共生科学の哲学的基礎

文字数 4,066文字

 本稿では山脇直司(編)に基づき、共生科学を考察する。まず、公共哲学による山脇氏の「総論」から、「共生社会の重要性」を読み解きたい。
山脇編『共生社会の構築のために』(星槎大学出版会2019)
共生の概念と共生科学の方法
 近年、流行している「共生」という日本語には、二つの語源が考えられる。一つは生物学で、異種の生物が結び付き生活している状態を共棲と定義する。もう一つは浄土宗で、祖霊の命との共生という意味が込められている。どちらも興味深い概念だが、現代社会への適用には限界がある。
 21世紀に広まった「共生」概念として、「共生社会」がある。障害(障碍)を持つ方々の社会参加という意味が含まれるが、共生科学の探究は、「人」だけでなく「国際社会」や「自然」との共生をも課題とする。
 現代社会には、共生とそれを支える人権に対する、深刻な脅威が発生している。共生科学は、諸問題に対する科学的考察と、それらを解決して共生社会を実現するという理念・目標の双方を包摂しなければならない。「諸学問横断的」な「問題解決型アプローチ」が求められる。
「共生教育」のための哲学的基礎
 「共生教育」を実践するに当たり、「個人と社会とのかかわり方」を検討する。「滅私奉公」は、全体主義的な国家・社会で強要される。一方で、利己的な「滅公奉私」(日高六郎)や、自暴自棄な「滅私滅公」の風潮も見られる。こうした両極端に対して山脇氏は、個人と公共を両立させる「活私開公」を、共生社会に相応しいライフスタイルとして提示する。但し、「公共的価値」の実現には、私利私欲を抑えなければならない場合(無私開公)もある。

 『教育勅語』を肯定的に評価しつつ(井上毅による「良心の自由に干渉しない」等の起草方針)、その解釈・取扱における問題を含む解説としては、大原康男『教育勅語』(神社新報社2007)参照。また、勅語は「命令」ではなく「著作」なので、法律である『教育基本法』との単純な対立的比較は適さず、むしろ勅語との共存・補完が立法趣旨だったとの説(高橋史朗)も指摘されている。

 文化大革命など中国共産党の実態は、クルトワ(高橋訳)『共産主義黒書 コミンテルン・アジア篇』(恵雅堂出版2006)に詳しい。同書は、レーニン共産主義も、ドイツと同じく優生学・社会ダーウィニズムの過ち(共産主義に反する人間集団の絶滅)を犯したと断罪する。

 「文化環境の多様性」を承認すると共に、「普遍的価値」の共有も不可欠である。「和して同ぜず」(論語)のコミュニケーション力や、「惻隠の心」(孟子)とも呼ばれる「共感力」の涵養が求められる。生徒に対する教師の役割は、サンデルの授業が参考になる。
 鬼澤訳『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房2010)は、功利主義ロールズ『正義論』など多くを扱う。
「共生福祉」のための哲学的基礎
 人間の存在価値を、形質・生殖・遺伝などの優劣で選別する考えを優生思想と呼び、人権論・共生思想と対立する。優生思想は、古くはプラトンなどギリシャ哲学に見られ、19世紀には遺伝学と融合した優生学 が提唱され、社会進化・無神論・功利主義などにも影響を与え現代に至る。ドイツ・スウェーデン・日本の政策に採用され、2016(平成28)年には相模原事件を引き起こした。
 ロシアクロポトキンは、ダーウィンの生存競争を、文明社会の「白人・劣等人種」「強者・弱者」などに適用する論を批判し、『相互扶助』こそが人類を含む動物界の自然法則であり、進化論の正しい解釈だと反駁した。大杉訳『革命家の思出 後篇』(春陽堂書店1932・ゆまに書房2004)。彼の思想を研究したのが、森戸辰男である。
 生命の尊厳は、唯物論や科学的実験で証明できる概念ではない。私が蒲田シオン教会で受け取った資料(2018/02/11)は、聖書が「民主主義の誕生、各国の法律や人権思想の基礎、女性の地位向上、芸術・文化」に影響を与えた事を、リンカーンら偉人の言葉と共に説明している。共生社会を担う宗教者の使命は、こうした点にある。
 西永氏が指摘するように、ダウン症の中絶(出生前診断)という「生命の選別」が現在も存在する。
 「障害者」と「犯罪者」は全く異なるが、こうした凶悪犯に死刑を求める世論もまた、「この世には生きる価値の無い人間が存在する」という思想に通底する。人権は「善人」だけのものなのだろうか?
 福祉や教育の基本的人権は、社会権と呼ばれる。英国では、福祉国家をめぐる論争の中で、二つの福祉観(消極的・積極的)が提唱された。経済学では、福祉を測る水準が問題になる。福祉政策には「共福と共苦の感受性」が必要であり、それは宮沢賢治の「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」に通ずる。
 まさしく「全ての人間の幸福」こそ、共生社会とそれを構築する共生科学の究極目標であろう。
「共生的な国際社会」のための哲学的基礎
 文化の多様性を(生物の多様性と共に)尊重する必要性が、ユネスコ文化人類学から主張されている。それは、「人と国際社会の共生」の出発点になる。
 21世紀に入り、グローバリズムとナショナリズムが衝突している。「各自が置かれたそれぞれの地域や現場で地球的な諸問題を考えたり実践する」グローカルな発想に基づく、自己理解と他者理解が必要である。
 戦争のWARに対して山脇氏は、「平和の和」と「連帯を輪」を意味する「WAの哲学」を発信している。「和」には、漢籍の格言に加え、日本語では(儒教だけなく)仏教的な影響で「心の平安」という意味が入っており、「柔和で和やかな平和の輪」という理念である。
 本書の出版(2019/03/22)後、奇しくも我が国は「令和」元年を迎えた。
「共生のためのスポーツ」の公共哲学的基礎
 公共哲学からスポーツを考察した場合、象徴的な事例としてオリンピックがある。開催国や選手が、人種差別や同化主義の問題を抱えている時、様々な出来事が起こる。
 1936年ベルリン五輪では、国策として一時的な共生社会が演出され、米国の黒人選手が活躍し、日本領であった朝鮮人選手のアイデンティティーをめぐる事件も発生した。一方、1968年メキシコ五輪では、人種差別に対する選手の抗議行動があり、2000年シドニー五輪では、アボリジニ選手の起用によって多文化主義を謳った。
「現代の国際社会を共生社会に変えていくためには何が必要か」

