新生代第四紀における平野地形の成因

文字数 7,616文字

  新生代第四紀における平野地形の成因

  星槎大学 共生科学部(共生科学専攻)卒業

  敷地 顕

 本稿では、地球上で私達が暮らしている地形の中から、北欧・北米などの浸蝕平野と、日本列島などの堆積平野を取り上げ、その成因・過程を調査します。特に後者の関東平野では、筆者が現地で撮影した写真も交えて観察します。

 地球の表面に見られる地形は、プレートテクトニクスに基づく内的営力作用(地殻変動・造山運動)と、浸蝕・堆積などの外的営力作用で形成されている。地表面積の29%を構成する大陸の中で、山地・丘陵よりも低平な地形を平野と呼ぶ。平野は、主な成因となっている外作用に応じて、浸蝕(侵食)平野と堆積平野に大別される。

浸蝕平野

 浸蝕平野は、主に浸蝕作用で形成された平野である。そのような平野は、地殻変動が比較的に緩やかな地形、即ち太古始生代・原生代(先カンブリア時代)の安定大陸塊や、古生代の古期造山帯に形成される。具体的には、世界の(東アジア・東南アジアを除く)大陸平原の多くが、この浸蝕平野に該当する。

 ここでは特に、北ヨーロッパ(英蘭を含む)及び北アメリカ大陸の浸蝕平野を概観する。北欧・北米の浸蝕平野では、準平原・構造平野・更新統洪積層・完新統沖積層などが見られる。

準平原 かつては隆起山地であったが、河川などによる長期の浸蝕作用で削られ続け、最終的に平坦化された地形。安定陸塊の楯状地など。準平原が再び隆起すると、(日本列島の山地にも見られる)隆起準平原が生まれる。米国の地理学者デービスは、このようなプロセスを「浸蝕輪廻」と呼んだ。

構造平野 古生代・中生代の海底に堆積した、水平な構造の地層が隆起して卓状地を形成。その後、穏やかな浸蝕を受け大平原に変化。

更新統洪積層 新生代第四紀更新世は大氷河時代であり、北欧はスカンジナビア氷床、北米はローレンタイド氷床という氷河に覆われていた(大陸氷床)。そのため、氷河によって堆積岩が運搬され、氷河の浸蝕が地形を平坦化し、更に深く氷蝕されたU字谷の海岸は、沈水してフィヨルド峡湾になった。「洪積層」の原義は「ノアの洪水で堆積した地層」という意味で、更新世の氷河地形を表すには不正確だが、温暖な間氷期には、洪水などの活発な水循環が見られたかも知れない。

完新統沖積層 約1万年前の新ドリアス期を最後に、氷河時代は終結し、現在まで続く完新世(現世)が始まった。北半球の夏季に、地球が太陽と最接近した事により、気候が温暖化し、氷河は融解した(ローズ1994)。その結果、液体の水である河川が多く流れるようになり、浸蝕だけでなく堆積作用が活性化し、氾濫原・三角洲などが形成された。特に、ヨーロッパのドナウ川(ドイツ黒森山地~ルーマニア黒海)やライン川(アルプス山脈スイス~ネーデルラント北海)は、広大な氾濫原景観(原風景)を創造し、人類を含む動植物生態系との連関も深い(保屋野2003)。こうした現世の沖積層も、造山運動による中断を受けない限り、長期的には浸蝕による平坦化傾向を持っていると思われる。

堆積平野

 新生代の(つまり現在も活動している)新期造山帯では、頻繁な地殻変動に起伏が大きく左右されるので、広い浸蝕平原が成長せず、狭くて高低差のある堆積平野が形成された。アルプス・ヒマラヤ造山帯に近接するヒンドスタン平原(インド亜大陸ガンジス川)を堆積平野に含む場合もあるが(ブリタニカ国際大百科事典)、我々にとって最も模範的なのは、環太平洋造山帯の渦中に存在している日本列島であろう。

 地殻変動の結果、日本列島の地形は、隆起する山地と、沈降する平野とに分化し、国土面積の約25%を構成する平野に、人口の8割以上が集中している。この堆積平野は、洪積台地と沖積低地に分けられる。ここでは、日本最大の関東平野を例に、堆積平野の成因を観察する。

