第9話

文字数 4,150文字

   ☆


 バラ屋敷を抜けた牛乳、理科、みっしー、犬子の四人は『島』の駅から電車に乗る。向かうは木戸商店街のある獣王駅だ。
 犬子と一緒なので不平不満を漏らすみっしーは、理科に小突かれて、家で留守番をしているちはるに電話をかける。理科のケータイで、だ。なぜ理科が電話しないでみっしーかというと、理科が電話をかければちはるがワガママを言うかもしれないからだ。ここは、いつも勢い任せのみっしーに頼んだ方がいいと、理科は踏んだ。
 電車の中の通話というのはいけないコトだが、この中でそれに気づく人間は誰としていない。
 通話を終えると、みっしーは理科にケータイを返す。
「ちはるはやっぱり良い子です。可愛いです。食べちゃいたいくらいです。私の分も楽しんできてね、と言ってましたですよ? このバカ姉は今日もちはるの可愛さに気づかず、牛乳と乳繰り合って、まあ、いやらしい! ですよ」
「誰が乳繰り合ってるだって?」
「いやん、こういうコトよん」
 牛乳が理科の脇腹をくすぐる。理科は「ひゃっ!」と言って飛び跳ねた。
 みっしーは「あー、このバカ姉とはいつか殺(や)り合わねばならないですね」と横目で見る。犬子は黙ってそれを見る。ほほえましくも奇異な集団であった。
 四人は獣王駅に着く。そこからは徒歩で、商店街に向かう。
 商店街から菊屋横町に入り、横町入り口に着いたところで、どこへ向かうのかと理科が尋ねると牛乳は「とんかつしゅーちゃん、よ」と答えた。
「酒だけでなくとんかつも食えるなんてしあわせです!」
 そう言うみっしーはちはるのコトなんてもう頭の中になさそうね、と理科は思った。
 歩きながら理科は牛乳に尋ねる。
「ねえ、牛乳。『アール・ブリュット』ってなに?」
「ああ、まひるの言ってたアレねん」
 菊屋横町の怪しいネオンを眺めながら、牛乳は回答する。
「アール・ブリュットってのは、『生(き)の芸術』を指すフランス語よん。英語ではアウトサイダー・アートと呼ばれるわん」
「ああ……」
「聞いたコト、あるでしょ。そもそもアウトサイダー・アートっていうのは正規の美術教育を受けていない人間がつくる美術作品を指したし、今もそういう用法で使われる言葉でもあるわ。でも、普通アウトサイダー・アートって呼ぶ場合、それは精神障害者のつくる美術作品を指すわね」
「なるほど」
 理科は思う。まさか医者を目指していた私が患者の描く絵と同じって見なされるなんてね、と。
 ……でも、それもまた良いわね。
「アール・ブリュットに特徴的なのは、その執着心」
「執着心?」
「そうよん。『圧力』と言い換えてもいいわねん。偏執的なのよ、彼らの絵は。それを思うと確かに、理科のイラストの細部も、かなり偏執的かもねん」
 なるほど、そういうもんなのかな、と理科は思う。
 理科も美術教育は受けていない。だから稚拙な絵なのであるが、だからこそ理科は細部、ディテールにこだわる。色彩にもこだわる。構成で他人に勝とうとする。つまり、そういうコトなのだろう。理科は自分の分析で納得したのであった。
「おっと、着いたわねん」
 理科が二度目に来た、『とんかつしゅーちゃん』、すめろぎしゅーこの経営する、牛乳とはじめて出会った場所である。

