「『私』の芸術への対話」年表

文字数 5,742文字

 本稿では、筆者がそれぞれの年代に、どのような「芸術」との関わり合いを体験し、それが「」にとって、如何なる意味を以て影響したのか考察します。なお、筆者は一貫して東京都大田区に在住していますが、区内で多摩川中央西蒲田と二度の転居(三度目の住所)を経験しており、引っ越しに伴い、過去の「自分史」に関する資料が一部散逸し、主観的な記憶に頼らざるを得ない可能性を、予めお断りさせて頂きます。

1988(昭和63)~1994(平成6)年・6才前
 私・敷地の両親は、が国立大学で電子工学を究め、は専門学校で調理技能を極めており、一見正反対だが、二人とも洋楽・邦楽に興味があり、私が生まれる前後から、著名アーティストのコンサートを聴きに行くなどしていたようである。当時のレコードやビデオには、在りし日のMichael Joseph Jacksonなどを見る事ができ、両親の音楽的関心も、そうしたジャンルにあったと推定される。但し、当の私自身は、国内外のメジャー音楽に対して、それほど興味を抱かずに育った。

 一方で、私は幼稚園児の頃から、「美少女」キャラクターが活躍するテレビアニメに(グッズを母に買って貰うほど)夢中であったらしく、それは私にとって、現在に至るサブカルチャー関心の原点だったのかも知れない。また、当時の住所であり、家族と共に外出できる最も近い場所が多摩川(江戸浄瑠璃の舞台「矢口渡」と伝わる)であり、その河岸を歩いた日々は、自然の「風景」に対して、芸術的な価値を見出す感性を育んだ可能性もある。

1995(平成7)~2000(平成12)年・7~12才

 小学生時代の私にとって、最大の興味は娯楽であり、具体的には「ファミコン」と総称された家庭用ゲームにあった…と表現しても過言ではないと思う。母が私に、友達を作る切っ掛けとして買い与えたのを契機に、私は(今ならば「依存症」と言われかねないほど)任天堂のゲームに熱中し、まだ「Eスポーツ」なる言葉も無かった時代に、同好の友人と家に集まって「ゲーム競技大会」の如き遊びを連日「開催」し、それを運営するサークルを設立して命名まで決めた。そんな私の「将来の夢」は、ゲーム会社への就職であった。

 「ゲームは芸術なのか?」という疑問が想定されるが、ゲームには文学・絵画・音楽・演劇などの要素が含まれ、時として鑑賞者(筆者もその一人)を感動させる名作も存在するから、総合芸術の性格を有していると考えられる。話を当時に戻すと、やがてが『スター・ウォーズ』のゲームを購入したのを転機に、私はこの超大作SF映画シリーズに、現在まで心を惹かれる事となり、物語のイメージから善悪の観念に至るまで、多大な影響を受け続けている。音楽教科の校外授業で、その主題曲を生演奏で聴く体験もあった。

 進級に伴い校内クラブ活動へと参加するが、私は「絵本部」や「工作部」に入部した事もあり、提供されたゲームを単に「遊ぶ」だけでなく、自らが物語や作品を「創る」という営為に喜び楽しむ感情を認識するに至った。また、壮大な自然景観に対する関心も深まり、八ヶ岳伊豆半島那須高原、そしてハワイ諸島など家族旅行を楽しんだ。これら全ての経験が、その後の私を造形したとも言い得る。

2001(平成13)~2006(平成18)年・1318

 小学校を卒業し、そろそろ「才」ではなく「歳」と表記すべき年齢である。中学校・高等学校での日々は、その後の人生に決定的な進路の方向性を示したと考えられる。中学の美術授業で、ピカソ『ゲルニカ』(を熱く語る若い女性教諭)が印象に残ったり、あるいはローランサン(閉(1))や星野富弘(群馬県みどり(2))の美術館を訪れたりしたが、当時の私にとって、主たる興味関心は「科学」であった。
 社会科と理科の両方が好きな私は、文系・理系の縦割りに違和感を覚えていた。選択科目は『世界史(3)と『倫理(4)を専攻し、歴史に残る宗教や芸術という人間の叡智を学んだが、それは同時に、人類に文明の資源を提供し、信仰や讃歌の対象にも成り得る自然環境…即ち「地球」や「宇宙」への興味と結び付いていた。また、部活動では科学部・地学部などに所属し、まさしく地球と宇宙を学習テーマとし、後には自ら副部長→部長に昇進して、文化祭への積極的参加(化石・鉱物の展示やプラネタリウム上映など)を指揮したが、そこには科学的関心だけでなく、何十億年もの時空において、輝かしい宝石や星空を生み出す世界の自然美を、それこそ「神が創造した芸術」として感じ取る心情があった。筆者は国立科学博物(5)を何度も見学しているが、地球の神秘を示す多種多様な展示物を前にした時、私の眼目には科学的客観と美学的主観、両方の「まなざし」があった。

