琉球諸島 沖縄の生態に着目した比較交流地誌

文字数 14,068文字

琉球諸島

―沖縄の生態に着目した比較交流地誌―

星槎大学 共生科学専攻

敷地(しきち) (あきら)

 2020(令和二)年10月10~11日、星槎大学による「地球自然環境共生実習/やんばるの森と海と人に学ぶ自然との共生」が実施され、山原(やんばる)と呼ばれる沖縄島北部の生物地理を中心に、琉球諸島の自然環境や米軍基地問題などが議論された。12月26日(土曜)には、沖縄戦や辺野古などの知見も踏まえて、参加学生による事後学修も予定されている。本稿では、下記の2点にテーマを定め、琉球諸島の地誌を著述したい。


① 実習を通して筆者が理解した事項、特に関心を抱いた箇所を要約し、山原を始めとする沖縄の生態系とその課題を、他者に説明できるようにする。


② 山原以南の沖縄島や広く琉球諸島の歴史・文化を鳥瞰し、具体的な事例研究case studyとして久高島の民俗を考察する。


 地球上の、任意の地域を対象とし、その自然と人文を総合的に記述する研究を地誌学(地域地理学regional
geography)
と呼ぶ。その中でも、特定の重要な問題(事象・現象)に注目して、地域を科学的に分析しようとする試みは「動態地誌」と呼ばれる。また、社会科学的アプローチや語学を重視し、問題の発見と解決を目指す学際領域を地域研究Area Studiesと呼ぶ(矢ケ﨑編2020)


 地域研究は、例えば星槎大学グローカルコミュニケーション専攻にも見られる観点であるが、まさに課題解決を必要としている山原地域の考察においても、重要なアプローチであると考えられる。一方で、琉球・沖縄の歴史地理を把握する上では、伝統的な静態地誌や、テーマ重視の動態地誌も有用である。

1.1琉球諸島の自然史

 それではまず、行政府の広報映像(環境省2017)などに基づいて、琉球の地史を概観しよう。亜熱帯気候の南西琉球諸島は豊かな生物多様性に恵まれており、我が国は官民を挙げて、奄美大島・徳之島・沖縄島北部・西表島世界自然遺産に推薦している。面積では日本領土の1%未満だが、この小さな島々には多くの絶滅危惧種固有種が暮らしている。

 中新世中期(1200万年前)、琉球諸島はユーラシア大陸の一部であり、生物も大陸と共通していた。中新世後期~更新世初期(1200万~200万年前)、大規模な地殻変動で沖縄トラフの海域が拡大し、吐噶喇(トカラ)海峡・慶良間海峡・与那国海峡と、その間に中琉球・南琉球が形成され、中琉球には奄美黒兎(アマミノクロウサギ)などの遺存固有種が定着した。その後の氷河時代で、現代に至る琉球諸島が形成されると共に、各島に適応した新固有種が棲み着いた。中琉球の分離に伴い、トゲネズミも奄美・徳之島・沖縄に分かれた。一方、氷河で大陸と結ばれている期間が長かった南琉球には、大陸との類縁が近い西表山猫(イリオモテヤマネコ)などが見られる。このように琉球は、大陸島における独特の生物進化過程を推定する事例である。

1.2沖縄島の北部を構成する国頭・山原

 このような琉球諸島の中で、国頭(くにがみ)大宜味(おおぎみ)(ひがし)村の脊梁山林を中心とする沖縄島北部(国頭郡地方)は「山原」と呼ばれ、世界遺産登録を見据えた生態系と課題が特に注目されている。自然遺産を目指している山原だが、琉球の文化とも関わっており、その亜熱帯林は王国時代から首里城などに利用されてきた。一般的に、夏季の気候は南方のほうが多雨と思われるが、沖縄島では山原のほうが降水量が多く、人口は少ないが、水源地として重要な役割を果たしている。他方、沖縄島南部は河川が少なく、貯水に不適な琉球石灰岩に覆われているので、雨水・地下水・湧水を利用する生活と信仰が育まれた。近代的な水道敷設は、戦後の米軍統治(琉球政府)で本格化し、福地ダム(東村)などの水資源開発も進んだ。

 近年は、ヤンバルクイナなどを保護するため、マングース北上防止柵が設置されている。観光に際しては、人間が生物に対して加害者にも被害者にもならないよう、人数制限を設けたエコツーリズム(ecotourismの実施など、自然環境との共生を試行錯誤している。戦時中の空襲による山林全焼を免れたのは、山原の幸運であったが、戦後も実弾射撃演習を巡る米軍との闘争を経験するなど、旧日本軍の遺跡と共に、戦争と平和の歴史を考えるのにも適している(東アジア共同体研究所2019)

