第30話
文字数 3,043文字
☆
キアヌ・リーブス姿の男の電話の相手は田山馬岱であった。馬岱自身が電話をかけてくるなど、男にとってほぼはじめてであった。
男は恐縮し、電話口で思わず姿勢を正す。
院内政治にちはるを利用するというのは半分嘘、そして半分本当の話であった。ちはるは院内政治の道具にされそうになっている。それは本当のコトだった。が、それはキアヌ・リーブス姿の男ではなく、院内の、馬岱と反目する人間達がもくろんで利用しようとしていて、男は逆にちはるを守るのが仕事なのであった。陰から守る。それが前提であったが、今回馬岱直々の命により、ちはるを誘拐したのだ。馬岱は、田山姉妹に優しい。絶対的に、優しい。しかし、ちはるには「甘く」、理科に「厳しい」。それは姉と妹の資質の違いを見抜いたからこその、甘さと厳しさであった。理科は逆境に強い。これは後々、馬岱が理科を側近として置くための、いわばディシプリンであった。戦えば戦うほど強くなる。そんなサイヤ人のような存在、それが理科であると、馬岱は考えている。理科のペインティングナイフを使った攻撃。それは男も正直舌を巻いた。あれは本物だった。死線をくぐり抜けなければああいった躊躇いのない本物の攻撃は出来ない。馬岱は理科を本物に「育てる」気なのだ、と男は思う。なので、今回の理科とちはるの姉妹愛を計測するミッションに、男も同意して従った。男も、もっと成長した、美しい理科が見てみたかった。それはいずれ、見るコトが果たされるだろう。男は楽しみで仕方がなかった。
ここでも、理科の人を引きつける能力は発揮されているといえよう。
ただ、「理科はちはるを守れるか?」という実験では、理科は現段階で「守れない」という結論が出た。
男はだからおそらく、馬岱はその用件で電話をかけてきたのだと思った。が、予想は外れた。
男に電話をかけてきたのは別件。もうひとつの「重要な」用件だった。
そう、それはこの街を支配する男の調査についてだった。
即ち、『筆王』についての。
馬岱は問いかける。
「筆王の使うジャーゴンについて、わかったか?」
「いえ、目下調査中です」
「そうか」
ジャーゴン、つまり、特定グループの中だけで通じる専門用語。そして、筆王界隈で使われているものが『再魔術化』と『竹林七賢図計画』。男はそれについて調べていた。が、未だにそのジャーゴンの意味がわからない。
「筆王は近々竹林七賢図計画を実行に移すと、君の報告にもあるが、これはどういうコトなのか、見当はついているのだろうね」
「馬岱様、すみません、今の段階ではなんとも……」
「まあいい。ちはるの件については計画通りにしたまえ。一日二日、ここで面倒を見ればいい。理科にはもっと圧迫をかけてかまわん。筆王については、早く竹林七賢図計画の全容を掴み給え。わかったかね?」
「はい」
「よろしい」
そこで通話は切れる。切ったのは馬岱の方である。男は電話の切れた後も緊張が持続し、落ち着けるために手を胸にあて、深呼吸をする。
筆王は『世界の再魔術化』を計っているらしい。『魔術の復権』こそが、筆王の狙いらしい。実はそのために、過多萩を『芸術復興都市』としたらしい。そして、それと同時に筆王の夢とされているのが『竹林七賢図計画』だという。
さっぱりわからない。これはどういうコトなのか。魔術? これはなにかの例えなのだろうが、なんの比喩なのか男にはわからない。まさか魔術とかいう代物が現実にあるとでも? いや、なにか宗教的なものなのか?
男はまた親指の爪を噛んで考える。
『竹林七賢図計画』というのは、調べたところ「七人のアーティストを絵画の中に閉じ込める」コトらしい。これもまたわからない。なんの話なのか。「絵画の中に閉じ込める」とは、どういうコトなのか、なにを指し示すのか。全く理解出来ないが、どうもこの竹林七賢図計画の準備は整ったらしい。なので、近々実行に移される、と。
イライラが募る。男は親指を噛みすぎて、深爪をしているが、それにも構わず指をかみ続ける。
理科は女性なので跡取りには出来ないという馬岱は、だから側近として、自分の後を継ぐ人間が現れるまで理科を使おうと思っている。
その成長を促進させるのが自分のつとめ。それはわかっているし、馬岱様の気持ちはわかる。だが、田山姉妹の過去の亡霊としての「筆王」の存在も、同時に考えないとならないのだ。姉妹の面倒だけでも嫌なのに、正直こんなクレイジーなジジイについて調べる仕事なんて、したくない。この街の人間は筆王にこだわり過ぎる。それがカリスマ性というものだとはわかるが、しかし。馬岱様もこだわりすぎだ、と思う。
だが事実として、筆王は田山姉妹の、『過去の亡霊』である。だから仕方がないのかもしれない。
なぜ過去の亡霊かって?
