存命を可能にしている。5回(古生代オルドビス紀・デボン紀・ペルム紀・中生代三畳紀・白亜紀)の大絶滅を経て、20万年前の新生代第四紀更新世「千葉時代」には、私達の祖先であるサピエンス人種が出現していたと考えられる。気候の乾燥・寒冷化と、インドネシアのトバ破局噴火という、二度の絶滅危機を辛うじて生き残った、その末裔が私達である。恐竜もそうだが、生物多様性の減少は絶滅リスクを高めるので、人類が生存し続けるためにも、多様性の保全に努めなければならない。しかし現在、生物は6回目の大絶滅を迎えており、そのペースは過去5回よりも速く、人類の経済活動に伴う急激な環境変化が、原因として指摘されている。このような生物学・地学を理解し、地球環境問題に取り組む必要がある。

 人間の経済活動は、二酸化炭素から放射能まで様々な廃棄物を排出しているが、食品廃棄物の多さは目に余る。貧しい人々に供給されるべき食糧を輸入した挙句、豊かな人々のゴミと化しているのは、全く以て勿体ない事である。これは生産企業だけでなく、需要側である我々消費者の問題でもあり、一人ひとりが今日から行動できる課題でもある。食べ残しを極力避けるべきだが、他者への完食強要は好ましくないので、そもそも食べ残すような食料品を購入すべきではない。過剰な消費を減らし、無駄な生産・廃棄を抑える行動が求められる。市場経済で生活している私達は、日々の消費において「買物は未来への投票」である事を自覚しなければならない。

 アマゾンを始めとする熱帯雨林は、生物多様性に富む「地球の命」であり、温暖化を抑制する「地球の肺」でもある。ところが、温暖化対策に良いとされるバイオ燃料を生産するために、その熱帯雨林が伐採される本末転倒な事態が発生している。パーム油(植物油脂)の原料であるアブラヤシは、身近な食料品・化粧品からバイオ燃料に至る様々な用途があり、私達の生活を支えているが、栽培する農園の確保に際して、広大な熱帯雨林が失われており、単純に「環境に優しい」とは言えない状態になっている。これには日本も関わっており、私達は、その商品が本当に必要か、再考する必要に迫られている。折しも消費税率が増税されており、支出を見直すには良い機会かも知れない。こうしたプランテーションによる資源乱用を、坪内教授は「株式会社植民地主義」と呼称した。また、地球環境問題の解決には、目先の経済的利益に惑わされない予防原則(事前対策)が不可欠である事や、地球環境には柔軟性・回復力があり、諦めずに環境保全を努力すべきと主張されている。

 坪内氏は、阿蘇カルデラなどの破局噴火や、小惑星・隕石の地球衝突が今後も起こり得る事を指摘し、原発の危険性と関連付けて述べている。但し、このような最悪の事態を現実に想定した場合、例えば東京などに隕石が落下する可能性もゼロではないから、もはや原発だけでなく、大都市への人口集住それ自体を再考しなければならないのでは…と、筆者は考える。また、日本スペースガード協会『大隕石衝突の現実』は、核ミサイルの危険性に言及しつつも「小惑星の衝突から人類文明を救うために核エネルギーは必要」「衝突回避技術としてのX線レーザーには核爆発が必要であり、マスドライバーにはその電力源として原子力発電設備が必要である。また現在使える有効な手段としては核エネルギーしかない。これらのいずれにおいても、原子力技術、核エネルギー技術は必須である」(242・243頁)と述べている。化石燃料火力発電や太陽光発電も万全でない以上、原子核エネルギーに関しては、安全性向上を徹底しつつ、将来的には核融合をも見越して、少なくとも研究は続けるべきではないだろうか。未来の電力としては、前掲スペースガード協会が宇宙太陽発電衛星の建設を提唱しており、既に環境経済学では、太陽発電衛星の環境分析用産業連関計算が研究されている。こうした、より安全で効率的な科学技術の開発・活用に人類がどこまで取り組めるかは、文明の持続可能性を大きく左右すると考えられる。

 環境問題は、客観的な事実を解明するだけでなく、開発に対する賛否の意見を述べたり、研究者自身の価値観が問われるテーマに遭遇する。例えば淺野敏久氏は、環境問題の地理学的研究に関して「第一に、現象を科学的解明する試みが重要である。ただし、現象の評価や考察が価値中立ではあり得ない。人間中心主義・生態系中心主義、自然環境主義・近代技術主義・生活環境主義などさまざまな立場がある」(『地理学概論』132頁)と述べる。自然環境に対して、人間社会が持つべき道徳を考える哲学は、環境倫理学と呼ばれる。筆者が法政大学地理学科で指導を受けた伊藤達也氏は「環境保護運動の目的」として「人の生きる基盤に生物多様性が存在する」という思想と、これを「人間中心主義」と批判し「生物は生物自身に存在意義があるのであって、人間社会との関係で評価すべきではない」という立場(ディープ
エコロジー等)とを例示した上で、後者に対して「しかし、この立場は最終的には人類の存続を危うくさせるため、私はこの立場はとらない」と述べた。伊藤先生はダム・河口堰の公共事業を厳しく批判されているが、その論拠としては、動植物の自然権よりも、誤ったデータに基づく不必要な開発が、財政破綻を招く債務肥大化を問題視し、持続可能社会の構築を主張されている。