洪積台地

 日本列島の洪積台地は、更新世末期(約2万年前)までの内作用と外作用で形成された、相対的に高い平野である。洪積台地は、隆起扇状地(武蔵野台地など)と隆起三角洲(下総台地など)に分けられるが、様々な成因が連関しており、欧米の氷河洪積層とは異なる複雑な様相を呈している。これは我が国が、外作用・内作用という双方の営力で造られる湿潤変動帯に位置しているからである。

風成堆積凝灰岩 新期造山帯の地下では、海洋プレートが高温なアセノスフェアに沈み込んで溶融マグマ化し、地上で多くの火山が噴火する。しかも中緯度の日本列島では、その上空を偏西風が循環し続けている。そのため、西方の火山で噴出した火山灰(火山砕屑物)は、東方に降下して堆積し、火山灰土壌が形成された。関東平野の台地には、更新世の富士山(古富士火山)や箱根などに由来する関東火山灰ローム層が広がっている。西部の多摩丘陵は、第三紀の基盤岩石を、更新世中期の火山灰壌土が覆って、洪積台地(武蔵野台地)より高く隆起した地形である。

氷河性海面変動 更新世氷河時代には、ビーバー・ドナウ・ギュンツ・ミンデル・リス・ウルムなどの氷期と、それらに挟まれた間氷期とが繰り返され、海面水準が約100m上下した。リス・ウルムの最終間氷期(約7万年以前)には、大気中の二酸化炭素が現在と同じ程度に増加した(佐藤2015)。温暖化の結果、下末吉海進と呼ばれる海水面上昇が発生し、江戸湾・霞ヶ浦・太平洋が「古東京湾」という一つの海で繋がり、最盛期には関東平野の大半が水没した。河川の堆積作用も活性化し、扇状地などが形成され、これが東京・埼玉・神奈川に広がる武蔵野台地(下末吉面)の起源である。

 東京大森の池上本門寺(左)及び大森貝塚(右)は、武蔵野台地(下末吉面)荏原台に立地している。このように武蔵野台地は、年代と位置に応じて幾つかの「面」と「台」などに細分される。

構造盆地運動 先述のように、新期造山帯では地殻変動が活発であり、関東平野では中央部が沈降、周辺部に隆起の傾向が見られる(関東造盆地運動)。扇状地・三角洲などが隆起すれば、隆起扇状地(武蔵野台地)や隆起三角洲(下総台地)と呼ばれる洪積台地が形成される。洪水で堆積した氾濫原平野の流域が、隆起して台地化する…まさに「洪積台地」である。

下刻浸蝕作用 約7万~2万年前のウルム最終氷期に、地球は再び寒冷化し、海面低下(海退)により、古東京湾は消滅に向かう。しかしながら、日本列島の堆積平野は、高度が雪線より低いので、氷期になっても氷河が発達せず多摩川や利根川(古東京川)など河川水が流れていた。海面が低下すると、河川の距離・傾斜が長大になるので、河谷を深く浸蝕する下刻作用が働き、平野の高低差が拡大する。堆積・浸蝕と隆起の相互作用によって、階段状の段丘が形成される事もある。ウルム氷期の武蔵野台地では、約6万年前に武蔵野面(武蔵野段丘など)、次いで約2万年前に立川段丘が造られた。また、更新世は考古学の旧石器時代に当たり、我が国ではウルム氷期の火山灰ローム層(武蔵野・立川期)から、先土器文化の遺跡が発掘されている。

 世田谷・目黒から大森・蒲田へと流れる呑川は、氷河期に荏原台を下刻浸蝕した河川である。削られた河谷は、完新世の縄文海進で奥東京湾の入江になり、やがて現在の沖積低地を形成した。

