第2話

文字数 6,729文字

   ☆


 小学生のように背の低いちはるが小動物さながらに走り、木造二階建てアパート『菊屋荘』の階段を登る。それを見やりながら理科はスーパーの買い物袋を持ちながら、あとに続く。
 スラム街、否、スラム横町である菊屋横町にある、菊屋荘が、理科ちはるの田山姉妹が住む場所である。田山姉妹だけではなく、居候も一人、住み着いているのではあるが。
 二階の一部屋のドアには『たやマップ』と表札にならない表札のプレートがかかっている。部屋番号を書いたプレートは、はがれ落ちてしまっている。なにが『たやマップ』なのかはわからないが、こういう意味不明なコトをするのが、田山家の居候の趣味なのである。全く、センスを疑うわ、と表札を見て、理科は改めて思った。
 ちはるがドアノブを回すと、鍵をかけてなかったらしくドアがすぐに開いた。靴を脱ぎ捨てるようにしてちはるは部屋に入る。遅れて理科も入る。
「帰ってきたですか、ちはる」
「もー、みっしーは! 鍵をかけないとダメじゃない」
「たりぃーです」
「面倒くさがっちゃ、ダメ!」
「むぅ。ちはるが言うなら今後気をつけるですよ」
 理科が話に割って入る。
「あんた、いつも同じコト言っておきながら鍵閉めないじゃん」
「いつもは理科の命令です。理科の命令は却下です」
「命令っつーか、常識でしょ」
「理科はいつもそうです。命令ばかりです。『ガンガン行こうぜ』とか『魔法を使うな』とか」
「いや、それ私がドラクエやってる時の話だろ」
「『ガンガン脱ごうぜ』とか」
「いや、ガンガン脱いだりしないから」
「ボクを毎日脱がしておきながらその言いぐさは酷いです!」
「えっ! そうなの、お姉ちゃん!」
「違うから」
「ボクの身体をもてあそびながら、知らないフリですか?」
「お姉ちゃんッッッッ!」
「ちっがーう!」
 まあ、冗談はもういいからさ、と理科は話を打ち切る。
 今日、ちはると理科が待ち合わせしたのは、スーパーに寄って買い物を一緒にするためであった。明日はちはるの成人式。なにも明日イベントがあるって時に今日の料理のコトなんて考えなくてもいいのに、と理科は思ったが、そういうところ、ちはるは頑固なので、自分はサポートに回るコトにしたのだ。だから、料理をつくるのはちはるに任せるが、スーパーで買ったものを運んだり食器を並べたり料理を運んだりとか皿洗いとか、そういうのを私はやろう、と理科は決めた。決めたから、今日もちはるの好きにさせるコトにしたのだ。
 しっかし、それに比べてこいつは全く動こうともしないよなー、と理科はこたつに丸まってミカンをムシャムシャ食っている同居人、死神少女のみっしーを横目で見る。視線に気づかないのか、みっしー本人はテレビでお笑い番組を観ながら笑っている。笑って、口からみかんが飛び散っている。もう、ダメだ、こいつ。
「はーい、テレビは終了~」
 と言って、ちはるはみっしーの観ているテレビを消す。みっしーは不満を漏らさない。
「ああ、もうそんな時間ですか」
「そうよ。だから急いで帰って来たんだもの」
 みっしーはテレビが消されたのと同時に、より一層こたつで丸くなる。ちはるは棚の上に設置した年代物のラジカセのスイッチを入れる。
 FMラジオ。放送局は『FM過多萩』。
「バツ子と~、日和(ひより)の~、ゲロねこラジオ~!」
 丁度良いタイミングで、番組が始まった。タイトルコールと同時に、ちはるは正座する。ちはるは、この番組のパーソナリティのバツ子と日和という二人のタレントの大ファンなのだ。みっしーも、そして理科も、同様にこの二人の女の子が大好きで、ラジオだけでなく、この二人が出演するテレビも極力観るようにしている。
 三人は、だから毎週、『ゲロねこラジオ』の放送する毎週日曜日のこの時間を楽しみにしているのであった。バツ子と日和が出る他の番組を逃してもこの番組だけは、なにがなんでも聴く。ちはるはそう決めている。
 ゲロねこラジオは三十分番組。終わったあと、ちはるは料理をつくるのである。毎週、それが決まっている。
 田山姉妹とみっしーは、耳を澄まして三十分を送る。
 静かな空気。それは、この三人にしては、珍しい時間であった。


