第6話

文字数 3,367文字

   ☆


 とぼとぼと、理科は歩く。みっしーを背中におぶりながら、歩く。歓楽街からはずれ、菊屋荘のある裏路地に入る。人は誰も歩いていない。
 理科が空を見上げる。月はただ、二人を傍観しているだけだし、星々はただ、自分のために光っているだけだった。
「……理科~」
 みっしーが、みにゃむにゃと喋る。どうやら、起きたらしい。しかしその声は虚ろだ。
「理科は、なんでこの過多萩市に来たのですか~……」
「ん? んー」
「絵の勉強に来たとかいうご託はまっぴらごめんです」
「…………」
「……理科の、二人目の妹が、この町で死んだから、……ですか」
「な、なんで、あんた……」
「だとしたら、陳腐な理由です」
 みっしーの声はしかし、内容に比して、寝言のような口調ではある。
「ボクが死神だというコトを、忘れてはいけないです。ボクは『縁切り』の死神。『関係性の死』を司る、死神なのです。忘れてると思うから言っておくですが……」
 理科は、立ち止まる。みっしーは虚ろな声のまま、さらりと言う。「ボクは、理科、あなたの、…………敵です」
 理科の背中のみっしーはその言葉の後、沈黙した。理科がその場で立ち止まっていてしばらくすると、また寝息が聞こえてきた。
「みっしー、あなたは……」
 理科は、それでけ言うと、口ごもった。口ごもるしか、なかった。
 理科はまた、みっしーをおぶったまま、歩き出した。田山姉妹と居候のみっしーが住む菊屋荘は、もうすぐそこだ。


