星槎国際学園の天命 ―共生・共感理解・統合・実践―

文字数 2,770文字

星槎国際学園の天命

―共生・共感理解・統合・実践―

 星槎大学共生科学部の基盤必修科目である「星槎学」は、宮澤保夫会長の自伝を読み、星槎国際学園と共生科学の理念を理解・実践せんとする講座ですが、学史だけでなく、参加する教員・学生の関心分野についても幅広い議論が行われます。本稿では、私が昨年7月28日(日曜)に参加した、横浜国際福祉専門学校(神奈川県青葉区)での議論に基づき、本学での研究を通して、自分が取り組むべき使命を展望したく思います。

水俣病事件と原田正純医師

 当日はまず、鬼頭学部長(環境倫理学)の研究事例として水俣病事件を学んだ。水銀廃液は、稀釈しても生物濃縮で被害を生ずるため、水俣病根絶には不知火海への排水を止める必要があるが、当時の水俣が「企業城下町」として窒素工場の恩恵を受けていた事もあり、迅速な対応ができなかった。また、水俣病の母子感染は認定されていなかったが、現場で奮闘していた原田医師の診察により「胎児性水俣病」が発見され、毒物の胎盤浸透が初めて実証された。公害などの問題は、科学的・中立的な分析だけでは冷淡な把握に陥り易く、真の意味で被害の全体像を理解するのは難しい。そこで原田医師のように、患者一人ひとりの苦悩・受難(パテーマ)と向き合い「病」の本質に迫るのが大切であり、共感・理解に基づく実践は医療の原点でもある。

 一方、新潟県阿賀野川でも新潟水俣病が発症しており、熊本水俣病への対応を促した。石油化学コンビナートに移行した結果、水銀排水は企業にとっても不要になったが、その石油による大気汚染が、三重県四日市喘息を引き起こした。水俣病関西訴訟や未認定患者(水俣病特別措置法)など、被害の救済は今世紀まで持ち越されている。また、金鉱石の採掘で「アマゾン水俣病」が発症するなど、海外でも水銀中毒が引き起こされており、国際的に「水俣」が知られるようになった。

星槎の意味・沿革

 筆者自身が私塾に勤めている事もあり、星槎国際学園の起源が小さな学習塾だった事や、発達障碍・不登校の問題も身近なテーマに考える事ができる。星槎のロゴマークが、異なる面積の木々で描かれており、一人ひとりの学生を象徴しているという逸話は、理念としても興味深かった。筆者は、自由を抑圧する共産主義には批判的であり、あまりゲバラ氏に心酔してはいない。むしろ民間の人々が星槎に結集し、それを必要としている人々の需要に応じて供給するという理念は、どちらかと言えば資本主義市場経済に近い発想なのでは?と思ってしまったりするのだが、情熱を以て問題解決に向け行動・実行するという生き方には感服する。また、卒業までのカリキュラムに自宅受講できる科目を増やすなど、現在の星槎大学も改革を試行錯誤している。折しも次年度から、地理歴史・英語の課程が導入されるとの事なので、國學院法政大学で歴史地理学を専攻して来た筆者にとっては、更なる学び甲斐として期待すると共に、科目の課題も増えるので複雑な心境でもある。「学校の中に町がある」という構想は面白く、筆者も地元での実践において、それに近いような取り組みを少しでもできればと思う。

 現代社会の様々な問題が単なるニュース報道と化し、国民全体が当事者性の欠如した「政策担当者」になりつつある…と指摘されている。制度・政治を動かすには多大な活力が必要であり、それより自分達にできる事を実行するという考え方もある。その具体例として、小田原・箱根のエネルギー地産自給を目指す湘南電力・星槎電力プロジェクトがある。但し、自然ソーラー発電においても、巨大パネル設置における緑地伐採という課題には留意する必要がある。鬼頭氏らは、行き過ぎたグローバル経済に対して、自然環境に根差したローカルな非市場領域(遊び仕事)を重視した相互扶助経済圏を提唱し、そこでは人々の共感や信頼、物語の分かち合いという共有価値が創造され、地方中小企業の「家業」が期待されている。特に我が国では、お金だけに翻弄されない伝統的な互助の精神を再評価すべきである。

グループワークと共有

 必修科目という事もあり、当日の講座には横浜青葉だけでなく、九州から北海道まで全国の学生が参加し、それぞれの立場から「現在気になっている時事的問題について」議論が交わされた。虐待・イジメ・不登校・性差別・犯罪・介護、障碍者の就労支援など、その問題意識は多岐に及んだ。筆者は、埼玉県見沼地域を共生教育の観点から考察したレポート論文「埼玉見沼における共育空間」を提出し、鬼頭先生から『見沼学』を刊行していた見沼福祉農園(猪瀬良一)に関する助言の総評を頂いた。福祉農園の方々は以前、國學院大学のボランティア講座にお越し下さった事があるが(これが筆者が「見沼田圃」を知る契機であった)、卒業研究制作を見越して改めて「福祉と環境の接点」を学びたいと思う。

 以上の内容を総括すると、私にとっての「星槎らしさ」とは、第一に総合性である!と答える事ができる。それは、筆者が星槎大学編入を志願した主要な動機でもある。そもそも、筆者が地理学を専攻したのは、様々な苦難困難を抱えながらも、それでも美しい宇宙の中にある世界を、宗教文化から地球科学に至るまで、総合的に探究できるからである。高等専門教育では、学業が文系・理系に隔絶される事が多いけれども、文理・学芸の壁を超克し統合する生き方は、それ自体が楽しいだけでなく、問題解決にも役立つと思われる。

 先述のように、筆者は地元で私塾講師を務めており、今年度は社会(世界史・倫理)・理科数学を担当している。塾長は区議会自民党議員でもあるのだが、実は「宮澤学園」と呼ばれていた頃の校舎(横浜市緑区十日市場町)を視察された事があるという。加えて筆者は、中学校卒業生を中心とする任意ボランティア団体(いわゆる同窓会)に所属しており、教室でプラネタリウムを上映したり(「星槎」も七夕の神話に由来する言葉である)、公民館で郷土の歴史地理を展示するなど地域教育に取り組んで来た。こうした活動においても、複数の分野を統合し、一人ひとりの方々を可能な限り理解し、共感を分かち合う実践が大切であるのは言うまでも無い。そのためにも、今だけでなく、卒業後も仲間と共に「学び続ける」人生を歩み進みたい。

◆ 宮澤保夫『人生を逆転する学校 情熱こそが人を動かす』(角川書店2011)

◆ 坪内俊憲・保屋野初子・鬼頭秀一『共生科学概説 人と自然が共生する未来を創る』(星槎大学出版会2018)

◆ 宮澤保夫『必要なところに私は行く そして必要なことをする』(丸善雄松堂2018)

 本論で得られた叡智を、地元から星槎大学での探究に結びたいと思います。ありがとう御座いました。

2020/02/17

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登場人物紹介

 地球研究会は、國學院高等学校地学部を母体とし、その部長を務めた卒業生らによって、2007(平成十九)年に「地球研究機構・國學院大学地球研究会」として創立された。

國學院大学においては、博物館見学や展示会、年2回(前期・後期)の会報誌制作など積極的な活動に尽力すると共に、従来の学生自治会を改革するべく、志を同じくする東方研究会政治研究会と連合して「自由学生会議」を結成していた。


 主たる参加者が國學院大学を卒業・離籍した後も、法政大学星槎大学など様々な舞台を踏破しながら、探究を継続している。

ここ「NOVEL DAYS」では、同人サークル「スライダーの会」が、地球研究会の投稿アカウントを兼任している。

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