第31話
文字数 2,318文字
☆
「……で、チビメガネ、あんたなにやってんの?」
「え? 掃除だよ?」
「………」
「あと私、チビメガネじゃないんだからね!」
「…………」
千鶴子は冷めた目でちはるを見る。全くこの子は。千鶴子は頭を抱えた。危機意識はこの子にはないのか、と。
汚すぎた部屋に置かれ、ちはるがしたコトは部屋の掃除だった。どこから持ってきたのかホウキとチリトリでさっさと床を掃いて、本や書類なんかの整理、そしてゴミは大きなゴミ袋に入れていた。
千鶴子はそのちはるの姿を見て、昔の自分を思い出していた。
「あ、お姉ちゃん」
「や。助けに来たのよ」
「うにゅ。ありがとう」
「どういたしまして」
「もうちょっとで部屋の掃除、終わるからね」
「はいよ」
理科とちはるの姉妹。このコンビはまるで姉さんと私の関係性そのまま。思い出してしまうわ、あの頃の私を。姉さんとの蜜月。でも、そんなのは長くなんて続かないのよ。芸術に人生を賭けた者に、月並みなしあわせなんて、ない。少なくとも、私たちはそうだった。
姉さんを奪ったのは、芸術という名の、狂気。芸術に身を捧げたら、待ってるのは成功か挫折か、認められない暗い道のいずれかなのよ。わかってるのかしらね、この二人は。
「あれ、お姉ちゃん、あの人は?」
「あの人?」
「ここに私を連れてきた人」
「ああ、あいつは、千鶴子が排除したわ」
「排除?」
「このマンションのゴミ集積所で眠ってもらってるわ」
「もぅ、お姉ちゃんは~。あんまり乱暴とかしないで」
「こっちにも色々事情があるのよ」
と、そこまで喋って、理科は自分の声帯が震えるのを感じた。やばっ! 来る!
嘔吐感がまず襲ってきて、胃の痛みをこらえる。次にやってくるのは肺の痛み。しまった! ここで吐くのは、不味い。ちはるにバレる!
理科はちはるとの会話を打ち切って、トイレに向かおうとする。しかし、トイレの場所がわからない。一瞬の戸惑いのうちに、痛みと嘔吐感がこみ上げる。肺の辺りを理科は押さえる。無理。こんなコトしても意味がない!
理科は、その場で喀血した。
血が、ホウキで掃いたばかりの床にどばどば吐き出される。理科は涙目で、どうにか喀血を止めようとする。しかし止まらない。今まで一番、大量の血が吐かれる。
「理科ッ!」
「お姉ちゃんッッッ!」
千鶴子とちはるが叫ぶ。
その叫びが、理科にはどんどん遠のいて聞こえる。意識がもうろうとする。
理科は床に手をつき、吐いた血を眺めながら、なにかちはるを安心させる言葉を発そうとする。が、それはかなわず、そのまま意識を失った。
「チビメガネ! これはどういうコト!!」
「わ、わかんないよッ! こんなの」
ちはるが泣き出す。千鶴子は思う。これじゃ本当に、私と姉さんのような……、いや、そんなコト考えてる場合じゃない。今は、えっと、そう、電話。
千鶴子はケータイで救急車を呼んだ。
救急車が到着する。
どうしていいかわからない千鶴子が立ち尽くしていて、その隣で泣きながら理科の名前を呼ぶちはるの姿があって、救急隊員はそれを見た。簡単な経緯を千鶴子から救急隊員は訊き、理科を担架に乗せ救急車まで運び、すぐに救急病院に連れて行ったのであった。救急車には千鶴子とちはるが同乗する。
車内で二人は無言だった。
☆
男が目を覚ますと、そこはマンションのゴミ集積所だった。男はゴミ袋の束に埋もれていた。横にはセキュリティとして雇っていた二人の男がどちらも気を失って自分と同じようにゴミに埋もれている。
地面のゴミ袋から目を上げ、正面を見据えると、そこには学ランを着た小柄な女の子が立っていた。女の子はにししし、と笑う。
男は立ち上がる。
しばしの、沈黙。先に口を開いたのは女の子の方だった。
「やれやれ。ちはるに手を出すとは、どこの馬の骨だか知りませんが、……気にくわないですよ~」
そこでまた女の子はにししし、と笑い、それから笑みを残したまま、右手を天にかざす。
「汝と契約せし我が元に、現前せよ、ハネムーンスライサー」
かざした手に光が集中し、その光が大きな鎌のかたちになる。そして、きらりと輝く刃を持つ大鎌が、その姿を現す。
この少女、暗器使いか? しかし、それにしたってどういうトリックでこの大鎌を出した?
