第14話

文字数 2,555文字

   ☆


 日和とバツ子を間近で目撃し、胸の前で手を合わせ、深いため息を漏らすちはる。メガネの奥のその瞳の中は星屑の輝きで満ちており、その瞳を見る理科は自分の妹とは知りつつも、胸の高鳴りを抑えるコトが出来なかった。
 激可愛い……。
 夢見る少女が、ここにはいる。理科はその姿を愛おしく思うのだった。
「やっぱり日和は格好いいね、お姉ちゃん」
「ん? 格好いい? 可愛いじゃなくて?」
 理科たちは今、テレビの収録の見物客たちの中に入っていって、ほぼ最前列にいる。理科が人垣を掻き分けて無理矢理最前列まで来たのだ。周りの人たちはみな分別のある人たちだったと言える。なぜなら押し入っても文句は言われなかったからである。まあ、睨まれはしたが。
「私にとってはね、お姉ちゃん。日和は理想の人物なの。日和は小学生だけど、立派に、元気に、いつも笑顔で、ハキハキした声で、ラジオやテレビに出演してて。背は私と同じくらい小さいけど、存在感は大きすぎるんだもの。格好いいよ、すごく。憧れの人、……かな」
 ちはるはそこまで言うと、「てへっ」と舌を出しておどけた。やっぱり愛しいのは我が妹、などと理科は思った。
 で。
 周りを見回すと、いつものようにみっしーがいない。遠くの方を見ると、番組スタッフとみっしーが乱闘というか、押し問答をしていた。予想済みの行動である。

「離すです! その手をどけろです! 入れるです! カメラにボクを映すです!」
「ダメだよ、キミ! 許可は取ってないんだろ」
「うるさい、黙れこのすだれハゲ! ボクを番組に出演させるです!」
「ダメだって言ってるのがわからないのかね!」
「モーモールルギャバンのキーボーディスト、ユコ・カティと匹敵すると噂される蠱惑的なルックスを備えたこのボクが番組に出演すれば、視聴率うなぎ登り間違いなしです! そこは太鼓判押せるですよ? そして多額の出演料がボクに支払われて、ウッハウハなのです! いや、もしくはアカシモモカのように地域密着型アイドルとして……」
「キミ、邪魔だから帰れって言ってるだろ! おい、警備員、なにしてるんだ! 早くこいつをどこかに連れていけ!」
「黙れっつてんですよ、クソハゲ!」
「い、痛っ! おい、やめろ! やめろ、ひとの髪の毛を引っ張るのは!」
「邪魔なのはボクではなくこの申し訳程度にしか生えてないすだれ髪です! とっととツルッパゲになるのが良いです!」
「うぎゃー!」


   ☆


「さて、いちごと牛乳を加え、ゴムべらで全体を混ぜたあとの話よ」
 巨体を揺らしながらバツ子が話を台本通り展開させる。
「うん、そうだね……」
 相づちを打つコトが役割である日和は震える声で、小さく言う。その姿はうつむきがちで、さっきまでのいつもの日和の元気さとは対照的だ。
「こね台に打ち粉、これは最初に言ったように強力粉または薄力粉でも良いんだけど、これを多めに振って、生地を取り出す」
 日和はバツ子の解説通りに、薄力粉とベーキングパウダーを混ぜてつくった生地を掴みながら、作業を続ける。しかしその手は震えている。
「手に打ち粉をつけながら、生地の表面にも打ち粉を振り、三センチくらいの楕円形に伸ばす」
「…………」
 日和は手に生地を持ちながら、そのまま動かない。
「日和?」
 日和はバツ子に呼ばれ、はっと息を呑む。
「伸ばすのよ」
「ん、……うん」
「ちょっとタイム!」
 バツ子は大きな身体を使い大きなバッテンのジェスチャーでカメラマンに指示を飛ばす。収録が一時ストップする。日和は生地をボウルに戻す。
「どうしたのよ、日和」
「ど、どうもしてないよっ!」
「じゃあ、また再開するわよ」
「……うん」
「ひ、日和?」
 日和はその場でうずくまり、泣き出してしまった。手で顔を押さえているが、涙が流れているのは誰の目にも明らかだった。
「わ、私っ! ……もう番組なんて出来ないよっ!」
 泣きじゃくりながら、日和は震える声で叫ぶ。
 バツ子が日和に手を伸ばすと、その手を払いのける。
 消え入る声で日和は「もう、みんな嫌い」と言う。だが、その声は誰にも聞こえない。
 日和は立ち上がる。
 そしてダッシュでその場を抜け出した。
「日和、待って!!」
 バツ子の声は日和には届かない。日和は駆け出し、人垣をすり抜けて、遠くへと行ってしまった。
 バツ子とスタッフは、突然のコトで対処出来ない。
 観客も含め、みながその場でしばらくの間、立ち尽くしたのであった。


   ☆


 ママも嫌い。
 パパも嫌い。
 私は世界に呪詛を吐きながら、今日もせっせと大嫌いな両親の虚栄心のために働く。
 この仕事自体が嫌いなわけじゃない。むしろ好きっ。でもこの「好き」はきっと、両親が私を規律訓練してつくりだした、ただの「妄想」だから……。だから私が本当にこの仕事が好きなのか、わからないのっ。


 日和は泣く。泣きながら走る。商店街を抜ける。日和が思うところの『規律訓練』が可能にした、小学生離れした言葉遣いで思考しながら、アタマの中が沸騰するような感覚に苛まれながら、日和は走った。


 パパもママもショービジネスの悪魔に取り憑かれているのっ! でも、それって私も? そうかもしれないっ。ショービズの悪魔は私の心も身体も蝕んでいる。もはや芸能の世界から追放されたら生きていく術を知らない迷い子。まるで中毒者。そして中毒者は、更なる刺激を求め出すのっ。それまでの刺激では満足出来ず、禁断症状だけがリアルになる。このリアルに心身が耐えられないで、もっと泥沼にハマっていく……。


 日和は走る。その足の向かう場所には迷いがない。木戸商店街を抜けた足は北へと向かう。まっすぐ北へ。後ろは振り返らない。いや、後ろを振り返る必要なんてない。どうせ誰も追って来ない。わかってる。芸能人としての私の賞味期限なんて、もうすぐなんだから!
 もうすぐ、私の姿に誰も見向きもしなくなる……。エンジェル様っ! 私、どうしたらいいのですか……?

 日和が向かう先、そこは過多萩市の最北端、過多萩山の麓にある『雀孫神社(じゃくそんじんじゃ)』であった。

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登場人物紹介

田山理科:ちはるの姉。絵描き。戦う武器はペインティングナイフ。

田山ちはる:田山理科の妹。優しいけど怒ると怖い一面も。自分の姉の理科のことが好き。

みっしー:死神少女。田山姉妹の住んでる部屋で居候をしている。武器は縁切りの大鎌〈ハネムーン・スライサー〉。ハネムーン中に離婚させるほどの威力を持つ。大鎌は刃物なので、普通に危ない武器。

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