 山原の生活は、山海を一体とする景観を形成し、海岸には汽水のマングローブと、その先には珊瑚礁が広がる。珊瑚は綺麗な海を好み、体内に光合成する共生藻類を宿す種が多い。その浅瀬には、陸上植物の仲間である海草藻場が広がり、水質浄化や食用魚育成に貢献している。琉球の人々は、ニライカナイの神々が集落に来訪する際、通り道の珊瑚礁で休むと語り継いできた。なお、昨年度には星槎大学の学生が、山原を絵画で表現した「卒業制作」を発表された(星槎大学生『やんばるのこころ』2020)。

1.3東村高江と山原国立公園の軍事問題

 昭和以前の山原は道路が未整備だったので、山原船と呼ばれる海運が物流を担った。照葉樹林(常緑広葉樹)に覆われた新川(あらかわ)河口の東村高江区は、その港町として始まった集落である。かつてベトナム戦争の訓練に用いられ、枯葉剤が使用されたとの証言もある。多くの絶滅危惧種・固有種・天然記念物が棲息しているが、米軍ヘリ着陸帯の建設に伴う絶滅が懸念され、反対派と機動隊の衝突が続いている。垂直離着陸輸送機Ospreyの低空飛行は、排熱による山火事のリスクも指摘される。高江ヘリパッドを巡る攻防は、ドキュメンタリー報道映画(謝名元慶福2016など)で世に問われている。

1.4「やんばるの森の生き物を知る・守るのは、行動」

 10月10日(土曜)のシンポジウムでは宮城秋乃・安部真理子・西原ルカ・吉川秀樹、11日(日曜)のフィールドスタディーでは浦島悦子・鬼頭秀一・名和純・仲程信哉の各氏らが講演された。沖縄島の蝶類など昆虫学を研究されている宮城秋乃氏は、高江安波を中心に山原の森林生態系を調査した結果、天然記念物だけでなく、ダム上空で非公式な低空飛行を訓練する米軍機など、この地域における米軍の活動にも注目せざるを得なくなった。取り分け北部訓練場返還地の土壌に、手榴弾などの軍事廃棄物が残されている現状を明らかにし、防衛省の公式見解を批判した。

 国立公園には、動植物の生態系だけでなく、地元住民や観光客も訪れる。ゆえに可及的速やかな土壌環境復元が必要であり、それをせずして、世界遺産登録を急ぐのは過誤である。米軍の活動を、千葉県警など内地の行政機関が援護する様子を、宮城氏は「日米の沖縄侵略」と捉えている。その現状を正確に把握するには、民間人による調査活動が必要である。

 沖縄の米軍基地に関しては、辺野古移設問題が報道や世論に注目されがちであり、筆者もそうであった。しかし北部の山原国立公園、なかんずく高江においても、軍・警察と反対派の対立が激化し、禍根を残しつつある。私個人は、道路封鎖など実力行使の阻止行動には賛同しかねる立場だが、反対運動に参加する人々は「恫喝訴訟」や説明不足など、日米側の対応に地元への真摯な誠意が見られない点を問題視している。

1.5世界自然遺産推薦地としての琉球諸島

 世界自然遺産の登録基準には、生態系と生物多様性などがある。琉球・山原では、生態系に関する基準よりも、稀少な生物多様性を重視した推薦が進められている。琉球の世界遺産登録が実現していない理由の一つには、基地問題のほかに、山原国立公園の設置が遅かったという事情もある。山原の保全に関しては、地域社会の一員として責任を担っている国頭・大宜味・東村の現地住民を中心にしつつ、地域外の人々も参加できる3村協議会の制度が設計されている(東アジア共同体研究所2019)

1.6「山原の世界自然遺産登録における課題」

 文化人類学者の吉川秀樹氏は、琉球諸島を世界自然遺産に登録する場合、どのような課題が発生しているかを、日本政府とユネスコの文書に基づいて、具体的に議論されている。特に山原においては、北部訓練場の存在が大きな課題であり、これを自然遺産と両立できるか、関係者でも見解が分かれている。自然遺産委員会は、2018(平成三十)年の「登録延期」勧告に際して、推薦地が狭面積の飛び地になっている事から、普遍的価値(生態系)と完全性の問題点を指摘した。また、北部訓練場の緩衝地帯としての役割や、辺野古との距離や外来種問題にも言及している。