 ちはるが捨て猫同然である死神少女みっしーをどこからか拾ってきたのは、理科には当然のように思えた。ちはるは困った人には手をさしのべるし、それに過去のコトもあって、家出だかなんだかをして自分を死神だと名乗るこのおバカな少女を保護するのは、なんともちはるらしいからだ。だから、理科はみっしーを同居人として、この部屋に招き入れるコトに同意した。そして本当に、みっしーは『死神少女』なのではないか、と理科は推断する。根拠のない確信、かもしれない。
 理科は思う。私の最後を看取りに来たのね、と。
 どこかしら他人とは思えないみっしー。
 いいじゃん、面倒を見てあげる。
 いや、この場合面倒を見てもらうのは私のほうなのかしら。
 ま、どっちでもいっか。
 辿り着いた時に見せてあげるわ、最後まで瞬く悪い夢を。それまで、私は絵を描き続けるの。だから、ちゃんと看取ってね、みっしー。ちはるを、よろしく。
とかなんとか。私らしくもないわね。


 さて。ゲロねこラジオが終わった後、ちはるは夕食の準備に取りかかった。台所にミカン箱を用意し、それに乗って料理をするちはる。それほどまでに、ちはるは背が低いのだ。いつもは眼鏡を着用しているちはるだが、料理をする時にはそのキャンディーレッドのセルフレーム眼鏡を外し、長い黒髪を後ろでひとつに束ねて作業をする。眼鏡は湯気で曇るから外すらしい。
 理科は居間でスケッチブックを広げ、料理するちはるをスケッチしている。みっしーは、こたつで黙々とみかんを食っている。
「理科~」
「なに、みっしー」
「昔、ミカン星人っての、テレビであったですよね」
「あー、ミカン星人SOSね。ウゴウゴルーガの」
「あれ、ボクは大好きだったのですよ」
「つーかあんた、何歳だよ?」
「それで、ガッコウでミカン星人の動きを真似していたら」
「してたら?」
「ヒゲダンスかよ、渋いねってみんなに言われたですよ」
「うわー……。なにそのオチ? 全然面白くないんだけど」
「これはオチが未完の話です」
「ベタだな、おい!」
「遺憾ですか?」
 理科はこたつのテーブルに頭をぶつけてずっこける仕草。いや、あんまり面白くないけどさ。一応素直な反応を。
「上手いコト言おうとして失敗してるわね。ってか、ガッコウって、死神にガッコウってあんの? 既に設定が破綻してるわよ」
「『破綻』っていうか、明日は『旗日』ですよ?」
 理科はテーブルにぶつけた額を手でさする。目には涙。さっきのは痛かったらしい。
「あーもう、私、今スケッチしてるんだから、黙っててよ」
「ヒゲダンスではなく、キタキタオヤジのダンスを今から披露しようか、と」
「そんで私が疲労する、って?」
「そういうコトです」
「これ以上言うと墓穴を掘るわよ」
「おけつを掘る? ボーイズラブですか」
「ちっがーう! てかみっしーも女の子なんだから恥じらいを見せなさい」
「いやん、恥ずかしい」
「遅いわよ!」
 しばらくの沈黙の後、理科はまたスケッチを再開する。みっしーはまたみかんを食いだす。何事もなかったかのようにモードチェンジするのが、田山家スタイルであった。
 理科はちはるを描きながらながら、今日の黒パーカーの一団のグラフィティアートを思い起こす。あのパンダ。パンダの躍動感。ファンシーさ。それは私にはまだ無理な、そんな技術力で描かれている。私も、あんな風な絵を描けるようにならないと。いますぐに描けるようにならないと。
 時間は、有限なんだから。
 頑張ろう。
「出来た~!」
 ちはるは手を上げて万歳のポーズ。知らない人が見たら、確実に小学生の女の子だと思われるアクションと、その容姿。しかし、明日はちはるの成人式。もう、二十歳なのだ。
 スケッチブックを閉じて手伝いに行った理科が台所から居間へ料理を運ぶと、みっしーはむくりと起き上がった。今までみかんを食していたくせに、今度は夕飯も食うらしい。ホント食い意地の張った娘ね、と理科は思った。
 飢えを満たそうと大飯を喰らうみっしーは、そのまま天地を喰らいそうな勢いである。が、飢えもなにも、今までみかんを大量に食っていたのだ、食べる必死さの意味が、理科にはわからない。ちはるは「みっしーは喜んで食べてくれるから、作り甲斐があるわ」と言うが、こいつはなにを喰うにも喜んでのような気がする。
