東京大森の郷土史を学び伝える

文字数 5,695文字

敷地 顕

 歴史学を専攻する学生・学者は、多くの史料(古文書など)や論文を読み解き、新しい歴史像の構築に寄与し得る、オリジナリティーのある研究が求められる。史学専攻でない社会科教員や、史学を教養的に学びたい大学生などの場合、史料解読は困難でも、信頼できる歴史学者が編著に携わっている文献(入門書・一般書・通史・テーマ史・地域史・博物館展示図録・事典)を多読し、学術書や雑誌論文(史学会『史学雑誌』など)の存在を知っておく事が望ましい。それによって、インターネット情報よりも実証的で、漫画や高校教材(教科書・用語集など)よりも専門的な先行研究を学ぶ事ができ、質の高い歴史学習を期待できる。

 学習・研究に際して、インターネットからの安易な引用は避けねばならないが、難読な歴史用語の読み方や、文献を検索する上で、インターネットは非常に有用であり、論文をダウンロードできる場合もある。なお私個人は、書籍購入に際して「Amazon.com」の読者レビュー欄を一つの参考にしているが、本来は図書館で実物を見るのが望ましい。
 史学に限らず、あらゆる学問分野に言える事だが、学習・研究に際して気を付けねばならないのは「自説に好都合な史料ばかりを過大評価して採用し、不都合な史料を過小評価・無視してしまう」という偏向である。国内における歴史教科書のあり方や、近隣諸国との歴史認識を巡る対立に顕著なように、しばしば「歴史」は政治的な論争に巻き込まれる事がある。私見では近年、こうした分野で「敵・味方」の分断が進んでいる(大雑把に言えば、我が国の言論界は『朝日新聞』系と『産経新聞』系に分けられ、両者は政治でも歴史でも真逆な論調を展開する事が多い)ように見える。本来、学術的であるべき争点を「勝ち負け」で捉えると、歴史的主張(根拠と結論)も偏向してしまうリスクが高まる。だからこそ「歴史学的に信用できる論者か」「確かな史料に依拠しているか、史料の恣意的な取捨選択をしていないか」という基本的な姿勢を常に意識しつつ、謙虚に歴史を学び続ける事が大切だと考える。

 筆者は東京都大田区で生まれ育ち、その北部の大森・池上(旧 大森区)の地域団体に所属している。その活動の一つに夏祭があり、筆者は公民館に町の歴史的な写真・古地図を展示し、来館者に郷土の歴史を解説するコーナーを担当してきた。そうした経緯を踏まえ、自身の身近に存在していながら、深く意識する事が少なかった郷土史を改めて学び、それを他者(地域住民や、この地域に関心を持つ方々)に説明できるような理解を試みたいと思うに至った。筆者だけでなく、大森の郷土史を学びたいと思う人々(中高生~大人)が、幅広く取り組めるテーマとしたい。従って、今回取り上げるテーマの目的は、何らかの新説を提示するような研究論文の執筆ではなく、先行研究に基づき郷土史を深く、そして楽しく学習できる教養的プランの企画である。

 筆者の郷土研究は、既に星槎大学の地理概説Ⅰ及び卒業制作(2020年度)でも実施しているが、それらは地理学習の側面が大きかったので、より歴史学的なアプローチを試みたい。具体的な考察対象としては、これまでと同様に、大森区域の代表的な史跡である「大森貝塚」及び「池上本門寺」を取り上げる。両者は、水害や地震に強いとされる洪積台地上にあり、先史時代から集落が営まれ、その遺跡が現存するという共通点を持つ。

大森貝塚

 大森の歴史を学ぶならば、その始まりと評しても過言ではない大森貝塚を取り上げねばならない。厳密には、大森貝塚の発掘地点は品川区に属するのだが、ここでは人為的な区界に固執せず、歴史的地域として大森を捉えたい。