 
 乾杯する以前に、ジャンボとんかつ定食をフライング承知で食いながら、みっしーはご満悦のようであった。傍らにはコップに並々と注がれた日本酒。日本酒は四人全員に配られている。
 冷やの日本酒のコップをみんなで一斉に上に掲げ、乾杯をして宴は始まった。みっしーはとんかつを口に含みながら「かんぱ~いです」とか言うものだから、咀嚼したとんかつの飛沫がカウンター席に飛び散る。
 乾杯後。みっしーの日本酒を飲むスピードは速かった。店主すめろぎしゅーこは心配そうにみっしーを見やるが、みっしー自身はその視線に気づかない。
「理科。この際だから牛乳に質問でもぶつけるです。そして説教を喰らうがいいです。説教を喰らってしまえばいいのです」
 みっしーは、宴が始まった直後、すでに酔っ払いのような感じになっていた。実は酒に弱いのだろうか、と理科は思った。
「そうね、質問。牛乳、『筆王』って何者?」
 牛乳は頬杖しながら理科にレクチャーする。頬杖のポーズがどこか扇情的だ。主に胸の谷間を強調させているから扇情的なのである。それはもちろん、これは理科を『誘っている』のであるのだが、残念ながら理科は全く気づかない。
「筆王ねん。知らないの、理科。この街に住んでる人はみんなその存在になんらかのカタチで関わっているのよん? なにしろここは『芸術復興都市』である過多萩市、だからねん」
「どういうコト?」
「この街の陰の支配者、と言える存在なのよん。過多萩の芸術家は、筆王に気に入られるか否かで、そのポジションが決まるからねん。あの人は、この過多萩市のキュレーターのトップ、なのよん」
「また、キュレーターの話か……」
「そう。モンゴメリ立花さんも筆王の弟子。だから『金太フェス』を教えてくれたんじゃないのん。金太フェスは、筆王の発案したアートフェスよん。そこには、巨万の富が動く。この街のアートで金が動くところには、必ずといっていいほど、筆王の力があるのよ。彼が、この芸術都市の芸術を司っているのん。今日の同人誌即売会も、筆王発案よん」
「げっ、即売会なんていう、そんな細かいところまでに支配力持ってるんだ、こっわ!」
 理科が同意を求めようとみっしーを見ると、みっしーはとんかつを食べる手を止めていた。その顔は不機嫌そうだ。
「ボク、ちょっとトイレに行って来るです」
「トイレは奥ですよ」
「知ってるです、しゅーこ。そこまで酔っ払ってないで……す、ごわっふ!」
 思い切り壁に頭をぶつけるみっしー。どうやら、酔ってふらふらしているらしい。
 そしてそのままお手洗いへと消えるのであった。みっしーがドアの奥へと消えるのを確認してから、牛乳の話は続いた。
「筆王。元はアーティストだったのよ。でも、彼はアーティストにしては、あまりにも金に敏感すぎた。だから、フリーのキュレーター、そして美術評論家として、この街のアーティストの情報の操作をしだしたのよん。それが、当たって当たって、今の地位を築いた。実力もあるし、運も味方に出来る人だったのねん。羨ましい話」
「ふ~ん」
 理科は日本酒を一口飲む。結構おいしい酒だ。
「筆王は美術家だった頃、全身の毛の、髪の毛も眉毛もヒゲも脇毛もすね毛も左側だけを全部切り落として、半分だけ切ったから『半刈り』として、半刈りだからハンガリーに行く、というパフォーマンスをしたコトで有名ね。今では伝説になってるわん」
「は? はぁ……」
「いや、これ、重要なポイントよん。筆王はパフォーマンス系に弱いのん。だから、金太フェスも、たぶん上位入賞を狙ってる奴らはみんなパフォーマンス勝負をしてくるってコトなのよん」
「う、しち、ち。ちょっとい、いか」
 そこで、今までちびちび日本酒を飲んでいた猫部犬子が会話に加わる。
「き、んたふぇ、すとはな、んだ」
「あら、我がライバルん、知らないのん? アートフェス及び大会よ、バトルよん」
「ばと、る? ころしあ、いか?」
「まあ、ある意味殺し合いねん。己の信念のぶつかり合いよん。あなたもでなさいな。私はまんが一本だから出ないけど、犬子はハイアートもいける口でしょん?」
「ま、あな」
 犬子の顔が喜びに満ちる。嬉しかったらしい。
「参加方法はネットかなんかで調べなさいなん。あ、『島』にはフライヤーたくさん貼ってあるけどねん。開催場所が島の『過多萩学園』だから」
「わ、かった」
 ネットかぁ、と理科は思う。自分はデジタルアートがやりたいとかアート系のSNSがやりたいとは思わないものの、ちはるはインターネットをやりたそうにしているし、仕事先を見つけたら給料でどうにかするのもいいわね。
 理科はそこで自分がまだバイトすら決まってないのを思いだし、ちょっと落胆した。そういや即売会のコトで最近忘れてたわ。
 しばらくするとみっしーがカウンター席に戻ってきた。
「筆なんとかとかいう胡散臭い人物の話は終了しましたですか」
「終わったわよん。みっしーは筆王、嫌いなのん?」
「そんなおっさん、知らないです!」
「まあ、いいわん。ここからは楽しいトークをしましょうよん」

 四人の宴は、夜十一時まで続く。途中、とんかつしゅーちゃんには他の客も現れたが、クローズの時間まで残っていたのは四人だけであった。
「私は、私わ~ん、いつか商業誌で連載を持つのが夢なのよん! こうやって同人誌描いて暮らすのもいいけど、ランパブの仕事はとっとと辞めたいのん。辞めたいけど、給料が良すぎて離れられなの~ん! うえ~ん」
 泣きじゃくる牛乳。どうやら泣き上戸らしい。牛乳はそれから尊敬するやおい漫画家の蔵王大志について熱く語るが、どんどんトークより泣く時の嗚咽の方が大きくなる。
「ファームのボムだって好き。私の描くピースを気に入ってくれてる人だって、たくさんいるんだからあああぁぁぁん、あんあんあん……」
 理科は『ファーム』という単語に反応するが、牛乳は泣いていてファームとはなにかを訊くコトが出来ない。
 一方、犬子とみっしーは気が合ったらしく、さっきから小突き合いをしながら会話をしている。話の内容は歴代プリキュアの中ではどのシーズンが一番だったか、という内容だったが、理科にはなんのコトかさっぱりわからない。
 もう十一時、帰らないと。ちはる、もしかしたら寝ないで待ってたりとか、……ああ、してるだろうなぁ。
 理科はしゅーこが閉店を告げたので、会計を済ませた。集金は、後日。酒代を出すくらいなら、どうにか私の財布で大丈夫。
 そして帰路。理科はへべれけのみっしーをおんぶして帰るコトになった。泣きじゃくる牛乳と初代プリキュアについて誰も聞いてないのに語りまくる犬子は、帰る方向が同じらしく、会話が噛み合わないまま理科と違う方角に帰っていくのであった。

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登場人物紹介

田山理科:ちはるの姉。絵描き。戦う武器はペインティングナイフ。

田山ちはる:田山理科の妹。優しいけど怒ると怖い一面も。自分の姉の理科のことが好き。

みっしー:死神少女。田山姉妹の住んでる部屋で居候をしている。武器は縁切りの大鎌〈ハネムーン・スライサー〉。ハネムーン中に離婚させるほどの威力を持つ。大鎌は刃物なので、普通に危ない武器。

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