 日本政府は2019(平成三十一・令和元)年に『推薦書』を再提出したが、返還地の土壌廃棄物問題、米軍訓練の環境への影響、自然遺産管理に対する防衛省・米軍の責任などを的確に明記すると共に、生物多様性モニタリング対象種を増やすべきであると、吉川氏は提言されている。なおシンポジウムの議論では、世界遺産を「自然遺産」と「文化遺産」に分離し続ける事への疑問や、両者の側面を併せ持つ「文化景観」に関して、学生・参加者から発言があった。

1.7大浦湾・辺野古崎

 山原の領域を、名護市を含む広義の範囲で捉えた場合、その南部に位置するのが、沖縄島珊瑚礁の一部を成す大浦湾・辺野古であり、儒艮(ジュゴンに象徴される生態系と、深刻な基地問題が議論されている。海洋学者Earle博士を中心とする米国Mission Blueが、世界的に貴重な約120箇所の海域を選定した「希望(Hope)の海(Spot)(生き物のホットスポット)のうち、日本初の事例として大浦湾・辺野古が認定された。認定理由の一つは、数千種の生物が棲む多様性であり、うち200以上が絶滅危惧種でもある。特に青珊瑚群集が発達しており、ジュゴンの棲息に最適な海域を形成している。海陸の生態系は一つのシステムになっており、我が国の海洋環境維持に重要な貢献を果たしている。もう一つの理由は、辺野古の新基地建設に関する問題であり、人間の生存の基本を成す多様な海洋生態系、失われれば復元不可能な自然環境の保全が指摘される(日本自然保護協会2019)

1.8「グラスボートから大浦湾の豊かさを観察しよう」

 南洋海底に育つ無脊椎動物の珊瑚(サンゴは、触手の本数に応じて分類され、七宝の一つとして宝石鉱物に用いられる八放珊瑚類と、珊瑚礁を形成する六放珊瑚類とに分けられる(八川シズエ2000)珊瑚礁の大半は六放珊瑚だが、琉球諸島などで見られる、藍青色の石灰質骨格を持つ青珊瑚は、八放珊瑚でありながら珊瑚礁外縁に成育する特徴を持ち、琉球海域でも遺伝子に多様性が見られる。台風による適度な撹乱が、珊瑚礁の多様性を維持している。

1.9『Zan ジュゴンが姿を見せるとき』

 ジュゴンの基礎知識や環境問題に関するドキュメンタリーが、日本自然保護協会(2017)らによって映画化されている。ジュゴンと呼ばれる海牛哺乳類との関わりは、約3500年前(縄文時代後期)にまで遡ると言われ、琉球王国の『オモロ草子』11巻でも、波浪を操る海の精霊として謡われている。人魚としての伝承が多く、石垣島民への恩返しに明和大津波(1771)を予言したり、捕食すると長寿をもたらすと信仰されたり、竜宮の語源になったとも考えられている。琉球王国のジュゴン捕獲規制は、沖縄県設置に伴う王国滅亡で撤廃され、戦後の食糧難などで乱獲され、天然記念物に指定されるも減少し続けた。かつては奄美~八重山まで広域に棲息していたが、現在は、沖縄防衛局が環境影響評価で確認した3頭など僅少であり、今や辺野古が残された「竜宮城」である。

 元来、海草が生育する浅海底は埋め立てられ易い水域であるが、大浦湾・辺野古もまた、普天間基地移設で開発の対象になり、軟弱地盤に滑走路の建設などが計画されている。山原の世界遺産登録を推進しながら、その自然環境に不可逆な損失を及ぼしかねない基地移設を強行する日本政府の矛盾が指摘されている。辺野古周辺では、全基地閉鎖を主張する急進派から、米軍との共生を摸索する条件付き容認まで、様々な意見が見られる。この問題に関しては、安全保障と自然環境保護の均衡をどう評価するか、国際関係における日琉米の外交などが問われていると考えられる。辺野古移設反対の著述活動に取り組む浦島悦子氏は、自然と結び付いたニライカナイ文化、安全保障のあり方に対する疑問、米国との共存(基地の存在)が一般化した世代の増加、政権と国民の意識、日本と琉球の関係などを問題提起された。

1.10「日本初のホープスポット・大浦湾に潜り、守る」

 琉球諸島の珊瑚礁を研究し、日本自然保護協会の活動に取り組む安部真理子(理学博士)は、大浦湾の自然環境と、辺野古の基地建設に関する諸問題を発信されている。大浦湾の生物多様性は世界レベルであり、20km2に5300種(うち絶滅危惧種262種)の海洋生物が棲息し、辺野古には沖縄島最大の海草藻場が広がる。その湿地は、ラムサール条約の基準を満たす潜在候補地でもある。珊瑚の周辺には、脆弱な自然の中に豊かな生物多様性を育む珊瑚礁生態系が形成される。近年、異常な海水温に起因する白化現象、増加した二酸化炭素が海水に溶け込む海洋酸性化など、珊瑚礁は様々な危機に直面している。特に辺野古の埋め立ては、珊瑚礁の環境に甚大な影響を及ぼす。

