第12話

文字数 2,422文字

   ☆


「一月ももう終わりか……」
 理科が空を見上げると、冷たい太陽の光がまぶしく、吹いてくる風は冬であるコトを身体でわからせてくれた。過多萩市に理科達姉妹が引っ越して来て、一ヶ月が過ぎようとしていた。
 理科はダッフルコートを着ていて、ちはるは理科とお揃いのコートを羽織っていた。ちはるが洋服屋で、どうしても理科と同じコートを買いたいと駄々をこねたので、仕方なく買ったものだ。
 ちはるはお揃いのコートだというのが嬉しく、しかも今日は大好きな日和とバツ子の姿が見られるというコトでうきうきなのであった。
 みっしーは、いつもの学ランの上から、トレンチコートを着ている。ボタンもジッパーも開いたまま、中の学ランが見えるように着こなしている。
 気づくとこの街は、アートであふれている。店のディスプレイは凝っているし、建物もモダンだ。そこら中の壁には、落書きなんて言葉は似合わないような、洗練されたグラフィティ・アートで彩られている。どうも落書きのレベルではないようなグラフィティは、消されないで残しておくようで、そのグラフィティだらけの壁がそこら中にあふれている風景は、サイバーパンクの小説の中に舞い込んだ錯覚すら見る者に与える。少なくとも理科は、この光景に酩酊感を覚えていた。越してきて一ヶ月だというのに、この景色には慣れないでいた。今日は特に、昨日の即売会と院内政治のとばっちりもあったから、そう感じるのかもしれなかった。
 三人が歩いていると、公園に通りかかった。この公園は、成人式の前日、理科が『ステキパンダ』の集団と出会った公園であった。
 みっしーは公園のトイレを指さす。
「ちょっとトイレに行ってくるです」
 はいよ、と理科は頷く。みっしーは小走りでトイレに走っていった。それを見やっていると、後ろから声をかけられる。
「あらん、理科じゃないのん」
 その声は、牛乳だった。「ちょうど良かったわん。千鶴子、この子が理科よん」
 牛乳に呼ばれた女性は、ロリポップキャンディを舐めながら、理科の全身を、それまた舐めるように見た。
「ふ~ん、この子が昨日の夜、まひるの言ってた娘ね。確かに、可愛いわね」
「そうでしょ!」
 牛乳は自分が可愛いと言われたように喜んだ。理科も顔が真っ赤になる。
「あなたのイラスト、見させてもらったわ」
 ちはるはロリポップを舐める千鶴子と呼ばれた女性が怖いのか、理科の後ろに隠れて怯えている。
「あら、そしてこの恐がりさんは何者かしら」
 牛乳もちはるを見て頭の上にはてなマークが浮かんでいる。そういえばちはると牛乳は初対面なのだな、と理科は思い、ちはるを紹介する。
「この子は私の妹の、ちはるだよ」
「ふ~ん、チビメガネのちはるちゃんね。どうも」
 千鶴子はキャンディをくわたままニヤリと笑む。その顔は射すくめるような視線だ。
「あらん、この子が妹ちゃんなのねん。お姉さん譲りの可愛い顔ねん」
 ちはるは、理科の後ろに隠れながら、言う。
「ち、チビメガネじゃないもん!」
「あなた、飴玉のごとく甘いわね。あなたはどこからどう見てもチビメガネよ、現実を受け入れなさいな」
「それにチビだって、日和みたいに格好良くなれるんだもん」
 牛乳が「あらあら、可愛いわねん」と言う横で千鶴子は「日和みたく、か……」と、なにか含みをもたせるように呟いた。
「理科。あなたの絵は結構良いわ。どう、私のとこで……」
 と、千鶴子が言ったところで、公園から「うおおおおおおぉぉぉぉぉ」と声が聞こえ、その声の主が全速力で走ってきた。もちろん、みっしーである。
「いぬいぬいぬいぬ犬ですッッッッッ!」
 みっしーは犬が苦手なのだった。公園で散歩中の犬を見て怖くなって走って逃げてきたのである。
「あらん、みっしー。おはようん」
 ゆっくりとした口調で牛乳は挨拶する。
 言われたみっしーは息を切らしながら、牛乳に挨拶をし返した。
 千鶴子が、邪悪な笑みを浮かべる。
「なるほど、この学ラン娘がみっしーね。ぱせりんから噂は聞いているわ」
 みっしーが息を整える。
「ぱせりん? ああ、あのクソウザい『魔女』ですね」
「そう、過多萩学園の『魔女っ娘先生』よ」
「キャンディ娘、あんた魔女の関係者ですか?」
「教え子よ、学園のね」
 みっしーは舌打ちしながら目を逸らす。
「興味ないです。行きましょです、理科。早くしないと日和とバツ子が来ちゃうです。しかもこのままだと犬コロがここに来てしまうカモですし」
「う、うん」
 理科はみっしーの嫌悪感満ちた言葉に違和感を覚えつつ、頷く。その魔女っ娘先生とかいう人が嫌いなのだろうか、と思う。犬はともかくとして。
「今日はどこにお出かけなのん?」
 この殺気だった気配に気づいているのか気づいてないのか、のんびりと牛乳は尋ねる。
「今日はテレビのロケを観に行くところなの」
「へー、そうなのん。私たち、お邪魔だったかしら。じゃ、私たちも行きましょん、千鶴子」
 千鶴子はロリポップキャンディをくりゅくりゅ口の中で動かし舐めながら、同意する。
「そうね。あなたたちとは、ゼッタイまた会うから。その時、改めてお話をしましょう」
 理科は千鶴子を眺める。そこには、自分が持っていないようなしなやかさを確かに感じる。
 ちはるはべーっと舌を出して千鶴子を拒絶、みっしーはしっしっ! と追い払うようなジェスチャー。また会ったら一波乱ありそうでなんかやだな、と理科はため息を一つ。息は湯気のように白く吐き出された。
 そして牛乳たちは去っていく。

 それにしてもあの千鶴子という女性、どこかであったような……。

 誰なのか気づかないのは、朝の喀血で冷静な判断ができないのが原因だとは思い至らない理科なのであった。
 もっとも、喀血に気を取られていたら、普通に生活なんてできやしないのだが。
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登場人物紹介

田山理科:ちはるの姉。絵描き。戦う武器はペインティングナイフ。

田山ちはる:田山理科の妹。優しいけど怒ると怖い一面も。自分の姉の理科のことが好き。

みっしー:死神少女。田山姉妹の住んでる部屋で居候をしている。武器は縁切りの大鎌〈ハネムーン・スライサー〉。ハネムーン中に離婚させるほどの威力を持つ。大鎌は刃物なので、普通に危ない武器。

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