 このように、堆積・隆起などで相対的に高くなった平野が、武蔵野・下総・大宮などの洪積台地である。その後の完新世には、火山灰ローム層の表面に縄文貝塚が数多く築かれ、歴史時代には神社・寺院などが建立された。洪積台地は、数万年前は河川流域の低地だったが、永い時間を経て隆起し、高くて堅固な地形に生まれ変わった。そのため地震水害に強く、避難所に適している場合が多い。『君が代』の歌詞「(さざ)れ石の(いわお)と成りて」は、小さな砕屑物が、やがて大きな堆積岩に成長し、我が国の堆積平野(特に洪積台地)が創られる過程を詠っているような印象を受ける。

沖積低地

 沖積低地は、沈降・浸蝕などで洪積台地よりも低くなった地形に、河川が砕屑物(礫・砂・泥)を堆積させた平野である。日本列島の沖積低地は、欧米の完新統沖積層より約1万年ほど古く、完新世だけでなく更新世末期(晩氷期)をも含んでいる。

晩氷期 洪積台地よりも低い平野では、火山灰が浸蝕されて流失する。約2万年前、ウルム氷期は晩氷期に移行し、気候が少しずつ温暖化し始める。氷河に覆われていなかった堆積平野では、早くも古東京川などの河川が再び活性化する。その結果、それまで下刻作用で削られていた河谷に、今度は泥などの砕屑物が堆積し、沖積低地の形成が始まった。

縄文有楽町海進 完新世(後氷期)を迎えた後、特に約7000~6000年前の縄文時代前期に、地球はアトランティック・ヒプシサーマル期という急激な温暖化に突入した。その海面上昇は縄文海進(フランドル海進)などと呼ばれ、明治時代の麹町区有楽町(東京下町低地・千代田区丸の内)で、当時の貝層(有楽町層)が発掘された。有楽町海進の結果、関東平野の沖積低地は水没し、下刻されたV字谷にも海水が入り込み、渡良瀬遊水地(栃木市藤岡町)にまで達する「奥東京湾」が広がった。関東にリアス式海岸が存在した、特異な時期である。海面が上昇し、河口から離れた沖合の地層には、砂より軽いや、海水に棲息する生物の示相化石が堆積する。

 足尾銅山鉱毒事件で廃村した谷中村(左)に、渡良瀬遊水地・谷中湖(右)が設置された。この栃木市藤岡町には、縄文前期の貝塚群が存在する。つまり…約6000~7000年前も、この場所は水没しており、似たような景観が広がっていたのかも知れない。

縄文中期・弥生の小海退 縄文前期に頂点まで達した海面は以後、少しずつ下降する。海面が低下し、河口からの距離が近付いた地層には、泥より重いや、汽水を好む生物の化石が堆積する。更に海退すると、海と切り離された湖沼(海跡湖)が形成され、淡水の生物が暮らすようになる。一方、荒川・多摩川など河川流域の沖積低地では、山地との境界に扇状地(礫)、中下流両岸に自然堤防・後背湿地などの氾濫原(礫砂泥)、河口に三角洲(砂泥)を堆積させる。但し、高山が深海に近接する河川流域では、扇状地しか形成されない場合もある。多摩川低地は扇状地、埼玉中川低地は氾濫原、東京下町低地は三角洲に概ね位置する。沖積低地は、水田稲作などに適する反面、地震・水害の被災を受け易い軟弱地盤だが、時代と共に定住・都市化が進み、様々な環境問題に直面している。

 埼玉も「海なし県」などと言われるが、大宮台地と浦和・川口に囲まれた見沼泥炭地(芝川低地)は、かつて奥東京湾という正真正銘の海洋であった。関東造盆地運動と自然堤防のため、水が溜まり易い窪地になっており、海退後も汽水、次いで淡水の湖沼(海跡湖)が残った。江戸時代に干拓されたが、現在も首都圏で貴重な緑地が保全されている、芝川の氾濫原である。
 井関博士(1983)6頁の図表などを参考に、第四紀の平野地形を時空間に応じて整理すると、下記のようになる。但し簡易なので、図表の縦軸は「年代の長さ」「地層の厚さ」とは比例していない。