 中学二年(2002)の文化祭で、科学部は二つの班に分かれ、私の班は、水爆実験が引き起こした「第五福龍丸事件」(1954)の展示を理科室前の廊下に広げ、別の班は、理科室内に星座模型を展示した。両者は一見、あまり関係ないように思えるが…実は、水素爆弾も恒星も、核融合反応によってエネルギーを放出している。美しい星夜も、地球生命を支える太陽光も、実は核兵器と同じ原理によって存在している。巨大なエネルギーは、芸術にも技術にも成り得るのであり、それが人を生かすか殺すかは、人間次第なのだと思う。

 高校時代には、従来の宝石鉱物(パワーストーン(6)に加えて、万華鏡を収集する趣味が芽生えた。万華鏡は元来、物理学者が発明した光学玩具であるが、内外の模様デザインを充実させるのは、芸術的な取り組みでもある。高校二年(2005)の修学旅行で九州・長崎を訪れた際には、教会堂建築だけでなく、お土産の万華鏡にもステンドグラス風の意匠が凝らされており、印象的で感心させられた。このように文系と理系、そして「学」と「芸」は表裏一体であり、無理に分離すべきでないと考えられる(写真:瑪瑙のイルミネーション装飾)。
 また、この中学・高校時代は、幼稚園の時に触れた、サブカルチャーへの興味が「再発」し、深化する期間でもあった。アニメやゲームだけでなく、小説に漫画を挿入したような「ライトノベル」なるジャンルが登場し、特に少女キャラクターの魅力を積極的に強調する「萌え」系の作品が青少年にも浸透し、(否定的偏見も含めて)いわゆる御宅(オタク)文化が開花した頃、私もその当事者を担っていた。具体的な作品名を一つ例示するならば…特に『双恋(7)は、高校の厳しい学業に疲弊していた自分にとって、数少ない「癒やし」であったと追憶される。

(1)マリー・ローランサン美術館」http://marielaurencin.jp/

(2)富弘美術館」https://www.city.midori.gunma.jp/tomihiro/

(3)藤次高・木村靖二・岸本美緒 他『詳説世界史』(山川出版社2004)

(4)部久 他『高等学校 倫理』(第一学習社2006)

(5)立科学博物館 編集『地球生命史と人類 自然との共存をめざして』(国立科学博物館2005)

(6)川シズエ『パワーストーン百科全書331』(中央アート出版社2000)

(7)撃G’sマガジン編集部 編集『双恋ビジュアルズ』(メディアワークス2004)

2007(平成19)~2019(令和元)年・19歳~現在

 初めに両親に関して触れたが、追記すると、母方の伯父は地理学科で地形学などを研究し、今でも自然科学的な思考を重視している。一方、父方の叔父は歌舞伎演劇学を専門とする国語教育者であり、民俗芸能に詳しい。そうした多方面からの影響もあってか、先述のように文理・学芸の壁を乗り越えたかった私は、國學院大学(2007~2012)で歴史地理学・自然科学を専攻し、法政大学(2014~2018)で地理学を探究し、更には星槎大学に編入し、こうして芸術科目を学修するに至っている。この「最新自分史」における芸術への対話を、「西洋美術史」「ラノベ・ゲーム創作」そして「音楽」という三つの観点から述べる。