縄文時代の考古学を概観する

 近代日本の考古学は、モースによる大森貝塚の発見から始まった。よって大森貝塚の研究史を追えば、考古学による先史時代の復元過程を概観する事ができる。御雇外国人であるモースと明治日本の交流は、中学・高校の歴史教科書(育鵬社『新しい日本の歴史』・明成社『最新日本史B』・明成社『私たちの歴史総合』など)のコラムにも載っており、読んだ人には見覚えのあるテーマである。また、大森貝塚の研究史には「縄文食人説」や「日本人の祖先は何者か?」という論争が含まれ、学習者の好奇心を刺激する面もある。

江戸東京湾の環境変動と関わってきた人々

 縄文時代は、現在よりも気候が温暖で、海水面が上昇していた。そのため、現在の海岸線から離れた台地に貝塚があったり、周囲に照葉樹林が見られたりする。これは大森貝塚も同様であり、温暖化などの気候変動が注目される今、環境教育としても有効な観点である。また、人間が大森の海(江戸東京湾)を活用・改造してきた歴史としては、大森海岸での海苔(ノリ)養殖(江戸~昭和)や、現在も続く東京湾の埋め立てを挙げる事ができる。

池上本門寺
 池上町の長栄山本門寺(日蓮宗大本山)は、日蓮が入滅した館を起源とする、鎌倉時代創建の寺院である。周囲には小中学校や公民館が立地し、地域団体の活動も盛んで、日蓮宗徒でない人々からも、地域のランドマークとして認知されている。このエリア一帯には、先土器(旧石器)時代の台地と河川、縄文時代の照葉樹林、弥生・古墳時代の遺跡、そして中世~現代の本門寺という景観要素が揃っており、通史と郷土史を対比させながら学ぶのに適している。

鎌倉新仏教を中心とする日本宗教史

 日本仏教史と言えば、中学・高校では「誰々が何々宗を開いた」と暗記しなければならず、苦手意識を感じる人も少なくないと思われる。地元の身近な寺院を訪ねる事は、宗教文化史への理解を深める有効な手段である。本門寺の境内や周辺には、日蓮宗と共生してきた神社天照大御神八幡大菩薩など)が見られ、神仏習合の一例と考えられる。他方で本門寺は、江戸幕府に「不受不施派」として弾圧された時期もあり、こうした点でも宗教史の一端を担っている。また、宗教学習には「他者の信仰を尊重する態度」を育み、各自が「より良い人生・世界を目指す上で、どのような思想・行動が望ましいか」を考えるという、道徳教育的な側面も含まれ得る事が期待される。

本門寺周辺の堤方権現台古墳・呑川などを散策する

 本門寺には、加藤清正徳川氏など近世大名に関する史跡が多い。また、長栄山の台地上からは、弥生時代中期・後期と古墳時代後期の遺跡である「堤方権現台古墳」が発掘され、先史時代から人々の集落が営まれていた事も明らかになっている。更に、長栄山周辺の照葉樹林(縄文時代の残存または再現)や、門前の低地を流れる呑川(氷河時代から存在し、縄文時代には奥東京湾の入江だった)など、大森貝塚と共通する環境史の学習テーマもある。このほか本門寺の北西には、平安時代に呑川を塞き止めた洗足池があり、日蓮・勝海舟・西郷隆盛との縁がある。

 書籍は「縄文時代」「鎌倉新仏教」「大田区」に関する物を選んだ。

◆ 豊田武『日本史概説(法政大学通信教育部1975/07)


◆ 大田区史編さん委員会『大田区史 上巻』(東京都大田区1985/10)


◆ 笠原一男・小栗純子『日本史特講 日本仏教史(法政大学通信教育部1990/11)


◆ 児玉幸多・林屋辰三郎・永原慶二・佐々木高明『集英社版 日本の歴史1 日本史誕生』(集英社1991/05)


◆ 大田区史編さん委員会『大田区史 中巻』(東京都大田区1992/03)


◆ 甘粕健・田中義昭・平野邦雄・戸沢充則・笹山晴生・井上光貞『日本歴史大系 古代文明の形成』(山川出版社1995/11)