 次に、「国際分野」に関する大嶋・渋谷・内尾各氏の論文に基づき、「人と国際社会」の共生を考えたい。

国と国の共生のための基礎知識(大嶋英一
 国際社会の共生研究には、国内社会と異なり、「世界政府」が存在せず、主権国家を主体とし、国際法が適用させる国際システムを理解する必要がある。二度の世界大戦を経る中で、戦争を違法化する集団安全保障が試みられ、国連憲章では自衛と安保理決議に基づく軍事的強制措置だけが認められている。
 現実の安全保障は同盟が重視され、PKOや多国籍軍の活動が目立つ。「南北問題」「持続可能な開発」「人間の安全保障」などが提唱されている。人権保障は『大西洋憲章』以来、様々な条約が作成されているが、中国共産党は西側諸国の「普遍的価値」に反発している。日本では、ナショナリズムと結合した歴史問題、特別永住者への差別発言、平和主義と国際協調のあり方が課題である。
 「持続可能な発展」とも訳される。1987年の国連ブルントラント委員会で提唱され、環境経済学では「市場の失敗」や持続可能性の強弱などが議論される。時政・薮田・今泉・有吉編『環境と資源の経済学』(勁草書房2007)。
多文化共生の難しさと可能性(渋谷節子
 「文化」は、異文化の影響を受けながら、歴史の中で形成される概念であり、各人の「世界観」と表現する事もできる。「多文化が共生する」には「異文化理解」が重要であるが、まさに異文化(他者)を研究対象とする文化人類学(社会人類学)は、現地の生活を体験する「参与観察」の手法が重視される。
 国際レベルにおいても、共生は「他者を知る」事から始まる。
 文化に等しい価値を認める「文化相対主義」や、国・地域・宗教に共通の価値観を見出す「文化本質主義」は、多文化共生を考える上で役立つが、それをどこまで適用できるかは難しい。多くの死者や難民を生み出す紛争を解決するためには、「多文化共存」のための異文化理解を実践しなければならない。
 対義語の「自文化中心主義」や文化進化論を含めた、人類学の諸問題は波平編『文化人類学』(医学書院2002)参照。また、宗教人類学では佐々木宏幹『聖と呪力の人類学』(講談社1996)が「東京のシャーマニズム」など、身近な大都市にも異文化が存在する事を明らかにしている。
多文化共生と現代日本での課題(内尾太一
 「自分」という個人が他者と集団に属し、それが「我々」「彼ら」を成立させた時に現れるのが「文化」であり、この概念と上手に付き合うのが現実的である。人種差別の歴史や、より広く文化に対する差別を克服するため、「多文化主義」の理念が発生した。
 日本では、阪神大震災の外国人ボランティアを機に「多文化共生」の言葉が広がったが、「集団主義」「民族的同質性」の傾向が強いと言われる日本では、多文化主義は過渡期の表面的な形態とも指摘される。外国出身者や国際結婚の増加など、日本社会は本格的な多様化を迎えており、従来の「日本人」「外国人」のイメージを問い直し、実際の当事者に学びながら、新しい「我々」を成立させる事が重要である。

 1995年は「ボランティア元年」でもある。下斗米伸夫・北岡伸一『新世紀の世界と日本』(中央公論新社1999)。同書は、ユーゴスラビア紛争・ソマリア内戦など、冷戦後の厳しい国際情勢を網羅している。

 国籍という点では、「日本人」より「日本国民」という表現がより有効と思われる。

2019/05/26 敷地顕

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登場人物紹介

 地球研究会は、國學院高等学校地学部を母体とし、その部長を務めた卒業生らによって、2007(平成十九)年に「地球研究機構・國學院大学地球研究会」として創立された。

國學院大学においては、博物館見学や展示会、年2回(前期・後期)の会報誌制作など積極的な活動に尽力すると共に、従来の学生自治会を改革するべく、志を同じくする東方研究会政治研究会と連合して「自由学生会議」を結成していた。


 主たる参加者が國學院大学を卒業・離籍した後も、法政大学星槎大学など様々な舞台を踏破しながら、探究を継続している。

ここ「NOVEL DAYS」では、同人サークル「スライダーの会」が、地球研究会の投稿アカウントを兼任している。

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