 旬の魚であるわかさぎだかんだかのあら汁をすすりながら、みっしーはチョップスティックで理科を指さし喋る。
「明日はどうするですか、理科」
「うん。ちはるは明日朝早く、実家の方に行くわね」
「そうです、明日はちはるがいないです。そんでボクはどうするか、ちょっと考えてるです。理科だってどうするですか?」
 理科の横に正座しているちはるはあら汁をすすりながら、対面(といめん)のみっしーに「なるほど」と頷く。
「お姉ちゃん、バイト探したらどうかな」
 みっしーはチョップスティックを上下に振る。賛成という意味合いだろう。
「さすがちはる! ナイスな提案です。料理もおいしいし、大天才です! それに比べ、仕事もしないで家でごろごろしてるこの愚物はなんなんですかね。嘆かわしいです」
 理科は箸とお椀をこたつのテーブルに置き、みっしーを睨む。
「愚物で悪かったわね。つーかあんただっていつもごろごろしてるでしょうが!」
 みっしーもお椀と箸をテーブルに置く。
「おっと、話を逸らさないで欲しいです。ちなみに、目も逸らさないで欲しいです。なんですか、やましいコトがあるって感じですよ?」
「ちっ! まあいいわ。明日はちはるが帰ってくるまで、バイト探しをしましょう」
「しましょう?」
「あんたもついてくるのよ、みっしー」
「なんでボクもなんですか。みかんがなくなる時期まで待っててくれです」
「あんたはたぶんみかんの時期じゃなくなったらハウス栽培のみかんを食いだすでしょ」
「いえすっ! その通りです」
「みっしー、あんたこの町に詳しいんだから、ついてきなさい」
 ちはるが両手を胸の前で絡めて祈るようなポーズ。
「お願い、みっしー。お姉ちゃんをサポートしてあげて」
「仕方ないですね~。ちはるが言うなら。従わない理由がないです」
「良かったね、お姉ちゃん」
 喜ぶちはるは、横にいる理科に抱きつく。
「二十歳になる前に、どうしてもしておきたいコトがあるの」
 ちはるは理科の手を握る。それからその手を、自分の顔に近づける。
「ん? どうしてもしておきたいコト? きゃっ!」
「ぐちゅ……ん、……ちゅぱ、……んちゅ……んふ」
 近づけた手の指、理科の人差し指を口に含むちはる。口の中の舌で理科の指を転がすようにしてしゃぶりだす。
「やっ、やめ……ちょっと、んっく……やめなさいって、ちは……んん……」
 ほどよい快感が理科を襲う。ちかるの舌先は、暖かくて気持ちよくて情熱的だと、理科は思った。
「お姉ちゃん……」
 しばらく舌先の愛撫をしたあと、名残惜しそうにしながら指を口から抜き取る。
 だらしなく粘着質な唾液の糸が理科の指とちはるの口に繋がったまま、離れる。
 ちはるは理科の両頬をそれぞれ手で押さえ、顔に顔を近づけ理科に目を合わせる。背の高さがかなり違う理科とちはるだが、座っているので出来た場面であった。
 「今度はな……に、……ん、んぐ」
 今度は理科の口が塞がれる。
 ちはるは理科にキスをしたのだ。それも、ディープキス。理科の口の中に、ちはるの舌が侵入してくる。理科の絶対領域が、冒される。侵犯される。理科はなにか言おうとするが出来ず、ちはるを引きはがそうとするが、ちはるは動きそうにない。
「ん、んんぐぐ、……んがっぐぐ」
 最終的には昔のサザエさんのエンディングで、サザエさんがのどに物を詰まらせる時の音のような擬音を理科はもらすしかなかったのであった。うう、あら汁の味がするでしょう止めてよ、と言いたいが口が塞がれて言えない。
 一分経ったであろうか。ちはるはゆっくりと、余韻を楽しみながら理科のくちびるから離れた。理科は肩で息をしながらちはるを見る。ちはるは恍惚の表情を浮かべている。
「私のはじめて、お姉ちゃんにあげちゃった……。大人になった私も好きでいてね、お姉ちゃん」
 と、そこに顔色を変えた居候がふらりと不気味に口をひらく。
「理科ぁ~、なんですか、今のは~」
 理科が対面(といめん)のみっしーに向き直ると、みっしーは身体を震わせ、わなないている。参ったな、と思う。
「ボクの~、ちはるにぃ~、なに破廉恥な所作をしているですかぁ~」
 理科は頭を掻く。
「私も不意打ちだったんだよな。全くちはるは」