 第一は、國學院大学で「西洋美術史」の科目を履修した結果、従来は単なる消費の対象であり、定期考査の「試験勉強」程度の認識しか無かった美術を、主体的・積極的に探究する機会を得た事である。具体的には、初期キリスト教美(8)を歴史的に論じたり、美術館見学のレポートを執筆したりしたのだが、特に後者は、川村記念美術館の展覧会「静寂と色彩:月光のアンフラマンス」(2009~2010)を実際に拝観し、日本では初の作品公開である、スイスEmma Kunz(1892~1963)との「対話」が、感慨深い体験であった。自然科学者としての智識と、キリスト教・アニミズム的な哲学を両立させた、霊的治療師だったと語られ、ダウジングに基づく方眼紙への幾何学的drawingで宇宙の世界秩序を表現し、「私の作品は、21世紀に向けられている」「私の絵が理解される時が、やがてくるでしょう(9)と言い遺したクンツは、今こうして図録を見直している私の心身に、震えるほどの何かを感じさせる(画像:代表作『宇宙における人間のカップル』を展覧会カタログ59頁より引用)。
 第二の「ラノベ・ゲーム創作」は、言葉通りの意味である。私は高校生の頃から、日記(私小説)的な物語を断続的に着想しては書く趣味があったが、大学生として多くの文章を執筆するようになり、ブログなどインターネット技術の進歩もあって、不特定多数への一般公開を目的とした、ライトノベルやゲームなどの作品を、本格的に創りたいと思うに至った。守秘義務などの事情で、ここでは詳細に踏み込めないが、「同人サークル」などと呼ばれる創作ネットワークに関与したり、ゲーム用シナリオ執筆を仕事として受注したりもした。「創りたい」の背景に、これまでのゲーム体験やサブカルチャー萌えが影響しているのは言うに及ばないし、その作品内容には、筆者の地球学的関心が反映される事も多い。生田久美(10)氏は、我が国の伝統芸道に存在する概念「(わざ)」を認知心理学的に考察し、「」の模倣→繰り返し→習熟から「」の習得に移行するプロセスを分析しているが、創作表現においても、守るべき形を平常心・無意識にまで身に付けながら、オリジナリティーをも伴う型の体現が究極目標と言えるかも知れない。
 そして第三が「音楽」であり、私はアニメやゲームの主題歌・挿入歌・BGMには興味があったが、それらは作品を盛り上げる「従」の存在であった。そんな私の前に、音楽を「主」とする人々が現れた。一人は筆者の弟(高校生)であり、彼は以前からDJやhip-hopに没頭していたのだが、大学受験に際して、志望する学科を迷っており、私は「哲学科で美学を専攻すれば、好きな現代音楽の卒論を楽しく書けるのでは?」と提案し、結果はその通りになった。もう一人は、2015(平成27)年に西新宿で出逢った、ソロの女性ミュージシャ(11)であった。駅前路上でCDを販売している姿が気になり、話し掛けたのが全ての始まりで、観客としてのライブ鑑賞だけでなく、次第にイベントを手伝うようになったり、ゲーム制作との提携を企画したりして今に至っている。生田氏らの表現を借りるならば、芸の世界における「()の体得」には、「世界への潜入」が効果的であり、例えば音楽という空気に心身を置き、呼吸のリズムを味わう体験は、掛け替え無きものであるし、「文化的実践への参加」を介した、対象への「配慮」「関心」「気遣い」そして「共感」というケアリング関係の構築でもある。なお、筆者は地元の教(12)に通っており、身近な音楽として讃美聖歌も挙げられる。

(8)階秀爾 監修『西洋美術史 増補新装』(美術出版社2002)

(9)村記念美術館 編集『静寂と色彩:月光のアンフラマンス』(川村記念美術館2009)

(10)田久美子『コレクション認知科学「わざ」から知る』(東京大学出版会2007)

(11)Etsuの音楽ユメ日記」http://etsu15.sakura.ne.jp/

(12)シオン教団 蒲田キリスト教会」http://zion.jpn.org/

(13)スライダーの会」http://xn--u9jwfoc3a1q9d166v.blogspot.com/

 筆者は本日、渋谷クリエイター交流会に参加し、再来週23日(土曜)には星槎学園北斗校で「芸術への対話」(安久津太一氏)を受講するなど、今後とも自分の興味関心に応じた学芸活動を構想していますが、こうした「私」の現在に、これまで見て来た過去が影響している事は言うまでもありません。最後に、芸術との関わり合いの先に如何なる未来が開けるのか…それを示唆するメッセージとして、本稿の執筆で最も感銘を受けた故クンツ女史の言葉を引用して、この「年表」を終えたいと思います。

「この最後の作品で、私はピラミッドの第七の部屋を開けた。
私の探求は今ここに完了した。」

“ With this last picture I have opened the seventh
chamber of the pyramid. 
My research is now finished. ”

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登場人物紹介

 地球研究会は、國學院高等学校地学部を母体とし、その部長を務めた卒業生らによって、2007(平成十九)年に「地球研究機構・國學院大学地球研究会」として創立された。

國學院大学においては、博物館見学や展示会、年2回(前期・後期)の会報誌制作など積極的な活動に尽力すると共に、従来の学生自治会を改革するべく、志を同じくする東方研究会政治研究会と連合して「自由学生会議」を結成していた。


 主たる参加者が國學院大学を卒業・離籍した後も、法政大学星槎大学など様々な舞台を踏破しながら、探究を継続している。

ここ「NOVEL DAYS」では、同人サークル「スライダーの会」が、地球研究会の投稿アカウントを兼任している。

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