それは、田山家の三女・美菜子をひき殺したのは筆王だからだ。
ひき逃げし、事件をもみ消し、今も平然と生きている。だから、馬岱も筆王の尻尾を捕まえるのに必死なのだ。
全く、なんでおれがその先兵として、筆王への諜報活動をしたり、ちはるお嬢様の誘拐なんぞしないとならないのか。
損な役回りだ。理科お嬢様だって、普通に会えば絶対口説きたくなるようなルックスなのに、敵として現れないとならなかった。クソ!
理科の家出を容認した馬岱は理科のこの行動が「自分探し」の一環だと捉えている。男も確かにその謂いはわかる。だが、それに自分が関わるのを、男は恥ずかしく思っていた。なんでこんな成人して数年しか経ってないような女の子のケアを大の男である自分がしないとならないのか、と。
男がずっと棒立ちになり考えていると、ドアが勢いよく開く音と閉まる音が響き、それから一秒もせず、野太い男の絶叫が聞こえた。野太い声は二人分。それは「屈強なセキュリティ」が敗北した声だ。
男はそれを察知し、玄関へと向かった。
すると、そこに立っていたのは田山理科、そして棒付きのキャンディ、つまりロリポップキャンディ、を口に入れて舐めているスレンダーな体型の女性だった。
「飴玉のごとく甘いガードだったわね。そこの男、大人しくチビメガネをこっちに返しなさい」
ロリポップキャンディを舐めながら女は言う。「全く、マトリックスの頃のキアヌ・リーブスみたいな格好してからに。古いわよ」
そして、みっしーとあまり変わらない感想を吐くのであった。
「貴様、何者だ! セキュリティになにをした!?」
「あら……」
そう言ってロリポップキャンディの女は、スカートのポケットからスタンガンを取り出す。「あなたが理科にしたコトと同じコトを、しただけよ」
そう言ってスタンガンを放電させる。電撃音がした。男はギョッとする。
「お前はまさか……」
不敵な笑みを浮かべるロリポップ。
「そう、たぶん想像通りよ。この街にいて、知らない人はいないでしょう。私は『ファーム』の下野千鶴子。トラブルシューターよ」
ロリポップキャンディをかみ砕き、千鶴子は名乗った。そう、ファームは街の調停役としての方がグラフィティの活動より有名であり、千鶴子はそこのトップなのだ。
「チビメガネを誘拐した罪、そしてファームが目を付けた『シマ』、御手洗公園でこんなコトした罪、ダブルで償ってもらうわよ」
そして、千鶴子のスタンガンが男の首筋で炸裂した。
キアヌ・リーブス姿の男の電話の相手は田山馬岱であった。馬岱自身が電話をかけてくるなど、男にとってほぼはじめてであった。
男は恐縮し、電話口で思わず姿勢を正す。
院内政治にちはるを利用するというのは半分嘘、そして半分本当の話であった。ちはるは院内政治の道具にされそうになっている。それは本当のコトだった。が、それはキアヌ・リーブス姿の男ではなく、院内の、馬岱と反目する人間達がもくろんで利用しようとしていて、男は逆にちはるを守るのが仕事なのであった。陰から守る。それが前提であったが、今回馬岱直々の命により、ちはるを誘拐したのだ。馬岱は、田山姉妹に優しい。絶対的に、優しい。しかし、ちはるには「甘く」、理科に「厳しい」。それは姉と妹の資質の違いを見抜いたからこその、甘さと厳しさであった。理科は逆境に強い。これは後々、馬岱が理科を側近として置くための、いわばディシプリンであった。戦えば戦うほど強くなる。そんなサイヤ人のような存在、それが理科であると、馬岱は考えている。理科のペインティングナイフを使った攻撃。それは男も正直舌を巻いた。あれは本物だった。死線をくぐり抜けなければああいった躊躇いのない本物の攻撃は出来ない。馬岱は理科を本物に「育てる」気なのだ、と男は思う。なので、今回の理科とちはるの姉妹愛を計測するミッションに、男も同意して従った。男も、もっと成長した、美しい理科が見てみたかった。それはいずれ、見るコトが果たされるだろう。男は楽しみで仕方がなかった。
ここでも、理科の人を引きつける能力は発揮されているといえよう。
ただ、「理科はちはるを守れるか?」という実験では、理科は現段階で「守れない」という結論が出た。
男はだからおそらく、馬岱はその用件で電話をかけてきたのだと思った。が、予想は外れた。
男に電話をかけてきたのは別件。もうひとつの「重要な」用件だった。
そう、それはこの街を支配する男の調査についてだった。
即ち、『筆王』についての。
馬岱は問いかける。
「筆王の使うジャーゴンについて、わかったか?」
「いえ、目下調査中です」
「そうか」
ジャーゴン、つまり、特定グループの中だけで通じる専門用語。そして、筆王界隈で使われているものが『再魔術化』と『竹林七賢図計画』。男はそれについて調べていた。が、未だにそのジャーゴンの意味がわからない。
「筆王は近々竹林七賢図計画を実行に移すと、君の報告にもあるが、これはどういうコトなのか、見当はついているのだろうね」
「馬岱様、すみません、今の段階ではなんとも……」
「まあいい。ちはるの件については計画通りにしたまえ。一日二日、ここで面倒を見ればいい。理科にはもっと圧迫をかけてかまわん。筆王については、早く竹林七賢図計画の全容を掴み給え。わかったかね?」
「はい」
「よろしい」
そこで通話は切れる。切ったのは馬岱の方である。男は電話の切れた後も緊張が持続し、落ち着けるために手を胸にあて、深呼吸をする。
筆王は『世界の再魔術化』を計っているらしい。『魔術の復権』こそが、筆王の狙いらしい。実はそのために、過多萩を『芸術復興都市』としたらしい。そして、それと同時に筆王の夢とされているのが『竹林七賢図計画』だという。
さっぱりわからない。これはどういうコトなのか。魔術? これはなにかの例えなのだろうが、なんの比喩なのか男にはわからない。まさか魔術とかいう代物が現実にあるとでも? いや、なにか宗教的なものなのか?