男が逡巡していると、その隙を見逃さず、女の子、みっしーは大鎌を振りかぶった。
男は避ける。いや、避けたハズだった。だが、そのリーチが目測と違う。大鎌の斬撃の長さが、伸びたのだ。まるで見えない刃に、いや、かまいたちに斬られたような、そんな感覚。
男は目を見開き、唇を引き締めて耐えようとする。
みっしーから目を逸らし、斬撃の傷口を見る。すると、傷口が発光するのだ。男はまた驚く。こんな状況、想定できるわけがなかった。混乱する中、みっしーが言う。
「お前を雇ったご主人サマサマとの関係性、断ち切ったですよ?」
光が男を包み込む。一秒、二秒、……そして十秒をカウントしたところで、光は収束する。光が収まった後、虚ろまなこで男は呟く。
「あれぇ、おれ、ここでなにやってんだろ? 早く家に帰ってももいろクローバーのDVD観ないと……」
男は田山馬岱との繋がりを失い、一介のももクロファンと化した。
「勝利とは常にむなしいものです……。さあて、ボクもここを去りますか」
ハネムーンスライサーを消したみっしーはその場を立ち去った。セキュリティは無視。こいつらはただ金で動いているんだろう、との判断からであり、それは事実その通りなのであった。
「……で、チビメガネ、あんたなにやってんの?」
「え? 掃除だよ?」
「………」
「あと私、チビメガネじゃないんだからね!」
「…………」
千鶴子は冷めた目でちはるを見る。全くこの子は。千鶴子は頭を抱えた。危機意識はこの子にはないのか、と。
汚すぎた部屋に置かれ、ちはるがしたコトは部屋の掃除だった。どこから持ってきたのかホウキとチリトリでさっさと床を掃いて、本や書類なんかの整理、そしてゴミは大きなゴミ袋に入れていた。
千鶴子はそのちはるの姿を見て、昔の自分を思い出していた。
「あ、お姉ちゃん」
「や。助けに来たのよ」
「うにゅ。ありがとう」
「どういたしまして」
「もうちょっとで部屋の掃除、終わるからね」
「はいよ」
理科とちはるの姉妹。このコンビはまるで姉さんと私の関係性そのまま。思い出してしまうわ、あの頃の私を。姉さんとの蜜月。でも、そんなのは長くなんて続かないのよ。芸術に人生を賭けた者に、月並みなしあわせなんて、ない。少なくとも、私たちはそうだった。
姉さんを奪ったのは、芸術という名の、狂気。芸術に身を捧げたら、待ってるのは成功か挫折か、認められない暗い道のいずれかなのよ。わかってるのかしらね、この二人は。
「あれ、お姉ちゃん、あの人は?」
「あの人?」
「ここに私を連れてきた人」
「ああ、あいつは、千鶴子が排除したわ」
「排除?」
「このマンションのゴミ集積所で眠ってもらってるわ」
「もぅ、お姉ちゃんは~。あんまり乱暴とかしないで」
「こっちにも色々事情があるのよ」
と、そこまで喋って、理科は自分の声帯が震えるのを感じた。やばっ! 来る!
嘔吐感がまず襲ってきて、胃の痛みをこらえる。次にやってくるのは肺の痛み。しまった! ここで吐くのは、不味い。ちはるにバレる!