 埋め立てに関しては、環境影響評価(assessment)など情報公開の手続きが不透明であったり、県知事の意見が正反対に転向するなど、様々な問題点が指摘される。工事の影響で、ジュゴンが行方不明になった可能性も高い。大浦湾には軟弱地盤が広がっており、基地建設には膨大な土砂を用いた改良が必要である。埋め立て土砂を島内外で移動すると、生物地理区の越境に伴う外来種問題、琉球周辺の土壌環境悪化が懸念される。安部氏の議論は、大浦湾の地形がそもそも基地に適しておらず、移設による自然環境の損失が甚大である事を分かり易く要約されている。

1.11「ジュゴンを守る市民調査活動と自然の権利訴訟」

 社会の進歩に伴って、法的意思表示が困難な者にも人権が保障され、無生物である「法人」にも法律上の権利能力(法人格)が認められるようになった。そこで、人間以外の動植物などにも自然権を拡大し、裁判を受ける権利があると考えるのが「自然物の当事者適格(ストーン1972)という概念である。このような環境倫理的法哲学思想に基づき、開発によって被害を受ける自然環境を原告とし、それを保護しようとする個人・団体(利害関係者でなくとも良い)を後見人として、自然破壊に対して裁判を提訴するのが「自然の権利訴訟」である。

 我が国では1995(平成七)年、奄美大島の開発に対する訴訟があり、自然と人間の関係性(文化)を防衛する法的権利が主張された。そして2003(平成十五)年には、沖縄の辺野古移設工事に対して、ジュゴンを原告とする裁判(カリフォルニア州サンフランシスコ)が試みられた。ジュゴンの原告適格は認められなかったが、沖縄の個人と日米の団体は、基地建設が米国文化財保護法に違反すると主張した。裁判では、米国外の天然記念物に関わる基地にも、文化財保護法が有効に地域外適用される事は認められたが、日米政府の協定に基づく基地建設工事を、裁判所が中止を命ずる法的権限は無いと判決された。米軍基地は必要と考える人々も、可能であれば沖縄の自然を保全したいと望んでおり、辺野古問題は環境権(景観権)の保障と共に、持続可能な発展の象徴的なテーマであると鬼頭教授は指摘する。

1.12「ゆりあげ貝からみた沖縄の海岸自然環境」

 大浦湾瀬嵩浜に近い私設資料室「貝と言葉のミュージアム」の名和純氏は、大浦湾や中城(なかぐすく)(沖縄島南東)の海浜で貝類を採集し、自然環境の変化を調査されている。珊瑚礁海岸の浜には、珊瑚や有孔虫に由来する粗砂が堆積するが、大浦湾の瀬嵩前浜と、中城湾の与那原浜は、珊瑚礁の切れ口に当たり、堆積岩起源の真砂(まさごという細砂が堆積する。与那原浜には、泥岩に由来する真砂が堆積し、琉球諸島の中でも特筆すべき貝類が検出されていた。しかし1997(平成九)年以降の埋め立てにより、波浪が寄せて来なくなり、生態系と浄化力に富んでいた自然環境は、大幅に損なわれた。海岸の人工化は、県外では一通り完了したが、沖縄においては現在進行中の開発であり、名護市など各地の自然海岸が、人工砂の「養浜海岸」に改造されている。一見綺麗な砂浜のように見えても、それが本当に自然なのか人工なのか、生物と水分の有無で見極める必要がある。

 こうした中で大浦湾の瀬嵩前浜は、自然の真砂(砂岩)が残されている沖縄最後の砂浜として重要である。900種以上の貝類が検出され、今や大浦湾でしか見られないナミノコガイ(ベトナムから黒潮で北上した個体もある)などの絶滅危惧種も含まれている。そんな瀬嵩前浜にも大浦湾の埋め立て護岸工事が迫り、2018年にナミノコガイは一旦消滅した。しかし、自然環境には復元力があり、2020年の新型ウィルスで工事などの人間活動が停滞すると、再び瀬嵩前浜の生態系が回復し、ナミノコガイの生存も確認された。

 大浦湾などの海洋生態系は、環境変動を敏感に反映し、今ならまだ再生の余地がある事を示している。防潮堤などの水害対策に関しては、内地にも共通する課題であり、被害を受け易い水辺低地への集住は、可能な限り避ける事が望ましい。星槎大学の仲程信哉氏も、中城湾口の津堅島における「沖縄の貝と海の環境の研究」を発表された。二日間の実習は『琉球新報』(2020/10/23)に掲載された。