◆ 伊藤喜良・永村真・大三輪龍彦・大隅和雄・永原慶二・村井章介・田中健夫・関幸彦・新田英治・小泉宜右・佐々木銀弥・細川涼一・中野栄夫・佐々木馨『日本歴史大系 武家政権の形成』(山川出版社1996/01)


◆ 大田区史編さん委員会『大田区史 下巻』(東京都大田区1996/03)


◆ 『大森貝塚ガイドブック モース博士と大森貝塚 改訂版(品川区立品川歴史館2001/09)


◆ 『日蓮宗(日蓮宗新聞社2001/12)


◆ 白石太一郎『日本の時代史1 倭国誕生』(吉川弘文館2002/06)


◆ 児玉幸多『日本歴史地名大系13 東京都の地名』(平凡社2002/07)


◆ 今村啓爾『日本史リブレット2 縄文の豊かさと限界』(山川出版社2002/11)


◆ 五味文彦『日本の時代史8 京・鎌倉の王権』(吉川弘文館2003/01)


◆ 佐藤弘夫『ミネルヴァ日本評伝選 日蓮 われ日本の柱とならむ(ミネルヴァ書房2003/12)


◆ 井上勲『日本の時代史 特別編29 日本史の環境』(吉川弘文館2004/10)


◆ 網野善彦『ちくま学芸文庫 日本の歴史をよみなおす(筑摩書房2005/07)


◆ 品川区立品川歴史館『日本考古学は品川から始まった 大森貝塚と東京の貝塚(品川区教育委員会2007/10)


◆ 松木武彦『全集 日本の歴史 第1巻 列島創世記』(小学館2007/11)


◆ 五味文彦『全集 日本の歴史 第5巻 躍動する中世』(小学館2008/04)


◆ 岡村道雄『講談社学術文庫 日本の歴史01 縄文の生活誌』(講談社2008/11)


◆ 小杉康・谷口康浩・西田泰民『縄文時代の考古学8 生活空間 集落と遺跡群』(同成社2009/03)


◆ 小杉康・谷口康浩・西田泰民『縄文時代の考古学3 大地と森の中で 縄文時代の古生態系』(同成社2009/05)


◆ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典13 東京都』(角川学芸出版2009/08)


◆ 佐々木馨『日本史リブレット人33 日蓮と一遍 予言と遊行の鎌倉新仏教者(山川出版社2010年2月)


◆ 小杉康・谷口康浩・西田泰民『縄文時代の考古学4 人と動物の関わりあい 食料資源と生業圏』(同成社2010/10/20)


◆ 木下正史『日本古代の歴史1 倭国のなりたち』(吉川弘文館2013/06)


◆ 古庄浩明『「日本」のはじまり 考古学からみた原始・古代(和出版2013/06)


◆ 泉拓良・今村啓爾『講座日本の考古学3 縄文時代 上』(青木書店2013/06)


◆ 泉拓良・今村啓爾『講座日本の考古学4 縄文時代 下』(青木書店2014/05)


◆ 佐藤信・倉本一宏・佐々木恵介『大学の日本史 教養から考える歴史へ1 古代』(山川出版社2016/02)


◆ 五味文彦・本郷和人・桜井栄治・中島圭一『大学の日本史 教養から考える歴史へ2 中世』(山川出版社2016/02)


◆ 中尾堯『歴史文化ライブラリー130 日蓮(吉川弘文館2017/09)


◆ 高橋典幸・五味文彦『ちくま新書 中世史講義 院政期から戦国時代まで』(筑摩書房2019/01)


◆ 佐藤信『日本古代の歴史6 列島の古代』(吉川弘文館2019/02)


◆ 北條芳隆『ちくま新書 考古学講義』(筑摩書房2019/05)


◆ 勝田政治・眞保昌弘・仁藤智子・秋山哲雄・夏目琢史・久保田裕次・石野裕子『日本史概説 知る・出会う・考える』(北樹出版2020/06)