男はまた親指の爪を噛んで考える。
『竹林七賢図計画』というのは、調べたところ「七人のアーティストを絵画の中に閉じ込める」コトらしい。これもまたわからない。なんの話なのか。「絵画の中に閉じ込める」とは、どういうコトなのか、なにを指し示すのか。全く理解出来ないが、どうもこの竹林七賢図計画の準備は整ったらしい。なので、近々実行に移される、と。
イライラが募る。男は親指を噛みすぎて、深爪をしているが、それにも構わず指をかみ続ける。
理科は女性なので跡取りには出来ないという馬岱は、だから側近として、自分の後を継ぐ人間が現れるまで理科を使おうと思っている。
その成長を促進させるのが自分のつとめ。それはわかっているし、馬岱様の気持ちはわかる。だが、田山姉妹の過去の亡霊としての「筆王」の存在も、同時に考えないとならないのだ。姉妹の面倒だけでも嫌なのに、正直こんなクレイジーなジジイについて調べる仕事なんて、したくない。この街の人間は筆王にこだわり過ぎる。それがカリスマ性というものだとはわかるが、しかし。馬岱様もこだわりすぎだ、と思う。
だが事実として、筆王は田山姉妹の、『過去の亡霊』である。だから仕方がないのかもしれない。
なぜ過去の亡霊かって?
それは、田山家の三女・美菜子をひき殺したのは筆王だからだ。
ひき逃げし、事件をもみ消し、今も平然と生きている。だから、馬岱も筆王の尻尾を捕まえるのに必死なのだ。
全く、なんでおれがその先兵として、筆王への諜報活動をしたり、ちはるお嬢様の誘拐なんぞしないとならないのか。
損な役回りだ。理科お嬢様だって、普通に会えば絶対口説きたくなるようなルックスなのに、敵として現れないとならなかった。クソ!
理科の家出を容認した馬岱は理科のこの行動が「自分探し」の一環だと捉えている。男も確かにその謂いはわかる。だが、それに自分が関わるのを、男は恥ずかしく思っていた。なんでこんな成人して数年しか経ってないような女の子のケアを大の男である自分がしないとならないのか、と。
男がずっと棒立ちになり考えていると、ドアが勢いよく開く音と閉まる音が響き、それから一秒もせず、野太い男の絶叫が聞こえた。野太い声は二人分。それは「屈強なセキュリティ」が敗北した声だ。
男はそれを察知し、玄関へと向かった。
すると、そこに立っていたのは田山理科、そして棒付きのキャンディ、つまりロリポップキャンディ、を口に入れて舐めているスレンダーな体型の女性だった。
「飴玉のごとく甘いガードだったわね。そこの男、大人しくチビメガネをこっちに返しなさい」
ロリポップキャンディを舐めながら女は言う。「全く、マトリックスの頃のキアヌ・リーブスみたいな格好してからに。古いわよ」
そして、みっしーとあまり変わらない感想を吐くのであった。
「貴様、何者だ! セキュリティになにをした!?」
「あら……」
そう言ってロリポップキャンディの女は、スカートのポケットからスタンガンを取り出す。「あなたが理科にしたコトと同じコトを、しただけよ」
そう言ってスタンガンを放電させる。電撃音がした。男はギョッとする。
「お前はまさか……」
不敵な笑みを浮かべるロリポップ。
「そう、たぶん想像通りよ。この街にいて、知らない人はいないでしょう。私は『ファーム』の下野千鶴子。トラブルシューターよ」
ロリポップキャンディをかみ砕き、千鶴子は名乗った。そう、ファームは街の調停役としての方がグラフィティの活動より有名であり、千鶴子はそこのトップなのだ。
「チビメガネを誘拐した罪、そしてファームが目を付けた『シマ』、御手洗公園でこんなコトした罪、ダブルで償ってもらうわよ」
そして、千鶴子のスタンガンが男の首筋で炸裂した。