1.13学修を終えての感想

 私事ではあるが、民主党が普天間基地移設問題に取り組んでいた頃、筆者は國學院大学で学生運動に参画しながら、基地問題などに関しても議論していた。筆者は当時から、辺野古移設の必要性に疑問を覚えてはいたが、沖縄問題などで「反戦平和」を標榜する闘争の中に、急進的な言動で憎悪を煽る「新左翼」と呼ばれる極左共産主義派が関与している事に反発し、彼らと同じ陣営で運動する事はできないと考えた。例えば「日米安保破棄」などと絶叫する行為が、果たして基地負担軽減に繋がるのか、むしろ事態を悪化させるのではないかとも思う。また、合法的手段による問題解決が難しいからと言って、違法性を問われる実力行使に走るならば、対立する相手に同じ事をされたとしても、それを断罪する倫理性が失われてしまう。あるいは言論のレベルにおいても、過度の敵意を以て米軍を悪魔化するような言説は、国籍・職業への差別になりかねない。このような理由で私は、米軍基地反対運動に関して、各論には共感する部分もあるが、無条件に全て賛同する事はできないと思っている。
 しかしながら、そうした反対闘争のあり方がどうであれ、今回の実習を通して、辺野古移設には、確かに問題点が多いと再認識するに至った。大浦崎の地形は、基地建設に適しておらず、その土地改良は、島内外の自然環境に甚大な損失を及ぼす恐れがある。これは左党派や環境保護の立場だけでなく、先祖から相続した共同体の国土を愛し、守り、子々孫々に継承せんとする保守主義の立場からも検証されるべきである。安全保障は、国家と人間の権利防衛を目的とするが、守るべき国土には、自然環境などの景観も含まれるべきであり、安全保障が国土を破壊するような本末転倒は、可及的最小限に抑えなければならない。日本であれ琉球であれ、先人は壮大な自然の中に神を見出し、人と自然の遥かな交流が、国家と民族の経験・慣習・伝統・歴史を築いてきた。そうした保守的価値を重んずる人々こそ、環境保全を志向すべきではないか。「左派≒社会主義≒環境重視」⇔「右派≒資本主義≒開発重視」という構図に固執すべきではない。
 もう一つは、基地反対を公約した首長が、任期途中で立場を翻してしまう問題である。基地に限らず、このような政治が罷り通れば、民意の反映は困難になる。やはり「大阪都」のように、住民投票に拘束力を持たせる事が必要ではないか。米軍基地問題の場合は、沖縄県とその市町村、日米政府という複数の行政主体が当事者になっており、地方自治体や外国軍が関わる安全保障において、望ましい合意形成のバランスが問われる。例え米軍基地が本当に必要であったとしても、その建設には、充分な説明に基づく過程、適切な影響評価と対策が必要である事は、言う迄も無い。
 軍事が社会において持続不能に陥るか否かは、その運用によって決まる。軍が国民から信頼され、同盟が人種・民族を越える国際的な絆を紡ぎ、平和の実現に貢献するならば、一律に軍事を悪と見なすべきではない。我が国の場合は、自衛隊や米軍が事実上の災害救助部隊として機能している事情もある。自由主義国の公民は、民主政治を通して、自国の軍隊を正しく運用する責任を負っている。
 筆者は、不幸な戦争を防止するためにも、米軍基地などの抑止力はある程度、必要だと考えており、極左が主張する「日米安保破棄」などは現実性に欠け、責任ある言説ではないと思う。しかし、そうした空想的議論が通用するのであれば、筆者にも「妄想」の一つや二つを述べる権利はあろう。但し、これは問題解決を混乱させるための議論ではなく、琉球沖縄の過去・現在・未来に環境正義的な道理を通そうとした場合、その解に如何なる案が導かれるかの思考実験である。
 一つは、沖縄県民に米国民としての参政権を認める、具体的には沖縄諸島を米国の州に移管する案。荒唐無稽な極論に思われるかも知れないが、少なくない基地負担を余儀なくされている沖縄住民には、米軍をどう運用し、どこに基地を建設するか、最終的な権限を持つ大統領・連邦議会への公民権を有するべきと考えるのは、それほど不思議な事ではない。「代表なくして課税なし」とは、ほかでもない米国独立の理念である。但し、公用語として英語の習得が義務化されるなどの問題が予想される。
 もう一つは、琉球独立という選択肢である。平時の国家経営から、軍事同盟などの安全保障に至るまで、民族自決を原則とする国を築く。そもそも琉球王国は、江戸幕府・明治政府の軍事的圧力で併合されたのだから、独立論に全く歴史的根拠が無いわけではない。琉球と同じように、明国と朝貢を結び、近世日本から軍事侵攻を受け、明治時代に清の冊封から離脱し、大日本帝国に併合され、皇民化などの同化政策を受け、戦後米国に占領された大韓国(朝鮮)は、独立を達成した。最大の相違は、沖縄が日本復帰を望んだ事であるが、浦島悦子氏が仰るように、今の政治体制で改善を期待できない場合、住民の心が日本国家から離れる可能性はあり得るし、既にそうなりつつあると捉える事もできる。事情は異なるが、英国のヨーロッパ連合離脱、中国共産党に反発する香港・台湾の「独立」派など、政治不信が国家分裂を招く事例は各地に存在する。
 上記二つの案はどちらも、日本国政府という中間勢力の意向に左右される事なく、琉球沖縄と米国ないし米軍が極力直接的に議論できる体制を目指した仮想だが、その場合でも奄美諸島や尖閣諸島の帰属問題が予想される。無論、現時点では飽くまで妄想であり、実際には先述のように、住民投票の活用などが現実的であろう。そして、こうした制度とは別に、沖縄問題の重大な元凶になっているのは、意見や利害が対立する人々の一方または双方が、真剣に対話してこなかった事ではないか。筆者はどちらかと言えば、安全保障に関して保守的な意見を持つ立場ではあるが、だからこそ、反対する方々がなぜ反対するのか、当事者の主張を拝聴できた意義があると思う。
 過去なき現在は無く、現在と無縁の未来も存在し得ない。自己を認識し、他者を理解して共生を摸索する上で、歴史を学ぶ意義は大きい。そこで後篇では、東洋史・日本史における琉球諸島の歩みを概観したい。琉球王国に関しては、吉成直樹氏(2013)などを参照した。