 このように環境倫理は、まず人間中心主義への批判から始まり「種差別」や「生命権」などの概念が示された。その後、自然環境と共生する先住民の権利や、環境政策の社会的公正を求める環境正義が提起された。そして、開発による自然破壊だけでなく、自然保護においても、その過程で生活の権利を奪われる人々の存在が認識されるようになった。例えば、白神山地は「世界自然遺産」に登録されているので、縄文以来「手付かずの原生自然」という印象があるが、実際には山神信仰の文化があり、保護・保存のため立入禁止された地域でも、江戸時代(津軽弘前藩・秋田佐竹藩)から伝統的な食糧採集が行われていた。資源として適切に管理されていれば、自然の利用と保全は矛盾せず、むしろ永続的な資源利用のため自然に関心を持つ事によって、自然が守られると指摘されている。そもそも「開発」の原義は破壊ではなく、古くは「かいほつ」と発音され、平安・鎌倉時代の開墾を意味する言葉として9世紀から用いられ、僧侶なども参加していた(日本歴史大事典)。過去に硬直的な回帰をする必要は無いが、持続可能な発展には自然的・社会的・精神的環境の統合が重要であり、生業活動において、分断化された宗教文化的・社会経済的リンクの全体性を再構築する事が望まれる。

 現在も、食肉からペット販売・殺処分に至るまで、動物に苦痛を与える行為に対し、種差別が指弾されている。心臓を生かしたまま頭脳だけ屠殺するのは、本当に安楽死と言えるのか?という問題提起は、人間の脳死にも通ずる生命倫理と言える。ヒトの都合で動物の生命が奪われる文明に憤り、菜食主義を選ぶ人々も存在するが、健康上は多少の動物性蛋白質も摂取したほうが良い。我が国には「頂きます」「御馳走様」という美しい言葉があり、日々の食生活においても、自己の生命が、動植物など他者の生命に支えられている事を胸に刻みたい。

 環境倫理の発展と共に、原生自然だけでなく、二次的自然である「里山」が再評価され、その保全が目指されている。横浜国際福祉専門学校の周辺にも、かつては農家の里山が広がっており、戦後は横浜市の宅地化で緑被率が減少したが、現在も新治(にいはる)の緑地が緑区十日市場町に残り、ボランティア市民が保全している。二次的自然地域では、ヒトと自然の循環関係が非常に高い生物多様性を可能にし、共同体の生活・精神文化との共存が実現していた。里山は縄文時代から形成されていたが、現代はダム建設などの開発や、近年はソーラー発電も加わり衰退した。里山の乱用と放置は、どちらも災害を招く恐れがある。地球環境問題への意識が深まった現在、都市近郊住民に身近な自然として価値を見出され、横浜を含む多摩丘陵でも保全が望まれている。水害の多い日本列島では、ある程度の人工ダムは必要だとしても、その前に自然の治水機能を最大限に活用すべきである。まずは、身近な自然である里山の存在に気付き、若者から高齢者まで、地域の担い手に参加できる事が望ましい。

 白神山地のような自然遺産にも文化があるのと同様に、文化遺産にも自然が存在する。五箇山・白川郷の「合掌造」は、カヤ草本の供給によって成立している。霞ヶ浦などで行われている「野焼き」は、自然破壊と誤解される事もあったが、実際は適度に焼いたほうが、生物多様性が高いと分析されている。現在の生態学では、農業に伴う自然への撹乱は、適度な範囲なら環境破壊ではなく、生物多様性の維持に資すると考えられている。農薬使用や、針葉樹に偏重した森林政策などが課題である。私達の生活は、ヒトを含む様々な生物の存在によって成り立っているが、抽象的な観念で終わらせず、それぞれの生命に「場所」があり「名前」がある事を認識したい。

 原始大気に酸素を供給した、葉緑体の起源とされる藍藻類(シアノバクテリア)のストロマトライト及び、2013年2月15日のロシア連邦ウラル山脈に落下したチェリャビンスク隕石、いずれも筆者所蔵。コレクションするだけでなく、地域教育で積極的に活用したい。

◆ 坪内俊憲・保屋野初子・鬼頭秀一『共生科学概説 人と自然が共生する未来を創る』(星槎大学出版会2018)

◆ 上野和彦・椿真智子・中村康子『地理学概論』(朝倉書店2015)

◆ 中俣均・近藤章夫・片岡義晴・小原丈明・伊藤達也・米家志乃布『人文地理学概論』(法政大学2014)

◆ 日本スペースガード協会『大隕石衝突の現実 天体衝突からいかに地球をまもるか』(ニュートンプレス2013)

◆ 時政勗・薮田雅弘・今泉博国・有吉範敏『環境と資源の経済学』(勁草書房2007)

2020/02/07

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登場人物紹介

 地球研究会は、國學院高等学校地学部を母体とし、その部長を務めた卒業生らによって、2007(平成十九)年に「地球研究機構・國學院大学地球研究会」として創立された。

國學院大学においては、博物館見学や展示会、年2回(前期・後期)の会報誌制作など積極的な活動に尽力すると共に、従来の学生自治会を改革するべく、志を同じくする東方研究会政治研究会と連合して「自由学生会議」を結成していた。


 主たる参加者が國學院大学を卒業・離籍した後も、法政大学星槎大学など様々な舞台を踏破しながら、探究を継続している。

ここ「NOVEL DAYS」では、同人サークル「スライダーの会」が、地球研究会の投稿アカウントを兼任している。

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