◆ 吉田一彦・上島享『日本宗教史1 日本宗教史を問い直す』(吉川弘文館2020/08)


◆ 大野達之助『人物叢書6 日蓮』(吉川弘文館2020/11)


◆ 中塚武『歴史文化ライブラリー544 気候適応の日本史 人新世をのりこえる視点』(吉川弘文館2022/02)

 論文は「大森貝塚」「池上本門寺」「堤方権現台古墳」「呑川」「洗足池」で検索した。

◆ ESモース(近藤義郎・佐原真 訳)「大森貝塚」(考古学研究会編集委員会『考古学研究24巻3・4号』1977/12)


◆ 西岡秀雄「大森貝塚の発見から百年 同貝塚保存会の歩み」(考古学研究会編集委員会『考古学研究24巻3・4号』1977/12)


◆ 戸沢充則「日本考古学元年をおおった黒い影 モースの食人説をめぐって」(考古学研究会編集委員会『考古学研究24巻3・4号』1977/12)


◆ 林謙作「"食人説"と社会進化論」(考古学研究会編集委員会『考古学研究24巻3・4号』1977/12)


◆ 小林達雄「大森貝塚に於ける食人説」(國學院大学考古学資料館『國學院大学考古学資料館紀要19』2003/03)


◆ 池上本門寺近世墓所調査団「最近の発掘から 近世大名家墓所の調査 東京都池上本門寺」(雄山閣『季刊考古学83』2003/05)


◆ 杉山二郎「近世日蓮宗の仏教文化史上の意義」(国際仏教学大学院大学『国際仏教学大学院大学研究紀要7』2004/03)


◆ 山本たか子「洗足池周辺の文化財」(大田区立郷土博物館『大田区立郷土博物館紀要16』2006/03)


◆ 「小川の源流をたどる 都市の原地形を探る 東京南部の呑川」(古今書院『地理52巻7号』2007/07)


◆ 松原典明「最近の発掘から 木棺直葬の主体部から馬具 東京都堤方権現台古墳」(雄山閣『季刊考古学101』2007/11)


◆ 本間岳人「池上本門寺における上杉家・細川家墓所の調査」(考古学ジャーナル編集委員会『月刊考古学ジャーナル589』2009/08)


◆ 德永前啓「江戸時代の末寺統制に関する一考察 池上本門寺を中心として」(立正大学日蓮教学研究所『日蓮教学研究所紀要40』2013/03)


◆ 土生田純之「書評 坂誥秀一・松原典明編 日蓮宗不変山永寿院 武蔵堤方権現台遺跡 弥生集落・古墳発掘調査報告」(雄山閣『季刊考古学127』2014/05)


◆ 中野光将「大森貝塚」(日本遺跡学会『遺跡学研究 日本遺跡学会誌12』2015/11)


◆ 戸村正己「大森貝塚発掘141周年記念講演会 大森貝塚の土器を起こす 土器製作復元からのメッセージ」(国際縄文学協会『縄文31』2019/12)

 上記のほかにも「品川区立品川歴史館」「大森 海苔のふるさと館」「大田区立郷土博物館」「大田区立勝海舟記念館」などで文献を探したい。

2023/02/08
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登場人物紹介

 地球研究会は、國學院高等学校地学部を母体とし、その部長を務めた卒業生らによって、2007(平成十九)年に「地球研究機構・國學院大学地球研究会」として創立された。

國學院大学においては、博物館見学や展示会、年2回(前期・後期)の会報誌制作など積極的な活動に尽力すると共に、従来の学生自治会を改革するべく、志を同じくする東方研究会政治研究会と連合して「自由学生会議」を結成していた。


 主たる参加者が國學院大学を卒業・離籍した後も、法政大学星槎大学など様々な舞台を踏破しながら、探究を継続している。

ここ「NOVEL DAYS」では、同人サークル「スライダーの会」が、地球研究会の投稿アカウントを兼任している。

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