   ☆


 日本茶を飲みながら、ちはるはスケッチブックに向かっている理科に言う。
「でね、私のトコの店長って、筆王の弟子だったんだって」
「ふ~ん」
 ここでも『筆王』か、と思う。
 久しぶりに描くデッサンが、異様に歪む。気が散漫になりすぎだ。ダメだな、私。弱いわ、精神的に。
「店長が言うにはね、この町に住んでる人のほとんどは絵画に関係があるか、昔関係があった人なんだって」
 理科はちはるの話に、相づちを打つ。描いてるのは静物画。林檎とバナナだ。その選定に、意味はない。
「店長は『キュレーター』を目指してたんだって」
 キュレーターと来たか。
『キュレーター』というのは、辞書的な意味合いにおいては『学芸員』のコトである。が、現在の美術業界においては、学芸員、すなわち美術作品の保存管理、研究調査、展示を行うという役割の他に、『展覧会企画』を行うのも『キュレーター』と呼ばれるのである。どちらかというと普通キュレーターと言った場合、後者を指すコトが多い。現在においては美術館付きのミュージアム・キュレーターの他にフリーランスのキュレーターも多くいて、群雄割拠しているというわけだ。
「なんでもその筆王って人、この町一番のキュレーターらしいの。今も活躍してるんだって。……聞いてる、お姉ちゃん?」
「ん? ああ、聞いてる。キュレーターね、キュレーター」
 聞いてはいるが、頭の中は回転し、違うところへいっていた。この町『芸術復興都市・過多萩市』そのものについて、思いを巡らしてしまっていた。統治するのは、その『筆王』なのか。
 理科が考えていると、ちはるはあくびを一つ。
「私、もう寝るね、お姉ちゃん」
「うん、そうしなよ。明日もバイトでしょ。みっしーは?」
「部屋にいると思うけど、もう寝てるわ」
「そっか」
「明日の朝も、パイナップルサンドでいいかな」
「もちろん」
「じゃ、おやすみ。お姉ちゃん、愛してる」
「私も愛してるわよ、ちはる」
 ちはるは小さい身体でウィンクして、自分の部屋に戻っていく。
 理科は、デッサンを続ける。
 巡らす思いに、なんの思想もなく、理科は無思想で思考しつつデッサンを続ける。
 デッサンなんて久しぶりだ。ここのところずっと、牛乳の描くまんがのベタ塗りやトーン貼り、そして自分が出すイラスト集に載せる簡単なドローイングを描いていただけだから。ホント久しぶり。
 牛乳の描くまんがはいわゆるBL(ボーイズラブ)と呼ばれるもので、美形の男子同士がいちゃついている、そういうまんがだ。そういう世界があるとういうコトは知っていたがまさか自分がそれに関わるコトになるとは思いもしなかった。理科は思う。無思想。ボーイズラブも、だから、アリだ。
 描いていた林檎とバナナの静物画が完成したところで、スケッチブックを次のページへ。
 次のページへは、サンリオやディズニーのような筆致で、同じく林檎とバナナを描き出す。
 絵画はホント、私に熱さをくれる。この熱さを保ったまま、私はどこまでいけるか。
 ひょいひょいとフリーハンドで描くファンシーなドローイング。
 デフォルメされた林檎を描き終えたところで、理科は胸をこみ上げる強烈な痛みと、吐き気に見舞われる。
 痛っ!
 鈍痛。
 またか。
 またこれか。
 畜生、こんな時に。
 理科は咳き込んだ。咳き込んでうずくまったところで、胃、いや、肺からだ。そう、肺から。中身がこみ上げてくる感覚に苛まれた。理科は目をつぶる。目をつぶりながら、吐く。
 吐き出す。吐き出たものは。
 血、である。
 畜生!
 なんで。私は。くそっ!
 理科は恐る恐る目を開ける。目を開けると、スケッチブックの今描いていたページに、少量の血が付いていた。
 一旦、吐き気が収まるのを待つ。
 待っていると、隣のふすまが開いた。理科は慌ててスケッチブックを閉じ、口に付いた血を床に置いてあったボックステッシュで拭う。幸い、血は畳には付着していないようだ。
 理科は平常を繕う。
「理科~、まだ起きてたのですかぁ」
 目をこすりながら、ガチャピンの身体を模したパジャマの姿でみっしーがゆらゆら現れた。理科は、普通を装い、訊く。
「どうしたの、みっしー」
「おトイレです」
「あ、そう」
 理科は安堵する。みっしーは理科の方を見向きもしない。本当に、トイレに行くために来ただけらしい。みっしーはトイレに入る。それを見やり、深呼吸してから理科は血の付いたテッシュを丸めて、ポケットに入れる。スケッチブックを開き、違うテッシュでページの血も拭く。これも丸めてポケットへ。これらのテッシュは、あとでトイレに流せばおーけいだ。焦るコトない。
 気づかれないように。
 このコトは、バレないように。
 私の命の残り時間は、私だけが予測してわかっていれば、それでいい。
 ちはるは成人式を迎えたんだ。もう大人なんだ。だから、もし。
 もし、私が近い将来、いなくなったとしたって。大丈夫。あの子は私よりしっかりしてるんだから。
 トイレの水を流す音が聞こえ、みっしーがトイレから出てくる。「理科~、あなたも早く寝た方がいいですよ」とかなんとか言ったあと、「おやすみです」と言い残し、みっしーは寝室へのふすまを開けて、その中へと戻っていく。
 ふすまが閉まる。理科はそこまでのみっしーの動作をじっと見つめていたが、特にみっしーはなにも気づかなかったらしい。
 ああ、よかった。
 理科は、台所まで行き蛇口をひねり、コップで水を飲む。大量に飲む。
「大丈夫。私にはまだ、時間が残されてる、……はず」
 理科は、自分に言い聞かせるように、呟いた。
 理科は回想する。昨日までのストーリーを。大きい病院の理事長の家に生まれ、英才教育で育ったコト。妹が二人いたコト。そのうちの一人は交通事故で、過多萩市獣王町を走る国道で、幼くして死んだコト。医大に入学したコト。父との不和、そして医大を中途退学したコトを。
 ガッコウを退学して、もう二年。となると喀血が始まってからも、もう二年というコトか。私は、あと保って一、二年といったところか。上等だわ。一花咲かそうじゃないの、大好きな絵を描いて。私は、そのためにこの町へ来たんだもの。それは決して、二人目の妹がこの町で死んだからなんかじゃ、ない。そう、違うわ。
 理科は、そんなコトを呟きながら、こたつでスケッチブックに向かいながら、泣いた。誰も見るコトのない、一人だけの空間で、理科は思い切り泣いたのであった。
 隣の部屋でみっしーが、布団の中で目をつぶりながら自分の嗚咽に耳を傾けているなんて思いもせずに。

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登場人物紹介

田山理科:ちはるの姉。絵描き。戦う武器はペインティングナイフ。

田山ちはる:田山理科の妹。優しいけど怒ると怖い一面も。自分の姉の理科のことが好き。

みっしー:死神少女。田山姉妹の住んでる部屋で居候をしている。武器は縁切りの大鎌〈ハネムーン・スライサー〉。ハネムーン中に離婚させるほどの威力を持つ。大鎌は刃物なので、普通に危ない武器。

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