 ヨーロッパなどの更新統は、元来は「ノアの洪水(聖書創世記)で堆積した地層」という意味で「洪積層」と呼ばれていた。我が国の洪積台地が示すように、氷河時代においても、温暖な間氷期を中心に、洪水などの堆積作用は存在したと思われる。但し筆者は、世界史における年代との整合性を考慮すると、古代の神話に語られている「大洪水」は、更新世よりも、むしろ完新世の縄文海進などを題材にしたのでは?と思う。

 縄文海進の頂点である約6000年前は、最古の文明とされるシュメール都市国家が生まれ始めた頃である。そのウルク遺跡を舞台とした『ギルガメシュ叙事詩』には『旧約聖書』と共通する大洪水の説話が見られる(東ゆみこ・造事務所『「世界の神々」がよくわかる本』PHP研究所2005)。ヘブライ・ユダヤ人も、メソポタミアと宿命的に関わっていた。

 オリエントに古代文明を築いた人々は、大氷河時代という旧世界の終焉、縄文海進という世界的な海面上昇、同時期の気候変動・異常気象などを見聞し、その記憶を大洪水の神話として、後世に語り継いだのではないだろうか。こうした環境変動は、縄文以来の日本文化に込められた、自然への畏敬とも無関係ではあるまい。

 新生代第四紀は、環境変動と人類進化の時代である。その過程で形成された平野地形の探究を通して、我々は「人と自然の共生」を、過去・現在・未来へと展望する事が求められている。

自然地理学と測地学・地形学

 現代の地理学は自然地理学・人文地理学・地誌学に分類されているが、地球物理学など地学との連関も深く、諸科学の母として壮大な領域を扱う「地球学」としての歴史を誇っている。地理学の起源の一つは、地球の形状を測量して地図を製作する測地学であり、バビロニアの粘土板(紀元前700年頃アッシリア王国)やエジプトのパピルスなど、古代文明遺跡から古地図(大地平面説)が発掘されている。ギリシャ神話ヘカタイオス(紀元前6世紀)のように、ギリシャでも初期は世界円盤説が定着していたが、ピタゴラス(前6世紀)やアリストテレス(前4世紀)が地球説(世界球体説)を提唱し、プトレマイオス朝エジプト王国のエラトステネス(前3世紀)が測量を試みた。彼はアレクサンドリア及びシエネ・アスワン(北回帰線)の距離と太陽の入射角に基づき史上初の地球円周測定を成し遂げ、また『地理学(geographia)』(土地描写)という言葉を初めて用いたと考えられている。地図に経緯線を導入したエラトステネスの地理学は、ローマ帝国の時代に、同じくアレクサンドリアで活躍したプトレマイオス クラウディオス(2世紀)に継承され、天文学投影法座標を取り入れた、全世界とその現象を「絵」として表現する『地理学』が定義された。

 カトリック教会が国教化された中世ヨーロッパでは、聖書の世界観に基づき、中心にエルサレムを、東方のエデンを上方に配置した円盤説的な地図(プランタジネット朝イングランド王国)が描かれ、これがmapの語源になった。一方、イドリーシー世界図(ノルマン朝シチリア王国1154)のように、イスラム地理学はギリシャの科学を継承していた。近世にはイエズス会もプトレマイオス説を理解し、べハイム地球儀(神聖ローマ帝国ハプスブルク朝1492)や利マテオ坤輿万国全図』(明国1602)が製作された。日本列島では行基(平安時代805・鎌倉時代1305)、伊能忠敬大日本沿海輿地全図』(江戸時代1821)、地籍図などの古地図が知られる。

 「記述(graphy)」の性格が強かった地理学を、科学としての近代地理学に発達させた開祖がフンボルト(19世紀プロイセン王国)であり、アンデス山脈の植物地理学において、緯度高度植生気候など「自然の因果律」に基づく科学的調査方法論を確立した。現代の地理学は、特に地表上の事象を取り扱い、自然地理学は植生・地形・地質・土壌・陸水・海洋・気候・気象など、岩石圏水圏大気圏の自然諸現象を広く対象範囲とし、ハザードマップなど自然災害の予測にも応用されている。対象となる地域の環境を解析し、新しい世界像を読み解く手段として、地図の存在が重要である。海洋の地形図は海図と呼ばれ、マーシャル諸島(ミクロネシア)の海図は、世界最古の地図とも言われる。