2.1石器時代

 アジア大陸から北琉球・中琉球・南琉球が分離し、現代に至る琉球諸島の生態系が形成された更新世後期。沖縄島においては、那覇で日本最古の山下人(約3万2000年前)、八重瀬町 具志頭村で港川人(約1万8000年前)の化石人骨が出土しており、後期旧石器時代の文化が存在したと考えられる。完新世の縄文時代には、琉球・大和(とアイヌ?)共通の祖先である原日本人が生まれたと推定されている。港川人や縄文人のルーツとして、かつて東南アジアに浮上していた大陸棚「スンダランド」の存在を指摘する見解もある(古庄浩明2013等)

 ヒマラヤ・インドシナ・江南・台湾・琉球・韓国・西日本は、常緑広葉樹に適した温暖気候であり、焼畑農耕など共通の文化を育む土壌がある。しかも北太平洋には暖かい黒潮海流が存在するので、この地域の人々は、稲作などの文化を船で北上させる事ができる。このような考え方を民俗学では『海上の道(柳田国男)、文化地理学では「照葉樹林文化(佐々木高明)と呼ぶ(上野編2015)

2.2南島沖縄貝塚文化

 弥生時代は、原日本人を三つの民族に分化させた。日本列島の中でも特に海洋性が強い琉球諸島では、水稲耕作を中心とする弥生文化は内地ほど定着せず、貝類などを採集する南島文化(貝塚時代)が築かれた。人類学的に見ると、琉球民族は大和人とアイヌの中間に位置している(国立科学博物館2008)

 地名「琉球」の由来は漢語であり、唐の『隋書』(656)では、南西諸島(大琉球)または台湾(小琉球)を「流求」と表記している。7~8世紀初頭には、古琉球が大宰府(福岡県 太宰府市)を通して倭国・日本に朝貢した形跡が見られる(高村聰史2007)

2.3グスク時代・三山時代

 農耕や鉄器が普及した11~12世紀の琉球では、按司と呼ばれる首長が台頭し、グスク城塞を建築した。按司の中には九州長崎の倭寇など、日本内地からの和人移民も参加し、広くは「奄美・沖縄北部文化圏」の南下が関わっていると指摘される。『中山世鑑』(1650)では、1187(文治三)年に舜天王(源為朝の子)が、1260(文応元)年に英祖王が即位し、王朝を開かれたと伝わる。

 1314(正和三)年頃から沖縄島は、山北王の北山国、山南王の南山国、そして察度王統の中山国が分立する三山時代に突入し、大明国との朝貢・冊封外交も始まった(よって本来は中華皇帝の元号を用いるべきだが、日琉の比較交流に着目する本稿では、日本の年号を表記する)北山には今帰仁・国頭・名護・大浦湾などがあり、山原地方も含まれており、古来から自然豊かな国であったと思われる。中山には那覇首里・中城・勝連・宜野湾・嘉手納があり、南山は玉城・知念・具志頭・糸満・豊見城の辺りである。