 ま、私もちはるのコト好きだけどね、というコトは伏せて。
「ちはるの所為にするですかぁ~」
 みっしーはその場で立ち上がり、右手を天にかざした。
「許さないですッッッッ!」
 みっしーは天にかざした手を広げた。
「汝と契約せし我が元へ、現前せよ、ハネムーンスライサー!!」
 みっしーの右手がプリズムに光り出す。カードダスのキラカードのような煌めきだ、と理科は思った。
 光が収束し形になり、いつの間にかみっしーの手にはごつい本物の大鎌が握られていた。
「いつもながらあんたはその鎌、どういうマジックで出すのよ」
「理科、ボクが死神少女だって、未だに信じてませんですね。仕方ないです、身体でわからせましょう。喰らうです!」
 みっしーは大鎌『ハネムーンスライサー』を理科に向けて振り下ろす。その死神の鎌は本物である。これを喰らったらただでは済まない。理科は座ったまま、こたつのテーブルを持ち上げ、自分の身体の前で盾にして、斬撃を防ぐ。テーブルの物が全て畳にぶちまけられる。
 舌打ちしたみっしーはテーブルに刺さった鎌を引き抜き、もう一度斬撃を加える。テーブルは真っ二つになった。理科はテーブルを投げ捨て立ち上がり、体勢を整えようとする。が、そこにみっしーの次の攻撃がくる。
 理科はポケットから大きなペインティングナイフを取り出し、大鎌の攻撃を受け流す。理科のその動作により躱された鎌が今度は地面の畳に突き刺さる。そこから抜こうとしているモーションの最中に、理科はみっしーの脇腹を蹴る。みっしーは吹き飛ばされた。理科の攻撃は手加減なしである。
「痛っいでっすぅー」
 転びながらみっしーは呻く。
 理科はペインティングナイフを、鉛筆を指でくるくる回転させる要領で回す。
「みっしー、こたつ代は高くつくよん?」
 理科が余裕を見せた瞬間、みっしーは大鎌を畳から引き抜き、今度は水平に、薙ぎ払うように攻撃をする。理科は慌てて避けようとするが、体勢を崩して転んでしまう。
 みっしーの斬撃が、容赦なしに連続で襲ってくる。理科は転げながら逃げる。
 さっきこたつのテーブルを持ち上げてしまったので畳は食器類が散乱していて、転がるには不向き。その上、みっしーが攻撃する度に、茶碗などが破壊される。汁物やご飯などが畳に飛び散る。
「ふふ、この『ハネムーンスライサー』は、『縁切り』の大鎌です。ハネムーンに行くカップルを成田離婚をさせるからこその、この名前です。理科とちはるの仲もこれでジ・エンドです!」
 みっしーが喋ってた瞬間を狙い、理科はペインティングナイフをみっしーの腕に投擲。見事ヒットし、鎌を放してしまう。
 理科はみっしーに飛びかかる。みっしーも応戦し、二人は転がりながら殴り合いを始める。すると、
「二人とも、やめえええええええええぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
 部屋の窓ガラスが地震があった時のごとく振動し、ちはるのその声は理科とみっしーの鼓膜を破る勢い。理科とみっしーは動きを止めた。
「もう、お姉ちゃんも、みっしーも……」
 ちはるは、本気の声を出した。「ばかあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッッッッッッッッッッ!!」
 その声で、部屋の窓ガラスは全壊、台所の食器棚や居間の棚にあるガラスも全て破壊された。まさしく怒濤のような雄叫びであった。雌だけど。
 全くツッコミ甲斐のある、散々な一日の終わりであった。
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登場人物紹介

田山理科:ちはるの姉。絵描き。戦う武器はペインティングナイフ。

田山ちはる:田山理科の妹。優しいけど怒ると怖い一面も。自分の姉の理科のことが好き。

みっしー:死神少女。田山姉妹の住んでる部屋で居候をしている。武器は縁切りの大鎌〈ハネムーン・スライサー〉。ハネムーン中に離婚させるほどの威力を持つ。大鎌は刃物なので、普通に危ない武器。

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