 我が国で測量に基づいて製作された一般図は、縮尺が小さい(縮小率の分母が大きい)順に国際図・地方図・地勢図・地形図・国土基本図がある。国土地理院(国土交通省)の地形図は、空中写真の測量に基づく2万5000縮尺の実測図と、これを元にした編集図があり、治水地形分類図(土地条件図)・地質図など主題図の基図にもなる。1960年頃まで、地形図は多面体図法(等脚台形)を用いていたが、現在はユニバーサル横メルカトル図法(不等辺四辺形)を採用し、複数枚の並列に適応している。

 地形図は一般図であるため、植生や土地利用など地表面の事象が詳しく表現されているが、東京湾の平均海面を基準とする高度、等高線や崖線記号(毛羽)が記載されているので、地形学の調査に適している。等高線と交わる直線(断面線)を断層のように折れ線グラフ化する断面図の作成、分水嶺(尾根線)と河川(谷線)の判読などは、地理教育でも扱われている。

 このように、地図は測地学や地形学と密接に連関しているが、地図の歴史は文字よりも古いと考えられており、古地図(絵図)のように、測量に基づく客観的事実だけでなく、作者の世界観を反映した精神的・主観的・宗教的・芸術的な地図も存在する。そのような地図研究は、測地学よりも広く「地図学」と呼称され、歴史地理学からの接近も望ましい。将来的には火星の地図も、人類文明の命運を左右するかも知れない。

参考文献

◆ 長谷川直子『今こそ学ぼう 地理の基本』(山川出版社2018/08/10)


◆ 水野一晴『自然のしくみがわかる地理学入門』(ベレ出版2015/04/25)


◆ 佐藤典人『自然地理学 気候・気象』(法政大学通信教育部2015/03/31)


◆ 貝塚爽平『東京の自然史』(講談社2011/11/10)


◆ 高橋日出男・小泉武栄『地理学基礎シリーズ2 自然地理学概論』(朝倉書店2008/01/20)


◆ 武井正明・武井明信『新版 図解・表解 地理の完成』(山川出版社2007/09/10)


◆ 宮下 敦・横山一己『ゼミナール地球科学入門 よくわかるプレート テクトニクス』(日本評論社2006/09/25)


◆ 島崎邦彦・木村龍治『地学Ⅰ 地球と宇宙』(東京書籍2006/02/10)


◆ 杉谷 隆・平井幸弘・松本 淳『風景のなかの自然地理 改訂版』(古今書院2005/12/01)


◆ 保屋野初子『川とヨーロッパ 河川再自然化という思想』(築地書館2003/03/15)


◆ 清水靖夫『地図学Ⅰ』(法政大学通信教育部2001/02/26)


◆ 三井嘉都夫『地理学概論 自然地理学概論1』(法政大学通信教育部1996/04/25)


◆ スザンナ ヴァン ローズ『ザ サイエンス ヴィジュアル12 地球』(東京書籍1994/10/03)


◆ 三井嘉都夫・市瀬由自・佐藤典人『日本地誌Ⅰ 自然編 第2版』(法政大学通信教育部1994/05/26)


◆ 井関弘太郎『沖積平野』(東京大学出版会1983/05/20)


◆ 岡山俊雄『自然地理学 地形』(法政大学通信教育部1976/10/30)

2021/06/22
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登場人物紹介

 地球研究会は、國學院高等学校地学部を母体とし、その部長を務めた卒業生らによって、2007(平成十九)年に「地球研究機構・國學院大学地球研究会」として創立された。

國學院大学においては、博物館見学や展示会、年2回(前期・後期)の会報誌制作など積極的な活動に尽力すると共に、従来の学生自治会を改革するべく、志を同じくする東方研究会政治研究会と連合して「自由学生会議」を結成していた。


 主たる参加者が國學院大学を卒業・離籍した後も、法政大学星槎大学など様々な舞台を踏破しながら、探究を継続している。

ここ「NOVEL DAYS」では、同人サークル「スライダーの会」が、地球研究会の投稿アカウントを兼任している。

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