第1話

文字数 2,566文字

 旧暦で三日目に出るから、三日月。その三日月が人気のない公園を照らす。一月九日。
 明日は妹、ちはるの成人式だ。
 田山理科は朝に交わした約束通り、妹のちはるを待っている。空を見上げて、それからベンチから誰も乗っていないふたつのブランコを見る。ブランコの後ろは、真っ白い壁。壁なのは公園の敷地のすぐ外はアパートとなっているからだ。住宅地に、この公園はある。住宅地の中でも、この時間帯にふらふらやってくる酔狂な人間はいないらしい。この過多萩市(かたはぎし)に引っ越ししてきてからまだ一ヶ月と経っていない。だから、この公園のコトも、理科はよく知らない。約束の場所としてここを指定したちはるだってたぶんよくわかってないだろう。この公園は、夜はいつもこうなのか。でも、そんなのは徐々にわかればいいコトのように、理科は思っている。
 そう、すこしづつわかっていけば、いい。
 街灯に照らされた二台のブランコを眺めていると、理科の後ろの方で自動車が急ブレーキで止まった音がした。あまりに大きい音だったので、理科はベンチに座ったまま、後ろを振り返る。後ろは、公園の入り口だ。
 黒い、ライトバン。
 そこから、黒いパーカーを着た人間が降りてくる。
 全部で、四人。お揃いのパーカーのフードを、全員が目深にかぶっていて、その顔は見えない。四人は、しかし体つきから推測するに、全員女だった。体格は、大柄な人間も、小学生のように小さい人間もいて、背の高い人間も、スレンダーな体型の人間も、いる。合わせて、四人。
 理科は、手に持ったスケッチブックを取り落としそうになった。逃げた方がいいのかしら、と思う。思ってる間に、四人は理科のいるベンチに向かって歩いてくる。四人全員、片手になにか持っている。持っているものを、シェイクしている。無言の中、四人全員がなにかを振っている。そのなにかをよく見ると、それはスプレー缶だった。
 硬直して声も出ない理科。理科も修羅場をくぐってきた人間ではあるが、これは不意打ちだった。どうしていいのか、わからない。こんなにあからさまにおかしい黒パーカーの集団、どう対処していいのか、わかるはずもない。
 しかし黒パーカー四人組は、理科を一瞥すると、そのまま理科を素通りして、奥のブランコの方に向かう。ブランコになんの用があるのだろうと理科が思っていると、どうやら彼女らの目的地はブランコではなく、その更に奥にある壁だったのであった。
 四人のうちの一人、ロリポップキャンディを口にくわえたスレンダーな姿をしている人間が、スプレー缶を壁に向ける。
 缶の液体がぷしゅーっという擬音を立てる。壁にスプレーされる。パーカーはフリーハンドで、大きく、円を描く。その手つきは、慣れたものだ。ただの不良の落書きではないらしい。理科も知識として知っている、これはグラフィティアートと呼ばれるものだ。この過多萩の至るところに点在する、路上のアート。
 黒いスプレーが、丸い頭を描き、胴体を描き、手足を付けて、頭の中に顔を描く。目、耳、口、鼻などをつけると、それはパンダの絵になった。しかも、ファンシーなパンダだ。キャラクター商品としても十分やっていけそうな、そんなパンダである。
 パンダをスレンダーな人間がつくると口の中からキャンディを取りだし棒の部分を手で持ち、上に掲げる。その合図をきっかけとして、残る三人も落書きを描いていく。
 皆、一様にパンダの絵。最初の一人が最初に描いたパンダを中心に、全員がそれを取り巻くように、小さいサイズのパンダを何体も何体も描いていく。
 壁一面にパンダの絵を描くと、四人は頷きあい、それからスレンダーな女性が壁の下方にサインのような、理科には読めない文字を入れ、壁を少し眺め、それから出口に向かって去ろうとするのであった。
 理科はベンチから立ち上がる。立ち上がった拍子に、スケッチブックを落とす。それを理科が慌てて拾おうとすると、それより早く、理科のそばを通過しようとしていた四人のうちの一人、おそらくはリーダーであろうスレンダーなパーカーが、スケッチブックを拾ったのだった。またくわえていたロリポップキャンディを口から取り出し、手に持ち、理科をキャンディで指さす。
「あなたも、絵を描くのかしら」
 リーダーは、スケッチブックを理科に差し出しながら、尋ねる。
「え? え、ええっと、その、ええ、描きます……、はい」
 挙動不審になりながら、理科がしどろもどろに答える。
「そうなの。じゃあ、これ」
 リーダーが、パーカーのポケットから、なにかを取り出す。
 それは、名刺だった。
『ライター:ファーム』
 それだけ、書かれていた。
「ライター? ファーム?」
 理科の頭の中は、疑問符でいっぱいになる。
 差し出した本人の方を見ると、フードの中から、ニヤリと浮かべた口元がのぞけて見える。
「じゃあ、機会があったら、またお目にかかりましょう」
 フードの四人は、それからなにも見なかったかのように公園から去っていく。
 理科は一人、立ったまま、拾ってもらったスケッチブックを握りしめて、壁を眺めていた。
「このパンダ、ステキ過ぎる……!」
 ライトバンがエンジン音を立て、公園を去る。理科はしばらくぼえーっとしていたが、それから気を取り戻し、ブランコに座りながら、街灯の光の元で、パンダを模写したのだった。
 しばらくすると、公園の入り口から今度は「お姉ちゃ~ん」という声が聞こえてくる。
 声の主はちはる。理科の妹であった。
「お姉ちゃん、また絵を描いてるの?」
 ちはるは理科の元に駆けよってくる。
「ん? うん。描いてる」
「まったくもう。たまには絵のコト以外もしっかりしないと。なに描いてるの?」
「ステキパンダ」
 ちはるはスケッチブックを見たあと、理科の視線の先を見やる。視線の先、それは壁一面の大小様々なパンダの絵であった。
「確かに。確かに、ステキパンダだね、お姉ちゃん!」
「でしょう?」
「でも、ステキパンダよりお姉ちゃんの方がステキだよ」
 ちはるが理科に抱きつく。
「私も、ステキな絵描きにならないと」
 理科は夜空に浮かぶ三日月を見ながら、ちはるの頭を撫でるのであった。
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登場人物紹介

田山理科:ちはるの姉。絵描き。戦う武器はペインティングナイフ。

田山ちはる:田山理科の妹。優しいけど怒ると怖い一面も。自分の姉の理科のことが好き。

みっしー:死神少女。田山姉妹の住んでる部屋で居候をしている。武器は縁切りの大鎌〈ハネムーン・スライサー〉。ハネムーン中に離婚させるほどの威力を持つ。大鎌は刃物なので、普通に危ない武器。

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