2.4近世琉球王国

 南山の佐敷按司であった尚巴志が、中山国を征服、次いで北山を滅ぼし、1429(永享元)年に琉球王国を統一した(第一尚氏王統)。明国の海禁政策を逆手に利用し、アユタヤ朝シャム王国(サヤーム・タイ)など東南アジア貿易で大いに繁栄したが、1469(文明元)年に尚徳王が崩御し、翌年に尚円王(第二尚氏王統)が即位する王朝交代革命もあった。同年、明の市舶司が福州琉球館(福建省)を設置し、琉球の入貢を歓待した。

 16世紀に九州を制圧し、天下統一と朝鮮征伐を控えた豊臣政権は、琉球に対しても服属の圧力を掛けるようになる。琉球は対外戦の経験を持たず、ポルトガル王国のマラッカ(マレーシア)進出で経済的にも衰えつつあった。そして1609(慶長14)年、江戸幕府の許可を得た薩摩 鹿児島藩島津家久)が進駐し、琉球(尚寧王)は幕藩体制の勢力圏に入る。その際、奄美諸島を薩摩藩に割譲したので、琉球諸島は鹿児島県と沖縄県とに分割される事になる。支配下の中で自国のアイデンティティーを摸索した琉球は、三線などの芸能文化を開花させ、1623(元和九)年には琉球最初の文献史料である『オモロ草子おもろさうし』全巻が完成した。島津氏は(徳川氏も)源氏の末裔を自称していたので、琉球の祖を為朝と伝える開闢神話には、薩摩の琉球支配を支える役割もあった(日琉同祖論)。琉球神道では、硬玉翡翠や水晶で創られた勾玉の文化が発展したが、翡翠原石は越後 糸魚川(新潟)や古墳に由来し、日本から琉球に輸出されていたとも考えられている。

 明が大清国に交代し、日清両国に朝貢していた琉球だが、形式上は独立国として扱われた。黒船艦隊のペリー提督も1854(嘉永七)年、日米和親条約とは別個に米修好条約を結び、仏蘭もこれに続いた。

2.5大日本帝国

 明治維新に伴う1871(明治四)年の廃藩置県で、琉球は鹿児島県に編入されたが、翌年には沖縄諸島を琉球藩に、そして1879(明治十二)年に沖縄県が設置された。こうして琉球王国は日本国に併合され、最後の国王である尚泰王は、華族・侯爵に任命された。琉球・清国が併合に反対したので、米国のグラント元大統領(共和党)琉球帰属問題を交渉した。日清戦争が終わった1895(明治二十八)年、尖閣諸島が沖縄県に編入される。

 1945(昭和二十)年の沖縄戦では、20万人以上が亡くなり、県民の3割が犠牲になった。最大最後の決戦があった糸満市 摩文仁には、沖縄平和祈念像などの慰霊場が建てられている。太平洋戦争の評価と同様に、沖縄戦に対しても、歴史認識を巡る論争がある(勝岡寛次2008)

2.6琉球沖縄政府

 米国が南西諸島を統治する琉球沖縄政府は、デモクラシーを指導理念とする一方で、沖縄の軍事要塞化を進め、名護市 大浦崎(辺野古)には、沖縄戦で亡くなったSchwab一等兵に因む海兵隊基地が建設された。特にベトナム戦争の前線基地になり、辺野古弾薬庫には核兵器が持ち込まれていた。一方で、米軍の廃瓶をリサイクルした琉球硝子などの新文化も生まれた。1953(昭和二十八)年に奄美諸島、1972(昭和四十七)年には沖縄県が日本国に復帰したが、米軍基地は存続した。辺野古地区の住民は、地域経済振興を条件に新基地移設を容認し、将来的な「辺野古ニュータウン」案も議論された。沖縄戦で陥落した首里城は、2019年の火災で再び全焼し、星槎国際学園グループも再建支援プロジェクトに参加している。

 このように琉球諸島は、多くの国々と交流し、日米の統治を体験しながら、独自の「琉球文化圏」を形成してきた。それを理解・尊重する事が、琉球沖縄との共生において大切である。その具体例として、本稿の最後に「久高島の民俗」を考察したい。

参考文献

 朝倉書店『地理学基礎シリーズ』の書式を参考に、五十音順で記す。全てのURLアドレスは、2020/12/17に最終アクセスした。

◇ 上野和彦・椿真智子・中村康子『地理学基礎シリーズ1 地理学概論 第2版(朝倉書店2015)