理科はちはるとの会話を打ち切って、トイレに向かおうとする。しかし、トイレの場所がわからない。一瞬の戸惑いのうちに、痛みと嘔吐感がこみ上げる。肺の辺りを理科は押さえる。無理。こんなコトしても意味がない!
理科は、その場で喀血した。
血が、ホウキで掃いたばかりの床にどばどば吐き出される。理科は涙目で、どうにか喀血を止めようとする。しかし止まらない。今まで一番、大量の血が吐かれる。
「理科ッ!」
「お姉ちゃんッッッ!」
千鶴子とちはるが叫ぶ。
その叫びが、理科にはどんどん遠のいて聞こえる。意識がもうろうとする。
理科は床に手をつき、吐いた血を眺めながら、なにかちはるを安心させる言葉を発そうとする。が、それはかなわず、そのまま意識を失った。
「チビメガネ! これはどういうコト!!」
「わ、わかんないよッ! こんなの」
ちはるが泣き出す。千鶴子は思う。これじゃ本当に、私と姉さんのような……、いや、そんなコト考えてる場合じゃない。今は、えっと、そう、電話。
千鶴子はケータイで救急車を呼んだ。
救急車が到着する。
どうしていいかわからない千鶴子が立ち尽くしていて、その隣で泣きながら理科の名前を呼ぶちはるの姿があって、救急隊員はそれを見た。簡単な経緯を千鶴子から救急隊員は訊き、理科を担架に乗せ救急車まで運び、すぐに救急病院に連れて行ったのであった。救急車には千鶴子とちはるが同乗する。
車内で二人は無言だった。
☆
男が目を覚ますと、そこはマンションのゴミ集積所だった。男はゴミ袋の束に埋もれていた。横にはセキュリティとして雇っていた二人の男がどちらも気を失って自分と同じようにゴミに埋もれている。
地面のゴミ袋から目を上げ、正面を見据えると、そこには学ランを着た小柄な女の子が立っていた。女の子はにししし、と笑う。
男は立ち上がる。
しばしの、沈黙。先に口を開いたのは女の子の方だった。
「やれやれ。ちはるに手を出すとは、どこの馬の骨だか知りませんが、……気にくわないですよ~」
そこでまた女の子はにししし、と笑い、それから笑みを残したまま、右手を天にかざす。
「汝と契約せし我が元に、現前せよ、ハネムーンスライサー」
かざした手に光が集中し、その光が大きな鎌のかたちになる。そして、きらりと輝く刃を持つ大鎌が、その姿を現す。
この少女、暗器使いか? しかし、それにしたってどういうトリックでこの大鎌を出した?
男が逡巡していると、その隙を見逃さず、女の子、みっしーは大鎌を振りかぶった。
男は避ける。いや、避けたハズだった。だが、そのリーチが目測と違う。大鎌の斬撃の長さが、伸びたのだ。まるで見えない刃に、いや、かまいたちに斬られたような、そんな感覚。
男は目を見開き、唇を引き締めて耐えようとする。
みっしーから目を逸らし、斬撃の傷口を見る。すると、傷口が発光するのだ。男はまた驚く。こんな状況、想定できるわけがなかった。混乱する中、みっしーが言う。
「お前を雇ったご主人サマサマとの関係性、断ち切ったですよ?」
光が男を包み込む。一秒、二秒、……そして十秒をカウントしたところで、光は収束する。光が収まった後、虚ろまなこで男は呟く。
「あれぇ、おれ、ここでなにやってんだろ? 早く家に帰ってももいろクローバーのDVD観ないと……」
男は田山馬岱との繋がりを失い、一介のももクロファンと化した。
「勝利とは常にむなしいものです……。さあて、ボクもここを去りますか」
ハネムーンスライサーを消したみっしーはその場を立ち去った。セキュリティは無視。こいつらはただ金で動いているんだろう、との判断からであり、それは事実その通りなのであった。