第9回 呑川子供鯉幟祭

文字数 1,103文字

 呑川の会の会報『のみがわ』第114号に、私達(大森清陵会)が執筆した「第9回 呑川子供鯉幟祭」の記事が掲載されました!

第9回 呑川子供鯉幟祭

2024(令和六)年5月2日(木曜)~6日(月曜)実施

記:笹木(ささぎ) (アキラ)

 5月の連休中、池上小学校とノミガワスタジオに面する霊山橋~妙見橋の流域で「第9回 呑川こども鯉のぼり祭」が開催されました。

 今年は、池上小学校・第二小学校の2年生による手作りを中心に、350匹の鯉幟が展示されました。4月末からの準備を経て、連休4日間の展示と、会員による巡回が行われました。

 最終日の6日(月曜)には、一部の鯉幟が強風で河岸に落ち、川と共に流されてしまうアクシデントもありましたが、駆け付けた会員諸氏がロープやフックを用いて試行錯誤した結果、そのうちの一匹を無事に釣り上げ「捕獲」する事ができました。その様子を見て「呑川も(目黒川のように)河岸に降りられる親水スペースを設置できないだろうか?」とも思いました。夕方には小雨が降り始め、名残惜しくも片付け作業となりましたが、鯉幟自体は、当初の予定通り16時ギリギリまで展示し続ける事ができました。
 5月5日を祝日とする端午の慣習は、中華から古代日本に渡来した風習が、我が国の民間信仰に溶け込み、朝廷などに取り入れられたものと考えられています。古くは『日本書紀』『万葉集』に記されており、飛鳥・奈良時代から邪気を払う儀礼として行われ、室町時代には武家の行事に取り入れられました。そして江戸時代中期には、武士に対抗する形で、当時の文化を担った町人らによって鯉幟が制作されるようになりました。これは「黄河の滝を溯上した鯉は龍に成る」という登竜門の故事(後漢書)を、町人や男子の出世に結び付けたものです。
 近代以降の太陽暦では、端午は夏の始まり「立夏」とも重なっており、特に温暖化や太陽フレアの活発化が指摘される近年は、夏服で外出する人の姿も増えつつあります。
 呑川に鯉幟を飾る構想は、毎年8月末の池上祭でも提案されていましたが、その後、子供の日(端午の節供)を含む5月連休に、呑川の会の主催で行われるようになりました。現在は、本門寺に臨む池上本町の春の風物詩として、呑川の会を代表する行事の一つになっており、昨年の「日本自然保護大賞」受賞に際しても紹介されました。
 景観とは、現実の空間として存在するだけでなく、人々によって認識・記憶される心理的な「場所」でもあり、地域住民にとって、呑川が思い出の場所であり続ける事を願っています。
 池上特別出張所・池上青少年対策地区委員会の御協力と、御来場の皆様に深く感謝致します。
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登場人物紹介

 地球研究会は、國學院高等学校地学部を母体とし、その部長を務めた卒業生らによって、2007(平成十九)年に「地球研究機構・國學院大学地球研究会」として創立された。

國學院大学においては、博物館見学や展示会、年2回(前期・後期)の会報誌制作など積極的な活動に尽力すると共に、従来の学生自治会を改革するべく、志を同じくする東方研究会政治研究会と連合して「自由学生会議」を結成していた。


 主たる参加者が國學院大学を卒業・離籍した後も、法政大学星槎大学など様々な舞台を踏破しながら、探究を継続している。

ここ「NOVEL DAYS」では、同人サークル「スライダーの会」が、地球研究会の投稿アカウントを兼任している。

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