◇ 鏡リュウジ『はじめてのタロット(ホーム社2003)


◇ 勝岡寛次『沖縄戦集団自決 虚構の「軍命令」(明成社2008)


◇ 勝俣隆『星座で読み解く日本神話(大修館書店2000)


◇ 鎌田東二「平安京生態智と癒し空間の比較研究(京都大学こころの未来研究センター『こころの未来 第5号』2010)


◇ 鬼頭秀一『自然保護を問いなおす 環境倫理とネットワーク(筑摩書房1996)


◇ 黒田茂夫『グローバルマップ 世界&日本地図帳(昭文社2020)


◇ 国立科学博物館『日本列島の自然と私たち 人類と自然の共存をめざして(独立行政法人2008)


◇ 佐々木宏幹『聖と呪力の人類学(講談社1996)


◇ 坪内俊憲・保屋野初子・鬼頭秀一『共生科学概説 人と自然が共生する未来を創る(星槎大学出版会2018)


◇ 豊田武『日本史概説(法政大学通信教育部1975)


◇ 野口鐡郎・田中文雄『道教の神々と祭り(大修館書店2004)


◇ 深谷克己『日本の歴史6 江戸時代(岩波書店2000)


◇ 古庄浩明『「日本」のはじまり 考古学から見た原始・古代(和出版2013)


◇ 矢ケ﨑典隆・加賀美雅弘・牛垣雄矢『地理学基礎シリーズ3 地誌学概論 第2版(朝倉書店2020)


◇ 八川シズエ『鉱物図鑑 パワーストーン百科全書331(中央アート出版社2000)


◇ 吉田敏弘『絵図と景観が語る骨寺村の歴史(本の森2008)


◇ 吉成直樹『琉球王国がわかる!(成美堂出版2013)

講義ノート

⇒ 宇都宮美生「東洋史概説」(法政大学通信教育部2017秋期)


⇒ 高村聰史「日本史概論Ⅰ 海洋と日本(國學院大学文学部史学科2007前期)


⇒ 高村聰史「日本史概論Ⅱ 海洋と日本(國學院大学文学部史学科2007後期)


⇒ 中西正幸「神道と文化34 国学の系譜とその思想(國學院大学神道文化学部2007後期)


⇒ 保屋野初子・鬼頭秀一「地球環境共生演習2(自然環境共生実験・実習)沖縄やんばる地域フィールドワーク(星槎大学共生科学専攻2020)


⇒ 吉成直樹・福寛美「基礎特講 民俗学」(法政大学通信教育部2014前期)

映像

◆ オキナワイキモノラボ『沖縄の自然 海』(2017/07/13)


◆ 沖縄協会『沖縄 歴史☆Okinawa History』(2012/10/03)


◆ 沖縄県『さぁ、世界へ 世界自然遺産PR動画 やんばる編(2017/04/10)


◆ 環境省『「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」の世界遺産としての価値(2017/11/14)


◆ 謝名元慶福『いのちの森 高江』(「命の森 高江」制作委員会2016)


◆ 豊見城市歴史民俗資料展示室『語り継ぐ受け継ぐ豊見城の戦争記憶 総集編 短縮版』(2019/04/07)


◆ 日本自然保護協会『日本初のホープスポットに認定された辺野古・大浦湾へのメッセージfrom Dr. Earle』(2019/10/23)


◆ 東アジア共同体研究所『世界遺産候補 奇跡の森やんばる』(2019/05/13)


◆ リック グレハン『Zan ジュゴンが姿を見せるとき』(日本自然保護協会2017)


◆ 『証言ドキュメント辺野古 こうして基地の街ができた・基地移設に翻弄された20年』(日本放送協会2019)


◆ 『標的の村 国に訴えられた沖縄・高江の住民たち』(琉球朝日放送2012)

2020/12/19

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登場人物紹介

 地球研究会は、國學院高等学校地学部を母体とし、その部長を務めた卒業生らによって、2007(平成十九)年に「地球研究機構・國學院大学地球研究会」として創立された。

國學院大学においては、博物館見学や展示会、年2回(前期・後期)の会報誌制作など積極的な活動に尽力すると共に、従来の学生自治会を改革するべく、志を同じくする東方研究会政治研究会と連合して「自由学生会議」を結成していた。


 主たる参加者が國學院大学を卒業・離籍した後も、法政大学星槎大学など様々な舞台を踏破しながら、探究を継続している。

ここ「NOVEL DAYS」では、同人サークル「スライダーの会」が、地球研究会の投稿アカウントを兼任している。

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